【社長note#4】いつか必ず祖母を超える。幼少期より叩き込まれ、今なお生きる師匠の金言
こんにちは。
STANDAGE代表の足立です。
今回は私のビジネスの師匠といいますか、起業の先輩のお話をしようかなと思います。
それは誰かというと、私の祖母です。
■「おまえにわしが超えれるか?」
父方の祖母は、自らの手で事業を立ち上げた人です。
私の地元は大分県大分市ですが、祖母は大分県のなかでもさらに田舎の町で暮らしていました。
30歳くらいのときにリウマチを発症して、治療には温泉が良いということで、温泉地である大分の別府に引っ越して、そこでひとり療養をしていました。
とはいえ、何らかの形で働かなければ生きていけないので、住み込みでお手伝いをしながら間借りをして暮らしていたそうです。
そして祖母は余った部屋に学生さんを住まわせて、食事やちょっとしたお世話をしてあげるということを始めました。
するとなかなか反響が良かったようで、2部屋、3部屋と増やしていったそうです。
大分は地方なので、大分市内に高校が集中しています。
そのため、市から離れた農村などの子供たちが高校に上がるときには、単身市内に出てきて通うことになります。
寮があればいいのですが、ない場合には祖母がやっていたようないわゆる「下宿」、民間の寮のようなところで暮らすことになります。
高校生でいきなり一人暮らしというのは親御さんも不安なので、うちの祖母が寮母となってお世話をしてあげることで、学生さんにも家の人にも安心な環境を提供できたのです。
そうこうしているうちに事業体はどんどん大きくなり、銀行融資がついて、それで不動産を買って、さらに下宿を運営する。
加えて、不動産を買って賃貸に出すということもやっていました。
小さなファミリー企業で、従業員がたくさんいたわけではありませんが、祖母が自分たちの力だけで個人事業を営んできた姿を、私はずっと見ていました。
「わしは茶碗ひとつと布団一枚で出てきて、たったひとりでここまでの事業をつくった。
おまえにわしが超えれるか?」
小学生の頃から、祖母に言われ続けていた言葉です。
絶対に超えてやると思っていましたけど。(笑)
いつか祖母を超える。それが私の一つの目標になっていました。
■ひとには気前よく、自分には辛抱強く
私は一応進学校といわれるところに進みましたが、祖母からは事あるごとに「勉強ができても、金を稼げなくてはつまらん」と言われ、“どうやってお金を稼ぐのか”を叩きこまれてきました。
そして祖母は“お金との向き合い方”も教えてくれました。
祖母はいわゆるコストカッターというか、「質素倹約」の人です。
一方で、お客さんやお友達が来たときには必ず手土産を用意したり、近所で評判だった祖母お手製の漬物をたくさん持たせてあげたり。
私が大学の卒業旅行で実家に10人ほど友人を連れて泊まりに行ったときには、ひとり1万円ずつお小遣いを配ってくれたこともありました。
このように、祖母はとにかく人には気前よく施しをする人でした。
「自分に使うお金は辛抱しろ。ただ、人に使う分は絶対にケチるな。
必ず自分に返ってくるから」
そんな祖母は周囲からの信頼も厚かったですし、事業が何十年も続いているということは、そういうことの積み重ねが実を結んでいるのだろうな思いました。
私自身のお金の使い方も、祖母からの教えや行動に強い影響を受けています。
ただ単純に、人に何かしてあげると喜んでもらえるのが嬉しいというのもありますね。
■人の心を掴むということ
さて、数ある祖母のエピソードのなかでも特に印象的なものがあります。
私が高校生の頃、別府に古い一軒家がいくつかあったので、祖母はその土地にマンションを建てようと考えました。
ちょうど立命館アジア太平洋大学ができるタイミングということで、学生さんたちの賃貸需要が高まるだろうと見越してのことでした。
祖母の計画に、どちらかというと保守的な足立家の男性陣は大反対。
今さら借金までして、リスクを取る必要ないじゃないか。土地を売って現金にして、ゆっくり暮らす方がずっといい。
そう言う祖父や父を、祖母は一蹴します。
「うるさい、わしはやると言ったらやるんだ」と。
本当に、軍師のように強い女性です。
そんなこんなで進み出したマンション計画ですが、自分たちの地元に外様が入ってきて、急にマンションを建てるなどと言い出すことを良く思わない人たちも当然います。
今度は「日当たりが悪くなる」といった地元住民からの反発にあいました。
何度か祖母が公民館に出向いて、業者の人と一緒に説明会のようなものをしていたことを覚えています。
結果、今回の工事でその地域の下水道を整備して、共用で使えるようにすることで、地元住民たちにもメリットが出るようにする、ということで解決となりました。
これで安心と思いきや、さらに大きな問題が。
建設予定地の裏に住んでいたとある男性。その地域をまとめ上げるリーダー的存在で頑固者の彼が「わしの眼が黒いうちは、建築は許さん」と大反対していたのです。
これを祖母はどうするのか。私は見ていました。
すると祖母は漬物や手土産を携えて、その男性の元に足繫く通うようになりました。
当然、最初は「何しに来た!」と反発されていたようですが、めげずに通い続け、漬物を渡したり世間話をしたりとコミュニケーションを重ねるうちに、少しずつ人間関係が生まれて、男性と打ち解けていきました。
そして関係性ができたところで、祖母はある提案をします。
「●●さん(男性)は信頼できるから、うちのマンションの管理人をやってくれ。そうすれば、安心してマンションを建てられるから」
結果、建設に反対していたはずの男性はマンションの管理人となり、しっかりと仕事をしてくれて、「この間無断駐車があったんで、バシッと言っておいたから!」などと頑張ってくれています。
「敵に負けて三流、
敵に勝って二流、
敵を味方にして一流」
一連のエピソードと祖母から言われた言葉は、今でもはっきりと覚えています。
今回ご紹介したのは父方の祖母のエピソードですが、実は母方の祖母も起業家でした。
自分も会社経営をするようになって、その血やDNAをしっかりと受け継いでいるなと感じますし、
あの頃祖母に教えてもらった一言一言すべてが、ものすごく核心を突いているということに日々気付かされています。
祖母は決して大きな組織を持っていたわけではありませんが、人の心を掴むということ、そして事業を長く運営するうえで大切な金言を教えてくれたのだなと思います。
祖母は現在90歳を超えていることもあり、引退をしてゆっくりとした日々を過ごしています。
このバトンを引き継いで、私も経営者としてしっかり成長し続けていきたいです。
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