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「箱男」感想 ——反逆——
「箱男」と呼ばれる存在がある。段ボール箱をすっぽり被って、街を徘徊。専ら覗き穴から外部を伺い、あらゆる人間に無視されて、のそのそがさごそ歩き続ける。浮浪者とは違う、もっと下位の存在。市民であることすらやめた、匿名の誰か。「見ること」に取り憑かれた一人のある箱男は、箱の中で、一冊のノートに箱男の記録を始めていた……。
奇怪な彼らの生態が、生々しい現実感を伴って、克明に描かれる。本物と偽物、能動と受動、誰が一体誰であるのか、それすらも曖昧だ。
「Aは歩いた」
本書を理解するためには、適当なノートを引っ張り出して(B5版が望ましい)、ただこう書きつけるだけで良い。特段新品を用意することはないだろう。ないならないで、家電量販店の広告の裏だって構わない。とにかく、書くことが肝心なのだ。
……もう、書けた頃だろう。おそらく、勘の良い人ならば、気がついたに違いない。こう文章を記すだけで、僕とAの間には、決定的な上下関係が生まれてしまう。僕はAを見て、書き、記す。対してAができるのは、僕の筋書き通りに歩みを進めることだけなのだ。
しかし本書のようなメタフィクションでは、この構造が決定的に崩壊する。書かれる側、見られる側、操られる側であったはずの登場人物が、著者に対して、一種反逆を始めるのである。
そういうわけで、これは「反逆」の物語だ。書く側は書かれる側に否定され、見る者は見られる者に翻弄される。日常から隔絶された世界、自分とは関わりのないニュース、各個人がまだ生きていることを保証するためにのみ「見られていた」世界による、主人公への反逆によって、物語は終結する。
「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる痛みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。」
ぐるぐると入り組んだ、実験性あふれる長編である。
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