この手紙をあなたへ 〜星野道夫著「旅する木」のこと
お元気ですか?
あなたに手紙を書くのは初めてかもしれません。もしかしたら、そうではないかもしれません。
あなたがどんな人で、どこで暮らしているのか、僕にはわからないけれど、そんなあなたに今、この手紙を書いています。
ところで、手紙と書いて思い出したのですが、あなたは「ソフィーの世界」という本をご存知ですか?
随分前にベストセラーになった本です。
13歳の少女ソフィーの元に、ある日「あなたは誰?」と書かれたハガキが届くのです。その次に来たハガキにはこう書かれていました。
「世界はどこから来た?」
物語ではこのハガキの後、ソフィーに分厚い手紙が届きます。そしてその手紙をきっかけに、ソフィーは哲学の世界へと足を踏み入れてゆくのです。
ここまでの話を聞いて、あなたはもしかしたら「素敵だなあ」と思うかもしれないし、そうではないかもしれない。「哲学のことが書かれた手紙なんて、なんだか面倒くさそうだなあ」なんて、そう思うかもしれませんね。
あなたがどちらだったとしても、おすすめしたい本がもう一冊あります。というか、むしろこちらが本題。それは「旅する木」という本です。
本書の著者である星野道夫は26歳でアラスカ大学に入学し、アラスカで暮らしながら多くの写真を収めました。そうして出版した写真集が高い評価を受け、写真家、探検家として有名になります。
また、写真集だけでなく多くの随筆も書いており、本書は彼が遺した随筆集のひとつです。
本書には33篇の随筆が収められていますが、その冒頭の9篇は著者からの手紙の形式で書かれています。
だから、この本を読みながらあなたはまるで、遠いアラスカの地にいる著者からの手紙を受け取っているかのような気分になれるというわけです。
それってどんな手紙なの? ってあなたは思うかもしれない。
手紙の内容は、主に著者がアラスカで見たものや感じたことの話。
そしてあなたも本書を読みながら、きっと色々なことを感じ、考えることになるでしょう。
その意味では、本書と最初に紹介した「ソフィーの世界」は同じだといえます。どちらも「哲学」の話なのですから。
哲学とは、いわゆる哲学書を読むことだけではないと僕は思うのです。専門的な哲学書じゃない本の中にもたくさん哲学はある。詩人だけが詩を紡ぐわけではないのと同じように
それは自然というものを理解することに似ているかもしれません。自然とは何か。それは、今目の前にあるこの一本の木のことなのか。それとも、この木があるこの世界全体のことなのか。どちらが大切なのかと聞かれたら、どちらも大切なんだとしか言いようがない、そういうものとして。
本書に収められた手紙の中に、こんな話があります。
アラスカの秋というのは、とても短いそうです。ピークはたったの一日だけ。それが過ぎると、長い長い冬になってしまう。
だけど、著者は言うのです。
自然が教えてくれること、それは一瞬の中に永遠があり、永遠の中に一瞬があるということ。
また、こんな箇所もありました。著者の奥さんが妊娠したのです。著者は言います。
多分あなたは、実は僕自身も今そうなのですが、別にこの著者のように大自然の中にいるわけじゃないでしょう。もっと都会的な環境の中にいる。そうして、時々自然を夢見たりするだけの、そんな生活をしている。
そんなのってまるで偽物じゃんか、と思うこともあります。でも、もしかしたら、そうじゃないかもしれない。
哲学者だけが哲学をするわけじゃないように、詩人だけが詩を呟くわけじゃないように、一本の木だけが自然なわけではないように、アラスカのような場所だけが自然なわけでもないように、遠くへ行くことだけが旅ではないように、永遠だけが時間なのでも、一瞬だけが時間なのでもないように、自然はこの大きな大地であるのと同時に僕たち一人一人であるように。
自然を感じるということはきっと、大きいものの中の小さいものに気づくことであり、小さいものの中の大きいものに気づくことだから。
そして、本書の魅力はなんといっても、解説で池澤夏樹が述べているように、本書の中には「幸福」がつまっていることにあります。
もちろん、幸福は主観的なものだけれど、でも、きっと、本書を読んだあなたはこの一冊の本の中にひとつの幸福を見ることができるでしょう。
それもまた、本書が一冊の哲学的な書物であると僕が考える理由です。
そう、哲学というのは本来「幸福ってなんだろう」と考えることだと僕は思うのです。多分、哲学と聞いてネガティブな感情を抱く人がいるとしたら、その人は哲学が幸福について考えることだということを知らない人なのでしょう。だって、きっと、幸福について考えることが嫌いな人なんて、いないでしょうから。
なんだか話がずれていきそうなので、これで最後にしますね。
最後にひとつ、あなたに問いかけさせてください。その問いかけとは「手紙って、どうしてもらうと嬉しいのだろう」ということ。
僕は思うのです。手紙というものが素敵なのは、言葉だけでない何かを誰かに手渡そうとする行為だからなんじゃないかって。言葉が嬉しいのではなく、その言葉に乗って届けられる何かが嬉しいんじゃないかって。
だから、この本を誰かに勧めたいのなら、この本がそうであるように、それは手紙でなければならない。そう思ったのです。
そんなことを考えていたら、今、大好きなある歌を思い出しました。
この本と、そして「ソフィーの世界」と、そしてその歌を、言葉に添えてあなたに贈ります。
それでは。