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せかい

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#若者

「諦める」がいちばんつらくね?



高校の頃から「教科書に名前を残す」と爆裂に豪語していたボクは(今でも初対面の人にいう)正直、「周りの目」が怖かった。

高校の頃なんて、この世界の、この小さな島国の、関西とギリギリ位置付けられてるかどうかの、たかが300人とかそこらの、たまたま同じ奈良の中の地区にいるその時の頭脳が一緒くらいのやつとしか出会わない。

要は、「めちゃくちゃちっセー世界だ」ってことだ。

そこで「どう思われるか」

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「”なにかありそう”で、なにもない」その名も・・

トイレの水飲むのやめた、世界です。

ネパールに1年間住んでました。ネパールでの1年間はこちらへ。

東京に住んで1ヶ月。

思い知らされるのは人生に”全て”はない。

全て幸せ。全て苦しい。全て・・・

きっと「幸せ」の中に不幸せが、「苦しみ」の中に喜びが、

いつだって存在している。

野村證券を辞めて親に心配をかけてきた学生時代の自分を清算しようと

挑戦した海外での起業。

積み上げてきた

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国が違えば人は変わる、でもちょっと待って。

ネパール に1年間住んでました。自分の店もあってそれはそれは楽しい毎日でした。

でも安定は一番の不安定で一瞬で積み上げたモノは崩れます。

日本に帰ってきて、東京にきて住んで2ヶ月が経ちました。

もう、環境でしか人間は変われないと思うほど環境の力は大きいです。

イヤホンから漏れる音楽も、ネパールなら会話のキッカケ、日本なら非常識。

あっちの常識はこっちの非常識、あっちの非常識がこっちでは常

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死にたいくらい

2020年5月22日、ネパールの首都カトマンズにて僕たちの終わりは来た。

2019年の7月15日にネパールに着き、居抜き物件を1年契約した。

クラウドファンディングで199人の支援者から163万円の支援を受け海外で起業した。

高校時代の友人とネパール人の従業員3人で店を始めた。

(高校時代の友人は父がネパール人、母が日本人のハーフだ)

メニュー作りから価格設定、店の内装から全ての配置も自

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