「諦める」がいちばんつらくね?
高校の頃から「教科書に名前を残す」と爆裂に豪語していたボクは(今でも初対面の人にいう)正直、「周りの目」が怖かった。
高校の頃なんて、この世界の、この小さな島国の、関西とギリギリ位置付けられてるかどうかの、たかが300人とかそこらの、たまたま同じ奈良の中の地区にいるその時の頭脳が一緒くらいのやつとしか出会わない。
要は、「めちゃくちゃちっセー世界だ」ってことだ。
そこで「どう思われるか」が怖かったんだ。めちゃくちゃね。
今学生とか社会人2年目とかで「俺の人生終わったわー」て言う瞬間がある人ってめちゃくちゃいると思う。もう、個人単位で見たらめちゃくちゃ落ち込むことたくさんあると思う。
オレも中学でいじめられてる時は毎日が辛かったし、
「オレの人生終わったな・・」てまじで思ってたよ。
でまあ大学生になってからは、だいたい関西にいる奴らがわーと集まってきて、一気に世界が広がるから「うおおお大学生すげええ」ってなってた。
めちゃめちゃバイトにも打ち込んだし、ネットワークビジネスもしたし、彼女とヤりまくってたし、ホストもやってたし友達とBarやってたりした。
もう「人生の夏休みだぜうえい」みたいな感じで曜日も時間も関係なく会いたい時に友達にあって、道頓堀の橋の下でいつの間にか倒れてて、靴が一足なくなって裸足で奈良のいえに帰った事もある
そこでも「オレは教科書に名前を残したいねん」って言うと「お前ほんま痛いな」って言われたし、「お前なんかで教科書載れたら誰でも載れるわ」って言われた事もある。
でもそう言い続けてると、周りはいつのタイミングからか批判はせずに応援してくれるようになる。
「あれ、オレ言ってる事変わってないんだけど」と
そりゃまだまだ道半ばって言えるほどの道も歩んでないけど、高校生の頃から信念は変わっていない。でまあオレの話はいいとして。。。
何が言いたいかって、「周りに面と向かってなんか言われたことある?」と言うことを聞きたい。
オレはその大学生の頃に一度言われたくらいで、それ以外はない。
これってどう言うことかって言うと、「周りの目」て言うのは自分が”外の自分”と”中の自分”がいたとして「”外の自分が創りあげてるモノ”」だなと思った
要は、人ってそんな批判されてないんだよ。てか言ってたとしても飲み会で次のハイボールがきたら忘れてるくらいのもん。
でこの「周りの目の正体」って被害者ぶる”外の自分”が作り出してるモノ、つまり自分の目なんだよ。
だから「周りの目が怖くて挑戦できないやつ」って言うのはシンプルに「自分と向き合えてないやつ」だと思うんだ
それは周りじゃなくて、お前の目だよと
別に、誰が挑戦しようがしなかろうがオレには何の関係もないからどうだっていいんだけど、おもしろいやつが周りに集まって欲しいし、誰よりオレがそうなりたいからちょっと考えてみるよ
で選択を迫られる機会がきたとして、
例えば「転職するかしないか」
みたいな問題に出会った時に「”外の自分”と”中の自分”どっちを優先したいか?」で考えるんだよ
「周りからの目=外側の自分の見え方」が気になるならそっちを優先するべきだけど、それで「いや、でもな」って思うなら”中の自分”の圧勝だぜ?
だってそれって「ホントはやりたいけど周りの目が」ってことじゃん?
でこれで中の自分を優先せずに諦めるとするじゃん。
自分の立ち位置は動いてないのに、世の中は動くし周りは動くからどんどんあきらるって言う選択肢の色が濃くなってくんだわな
もっと大勢に伝わるように言うと
「ジムに行く」って決めてて、めんどくさいから行かなかった時
「今日はカフェで1時間勉強する」って決めた時、休みの日とかね
ジムに行かなかった時、カフェに行かなかった時。めちゃくちゃ後悔しない?
オレサラリーマンの時の日曜ずっとこれで、
「うわ〜今日もずっと寝てただけや。何してんねんおれ」って。
この「諦める」と言う行為で自己肯定感を勝手に下げて、休日から平日へって言うスイッチも入れ直さないといけない。
こんなんすぐ燃費が悪くなる車みたいに、「体の寿命」の前に「心の寿命」が消えちゃうよ
そう、「諦める」って言う行為が実はいちばん辛いんだよ
めちゃくちゃ辛いんだよ。
でこれで諦めること覚えたら諦めてることにも気づけなくなって、いつの間にか他人の悪口とか、芸能人の不倫とか石田純一のことに物申してんだよ
「お前の人生に石田純一が25歳のビッチ連れて帰ろうが関係なくない?」
「渡部がトイレでヤってたとか、なんか関係あんの?佐々木希の親友とか?」
で、この諦めるっていう行為は気づかないうちに慣れる。
人間の「”慣れ”」って言う能力はいい時も悪い時もパワーがでけえ。
別に、親にもお世話になってる人にも事業メンバーにもこのnote書けって言われてる訳でもないのに平日は毎日更新するようにしてる
「自分ルール」を作って「諦める」っていう感覚を近くに持つ。
「諦める」ってのがいちばん辛くて、「慣れる」とその辛さにも気づけなくなるんだよ。
痛みを感じない人なんて人じゃねえ。
オレは人の痛みをわかるやつでいたいし、自分の痛みも等身大に吐く。
病む時は病むし、落ち込む時は落ち込むし、飲む時はおもっきり飲む。
それでばかにされたって関係ねえし、理想の自分が遥かとーくにいようともこの足を止めない。誰よりも人間でいたい。人でいたい、ありたい。
人間くささ、人らしさを失ったらオレなんて自然と地球温暖化に悪影響を及ぼすだけのCO2以下の人間だ。その場合は死んだほうがいい。
要は周りにいる「走り続けてるやつ」とか「夢をおってるやつ」は諦めるほうが辛いじゃん。。。て言うのがわかってるから走ってんだよね。
でまあ人それぞれの人生だからこれが最後の言葉になるけど、
「どうせ苦しむならやりたいことやったほうがよくない?」
またこんな話をしよう
ほなまた。