音楽絵巻「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
「秋の連続投稿チャレンジ」
Note公式より
ということですので、わたしも便乗して、記事を四つ、頑張って書きたいと思います。
お題はたくさんあるのですが、
という題が「読書の秋」のテーマとして取り上げられています。
ですので、私がフォローしている方の中から四人の方だけを厳選して、記事から受けたインスピレーションをもとに、新しい記事を書いてみることにします。
最初の記事は、ドイツの伝説的なトリックスター「ティル・オイレンシュピーゲル」が没したといわれる、北のデンマークと隣り合ってるドイツ北部、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の南の街メルン Mölln をたくさんの素敵な写真と共に素敵な文章で紹介された記事です。
ティル・オイレンシュピーゲルとは?
トリックスターは、悪戯や悪さ(犯罪を含む)をして、周りに迷惑をかけるけれども、そのような迷惑行為が世界を激変させる重要な役割を担う人のことです。
プロメテウスのようにゼウスから火を盗んで人類に火を与えることで、人類の歴史を変えてしまったり(もちろんゼウスは起こってプロメテウスに厳罰を与えました)
シェイクスピアの喜劇「夏の夜の夢」の妖精の王オベロンの使い魔パックのように、間違った相手に魔法をかけて恋人たちの間に大騒動を起こしたり(最後には恋人たちはハッピーエンド)
古事記のスサノオのようにアマテラスに悪さして、アマテラスを引きこもりにしてしまったり(アマテラスはスサノオを地上に追放)
これらが代表例。神話や物語ではなくてはならない存在。
新しい何かを作り出すためには「壊す人」が必要なのです。
身近な映画や漫画などでも、トリックスター的な役割を担うキャラは必ず存在しますよね。
子どもたちが大好きな「それいけ!アンパンマン」のバイキンマンも、役割的にはトリックスターです。
バイキンマンが悪さをしてアンパンマンが解決、という予定調和がウケるのですが、バイキンマンがいないと、アンパンマンは正義のヒーローとして活躍できないのです。
ドイツの「ティル・オイレンシュピーゲル」は民話として語り継がれて、日本の「一休さん」や「吉四六さん」のような存在として親しまれています。
ドイツ人は、子どもの頃にいたずら者の「ティル・オイレンシュピーゲル」のお話を必ず学ぶのだそうです。
そういう立ち位置の伝説的人物。
何度も映画にもなっていますが、どの映画もドイツ製。
残念ながらドイツ語だけなのですが、このトレイラー、なかなか面白い。
ティルがどんな人として愛されているのかがわかります。ご鑑賞ください。中世ヨーロッパの暮らしぶりをたったの1分40秒の中で堪能できます。
いたずら好きの迷惑をかける人物だったけれども、次第に尾ひれがついて、知恵者として愛されるようになっているらしいです。
一般的にティルは、中世の宮廷道化師の恰好で登場します。
職業はやはりエンターテイナーだったのでしょうか。シェイクスピア悲劇の「リア王」の道化師と同じ装束です。
歴史的人物のティルについては、実在していなかったという説も根強いのですが、そうであったとしても、ドイツの民衆たちが生み出した愛すべき人物であることには変わりありません。
という名前は意味深く、フクロウは「知恵者」の象徴で、鏡は「自分を映し出す道具」。
「ハリーポッター」で白いフクロウを魔法使いハリーが連れていることは意味深いことなのです。ヘドウィグはハリーの知性の象徴なのです。
つまり、「オイレンシュピーゲル」という名前には、知恵者ティルがいたずらを通じて、世の不正や偽善や不正義を暴き出すという意味合いもこめられていると考えられます。
ティルの荒唐無稽な言動や常識はずれな振る舞いから、本当の自分自身の姿が見えてくるというわけなのです。
したがって、伝承されてきたティルの反社会的ないたずらには、本来、なんらかの社会批判が込められていたのです。
ティルが実在していたとすれば14世紀の人なのだそうで、まったく一休さん(一休宗純 1394-1481) と同時代人。
ティルの伝承の始まりは15世紀に書かれた本が由来。
つまりティルの死後数十年もしてから、ティルの伝承が本としてまとめられたというわけで、歴史的なティルの本当の姿は誰にもわからないのです。
一休さんの場合も、室町時代の破戒僧が江戸時代に「とんち話」の主人公として選ばれて愛されるようになった人でした。
「とんち話」の一休さんは、史実の一休宗純とはかなり違います。この点も民話のティルと同じ。
また、ティルの棒弱無人な振る舞いと生き方は、同時代の有名なピカレスク文学「ガルガンチュアとパンタグリュエル」と比することができます。
「ガルガンチュアとパンタグリュエル」は、フランスの人文学者フランソワ・ラブレー (François Rabelais 1553年没)の書いた教会批判文学です。
あまりに教会批判が痛烈なために「ガルガンチュアとパンタグリュエル」は禁書になりました。
16世紀のヨーロッパは教会権力があまりにも強くなりすぎた時代でした。
農民たちを搾取する聖職者たちは肥えて、贅沢三昧。
教会に貢がねばならない庶民は、食べるものがなくてやせ細り、年貢を搾り取られるだけの存在でした。
ラブレーはたくさん食べている聖職者たちを弾劾する「糞尿譚」を物語に詰め込むことで(たくさん食べるとたくさん排泄します)、当時の宗教権威を痛烈に批判したのでした。
オリジナルのティルの物語もまた、「ガルガンチュアとパンタグリュエル」同様にピカレスク文学(悪党文学=悪者を描写することで社会の不合理や偽善を批判する文学)だったのではとも考えられています。
ピカレスク文学は中世に流行った騎士道物語のパロディで、「ガルガンチュアとパンタグリュエル」もまた、スペインのセルバンテスの「ドン・キホーテ」と同類の文学なのです。
ティル・オイレンシュピーゲルは何人もいた?
そういう伝説上の人物なので、ドイツ各地にいろんな物語が残されていて、どれが歴史的に正しいものなのかを検証することはノンセンスです。
最初に紹介したティルの街メルンは「ティル・オイレンシュピーゲル」が没した街として知られているのですが、ティルはメルンではなく、別の土地でいたずらが祟って犯罪者として処刑されたという伝承も存在しているほど。
わたしはむしろ、最後に処刑されてしまうお話に親しんでいるのですが、それはドイツ後期ロマン派の大作曲家リヒャルト・シュトラウスが
という曲を書いたからです。
1894年から書き始められて1895年に完成された、作曲者30歳の作品。
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」とドヴォルジャークの「新世界交響曲」が書かれたのは二年前の1893年でした。
ドビュッシーの革命的な「牧神の午後への前奏曲」は翌年の1894年の作品。マーラーの超大作の「第二交響曲」が完成したのも1894年。
後期ロマン派が終わり、新しい時代の音楽が今まさに始まろうとしていた時代の音楽、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル」は後期ロマン派音楽の大傑作なのです。
音楽だけ聴いていると、楽しい冒険譚のようですが、ピカレスク文学として教会権力が強くなりすぎた社会に立ち向かう英雄という視点からこの物語を読み解いてみると、実はもっと深読みのできる音楽ではないかとさえ思えてくるのが不思議です。
リヒャルト・シュトラウスの音楽
作曲家リヒャルト・シュトラウスは、自分には音で描写できないものはないと豪語したほどの描写音楽の大天才でした。
彼の音楽はあまりに視覚的。
音のジェスチャーや聴き手の想像力を煽る豊かな楽想の表現力の幅の広さには舌を巻きます。
でもあまりに外面的な表現にこだわりすぎたために、深みに乏しいともよく指摘されます。
ですが、のちの時代の映画音楽に通じるエンタメ音楽としては類まれなく素晴らしい。
特にコンサートホールで聴くと、後期ロマン派の爛熟したハーモニーと見事な楽器使用法を駆使したモダン・オーケストラの機能美を心から堪能できます。
「ティル・オイレンシュピーゲル」はそんなシュトラウスの数ある交響詩の中の最高傑作のひとつ。
なので、ドイツの名指揮者たちはこぞってこの曲を演奏会で取り上げるのですが、ティル・オイレンシュピーゲルという伝説的人物がドイツ国外で親しまれていないためか、ドイツ以外の国ではあまり演奏されない音楽です。
この投稿ではリヒャルト・シュトラウスの音楽をAI画像を駆使して解説してみたいと思います。視覚的な音楽なので、絵を使って表現すると、どのような音楽なのかが「一目」瞭然です。
曲構成は、交響曲同様に起承転結ですが、ここでは八つの場面に分けて紹介したいと思います。
曲の構成
曲の構成を知っている知っていないで鑑賞理解度が全く変わります。
クラシック音楽は再現芸術という、シェイクスピア演劇のように、お話を前もって知ったうえで、そのお話がいかに上演されるかを楽しむものです。
「ロミオとジュリエット」を見れば、バルコニーシーンがいかに演出されて、ジュリエットがどんなふうに
とか
という名セリフがいかにしてジュリエット女優に語られるかを鑑賞するものです。
お話を知ることはネタバレではなく、お話を分かったうえで「どのように」演じられるかを楽しむのが、古典芸術の楽しみ方です。
さて交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル」はティルの四つの「いたずら」をめぐって物語が進行します。
プロローグ(起)「昔々、あるところに」
第一の悪戯:(承)馬で市場に乗り入れるティル:市場の人たちはカンカンになって怒ります
第二の悪戯:教会の牧師の真似をして、お布施をくれた人の罪を許します
第三の悪戯:(転)美しい貴婦人に言い寄りますが、拒絶されて、世を呪います
第四の悪戯:街の護衛兵たちをからかって追いかけられます
裁判:(結)捕らえられたティルは法廷に連れてゆかれて、裁判官を兼ねていた聖職者に裁かれて
処刑:あっという間に死刑宣告を受けて、絞首刑に!
エピローグ「昔々、あるところに」
「ティル・オイレンシュピーゲル」は物語に沿って音楽が展開される標題音楽なので、前もって知っていると聴く愉しみが倍増します。
録音としては、東ドイツ(当時)の名門管弦楽団シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した、シュトラウス指揮者として有名だったルドルフ・ケンペの録音をここで紹介しておきます。
この曲はドイツのオーケストラ演奏で聴くに限ります。
全曲続けて聴きたい場合はこの動画をどうぞ。
模範的なケンペ版がお気に召されれば、曲中テンポが激変して音楽を極度にデフォルメするフルトヴェングラー指揮ベルリンフィルによる1951年版もご鑑賞ください。
ちなみにこの作曲家を呼ぶのに、必ず「リヒャルト」をつけるのは、有名な「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世と区別するためです。
音楽絵巻「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル」は
という音のジェスチャーで始まります。
という印象的なメロディは「むかーし、むかし、あるところに」の音型。
曲の一番最後に再び引用されて、全曲を閉じる役目も果たします。
<1>ティル登場
主人公ティルの主題が「むかーし、むかし」のすぐ後に登場します。
「むかーし、むかし」が偶数拍の八分の四拍子だったところが、八分の六拍子の複合二拍子に変化。こういう飛び跳ねる拍子は、まったくいたずら者のティルにふさわしい。
フレンチホルンが主にティルの動作を表現します。
ホルンの音が聞こえると、ティルが何かをやらかしているぞ!という意味なのです。
ケルン放送交響楽団(WDR)の1分7秒(1:07)までがティルの紹介の場面。
できれば動画をそこで止めてください。
1分7秒(1:07)からのクラリネットの動機、これはティルの高笑いを意味します。
ティル第二の動機。
登場のモティーフと高笑いのモティーフ。
この二つの音楽が曲中何度も登場しますが、登場するたびに変奏されていて、ティルの気分の変化を表現しているわけです。
<2>市場にて:第一のいたずら
やがてティルは町の広場にたどり着きます。
中世の広場なので、街の真ん中の飲み水を汲める噴水などがあり、当時の社交場として大事な場所。
靴屋や肉屋や野菜や果物を売る商人たちが市を開いているのです。
動画は2分52秒(2:52)から始まります。
ここで音楽が荒れ狂います。
馬に乗ったティルが市場をめちゃくちゃにしてしまうのです。
露店に並べられている商品は散乱して、みんな大迷惑。
ティルは逃げ回ります。
このように、市場を荒らして大騒ぎして、ティルが逃げ出してゆく情景の音楽が奏でられます。
3分43秒(3:43)まで。
<3>牧師のふりをする:第二のいたずら
市場を抜けると音楽がまた「くつろいで(Gemächlich)」という音楽に戻ります。場面転換です。
そこでティルは教会の牧師さんのふりをして、街中でお説教をしたりして、お布施を巻き上げるのです。
なんとものどかな音楽が流れるのですが、ティルは偽牧師。
クラリネットのティルの高笑いがこの場面の主役。
みんなティルが偽物であることに気が付かないことをティルがあざ笑っているということです。
4分15秒(4:15)から、動機が何度も変奏されます。
やがて高笑いは優しくヴァイオリンで奏でられるようになりますが、それは大笑いしていたティルが牧師さんの真似をしていたことがばれて、逃げてゆくティルが薄ら笑いをしているという表現です。
やがて音楽は盛り上がって、ティルの正体がばれてしまったことを表現。
<4>騎士のふりをしたティルが美女に言い寄る場面:第三のいたずら
5分2秒(5:02)からは、長く駆け下りてゆくヴァイオリンソロが登場して場面転換。
美しい女性にティルが言い寄るジェスチャーがヴァイオリンのメロディ。
これが求愛の動機。高笑いの動機と音型がよく似ていることでティルであることを暗示しています。
ここからは女の人との愛のささやきとなりますが、あまりロマンティックではありません。ティルはドンファンのように愛を囁くにふさわしくないということでしょう。
愛の遍歴者「ドン・ファン」はリヒャルト・シュトラウスが「ティル・オイレンシュピーゲル」の前に作曲した音楽です。
6分6秒(6:06)では女性がティルの告白を「ごめんなさい」と受け入れてくれません。
ティルの愛の言葉が本当ではなかったことがばれたということなのでしょうが、ティルは激怒して、次のいたずらへと向かいます。
6分37秒(6:37)で場面転換しますが、その直前に変奏されたティルの動機がフォルティシモでホルンによって奏でられて、高笑いの動機が登場して去ってゆきます。
ティルの悪意が表出されています。
<5>逃走:第四のいたずら
ここからはティルが街の衛兵たちをからかい、武装した兵士たちに追われる場面。
追いかけっこは音楽で描写するのに持って来いの場面。いろんな音楽が入り乱れる楽しい場面。
9分30秒(9:30)では再びティルの動機がホルンのソロで高らかに鳴り響きますが、これが最後の悪あがき。
ティルの逃走をカッコよく歌う上げて、巨大なクライマックスをオーケストラが形作りますが、どんなに偉ぶって見せても、悪いのはティル。
最後には捕まって、法廷に連れてゆかれてしまいます。
<6>法廷にて
11分52秒で追いかけっこの音楽がクライマックスに達すると、音楽は急転。
ドラムが鳴り響いて、裁きの場の場面となります。
リヒャルト・シュトラウスの作曲技法が冴えわたります。
金管楽器が審判の裁きを表現します。
トロンボーンは中世の教会音楽の伝統では、最後の審判の楽器として「裁き」を象徴する音楽でした。
モーツァルトのレクイエムで印象的に使われていた、あの神の裁きのラッパです。
でもティルは自分は悪くないとうそぶいて(高笑いの動機が登場)無関心を装います。
この場面では太鼓に支えられた金管楽器の大合唱とティルを表す木管楽器が交互に出てきて、法廷の罵声と反省しないティルとの対話のようで素晴らしい。
金切り声のようなクラリネットが鳴り響きますが、これは通常のB♭のクラリネットよりも小さなD菅クラリネット(より一般的なE♭菅が使われることも)が使用されているためです。
小さなD菅クラリネットの甲高い音色は、ティルの法廷における反論を表現していて、次第にティルの声は断末魔のような響きへと姿を変えてゆきます(12:25)。
そうして音楽は大きくなって、一気に法廷から処刑場へと転換。
<7>処刑
12分39秒(12:39)からドラムロールが鳴り響く中、金管楽器が運命の動機を強奏!処刑の決定を告げるトロンボーン!
D菅クラリネットの支離滅裂な半音階の金切り声はティルの叫び声。
13分付近のクラリネットは首をくくられて死んでゆくティルの最後の叫び。だんだん弱弱しくなってゆく。
中世の処刑では広場に設けられた処刑台(Garrows)に首をつるされるのでした。
<8>エピローグ
13分27秒からは冒頭の「むかーし、むかし」の動機が回想されて、
と物語を締めくくるのです。
こんなお話がありましたよ、とオーケストラは何度も「むかーし、むかし」の動機を繰り返します。
でも一番最後のコーダは加速して、もう一度、ティルの高笑いの動機が回想されて、全曲が締めくくられます。
ティル・オイレンシュピーゲルはこうして散々いたずらをして、捕まって処刑されて、伝説になったのでした…
というのが、リヒャルト・シュトラウス版「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」でした。
処刑されて死んでも高笑い。
そして処刑されても、実は死んでいなかった(?)ということで、北ドイツのメルンでは、ティルが死んで遺言を残したという伝承さえもあるのです。
どちらがほんとなのやら。
いずれにせよ、ティルの伝承を音楽として見事に描写した大作曲家リヒャルト・シュトラウスの音楽は最高級のエンタメ音楽です。
もしこの音楽があなたの近くの街で演奏される機会があれば、ぜひチケットを購入して演奏会場で音楽絵巻「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を楽しまれてください。
シュトラウスの交響詩は、スマホやタブレット、家庭用のステレオなどでは残念ながら本当の凄さを味わえない音楽なのですから。
その他のおとぎ話
おとぎ話を音楽にした有名な例では、
グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」→ エンゲルベルト・フンパーディンク・歌劇「ヘンゼルとグレーテル」
ペロー童話「美女と野獣・親指トム」→ モーリス・ラヴェル「マ・メール・ロワ」(英国の「マザー・グース」はフランスのペロー由来です)
グリム童話「青ひげ」→ バルトーク・ベラ「青ひげ城」
などがよく知られています。
「なぞなぞ」が物語の大きな山場となっているヴァーグナーの楽劇「ジークフリート」がメルヒェンオペラの元祖。
台本を書いたヴァーグナーのオリジナルなおとぎ話として楽しめます。
バルトークは「恐怖版」グリム童話!めちゃくちゃホラーな音楽。
ロッシーニの「シンデレラ(チェルネントラ)」は台本がことごとく改変されていて、童話らしさに乏しいので(「かぼちゃの馬車」を作曲家ロッシーニは台本作者に指示して削除しました)ここでは除外しました。
また童話ではありませんが、リヒャルト・シュトラウスは、ティルと同じピカレスク文学の大傑作「ドン・キホーテ」を、チェロ(キホーテ)やヴィオラ(サンチョ)をソロ楽器として扱う、素晴らしい交響詩に仕立て上げています。
これらの音楽についても、またいずれ紹介いたします。
「ティル・オイレンシュピーゲル」の意義
ティルは教会権威に対して反逆したピカレスク・ヒーローだったという視点からティルのやったことを考えたとき、牧師のふりをしてお金を巻き上げたことも、実は教会が信者からことあるごとにお金を要求していたことへの批判だったとも考えられます。
ティルがトリックスターなのだとすれば、ティルが行った反社会的行動は何らかの形で世界に影響を与えたはずです。
ドイツの神学者マルティン・ルターは1517年に免罪符の販売を批判しましたが、実在していたとすれば、ティルはルターのほぼ同時代人です。
免罪符とはお金に応じて、個人の犯した罪が許されるという仕組み。
ヨーロッパ語では、「罪」は
と区別されますが、実際のところ、お金持ちは何をしても、どちらの罪も許されたわけです。
ルターが痛烈に批判して生涯をかけて戦うことになる、カソリック教会の聖職者たちのふりをして、ティルは「悔い改めたいならば、お金を教会に収めなさい」と無知な民衆(教育を与えられていなかったから)に説いたわけです。
聖職者たちがしていることはおかしなことなので、自分が真似して何が悪い?というところでしょうか。
ティル・オイレンシュピーゲルという人物は、中世の終わりの世の腐敗を映し出す賢明な鏡(オイレン+シュピーゲル)だったといえるでしょうか。
これが中世終わりにドイツにいたとされる「ティル・オイレンシュピーゲル」のお話でした。
メルンで天寿を全うしたのか、いたずらが過ぎて処刑されたのか、誰にもわからないのだけれども。