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舞に酔いしれる妖精たち:最もメンデルスゾーンらしい音楽
古典的なものは健康的で、ロマン派的なものは病的であると喝破したのは「若きヴェルタ―の悩み」の作者ヴォルフガング・フォン・ゲーテでした。ヴェルタ―は世界文学史上もっとも病的な青年ですよね(笑)。 シューマンやショパンのロマンティックな音楽はまさに病的ですが、メンデルスゾーンの音楽は非常に健康的。わたしは彼の作風を「健康的なロマン主義」とゲーテの言葉に矛盾する表現で言い表しますが、「現実世界にはないものを追い求める、現実に手に入らぬものを探し求める」というロマン主義の特徴にメンデルスゾーンがそぐわないのは、富・名声・才能の全てを生まれながらに持っていた彼の人生には病的な苦悩は無縁だったから。 何でも持っていたので何も求める必要がなかったメンデルスゾーンの人生の主要動機は「幸福な人は誰にでも親切である」という他者への好意。育ちが良すぎるのも問題なのかも(笑)。 病的な要素の欠如がメンデルスゾーンの音楽の不人気の主因なのですが、それでもメンデルスゾーンがドイツロマン主義を体現する大作曲家なのは、古典的な健康美を誇るシェイクスピア喜劇のようなファンタジーを音楽にすることができたから。 幻想的な森を音楽で最初に表現したのがカルロ・マリア・フォン・ヴェーバーならば、メンデルスゾーンはヴェーバーの正統なる後継者。オペラ「オベロン」を書いたヴェーバーの衣鉢を継いだメンデルスゾーンは妖精王オベロンではなく、王に仕えるトリックスター、ホブゴブリンのパックを音楽において永遠化したのです。 劇付随音楽「夏の世の夢」と序曲は、私見ではメンデルスゾーンの最高傑作。これほどにメンデルスゾーンらしさと彼の魅力で溢れている音楽は在りません。クラシック音楽に無縁でも誰でも知っている壮麗な「結婚行進曲」、明るい月夜の「ノクターン」にソプラノが歌う可憐な「妖精の歌」など、いいとこのお坊ちゃんであるメンデルスゾーン以外には決して書けなかった不滅の音楽です。 なかでも最もメンデルスゾーン的だと思うのがパックのダンスを表現したスケルツォ。初期ロマン派の音楽家シューマンやショパンやリストなどはそれぞれ独自のやり方でリズムを活かした音楽を書きますが、スケルツォの原義「諧謔」という言葉に最も忠実な音楽が書けたのがメンデルスゾーンでした。無邪気なほどに軽やかに優雅に舞う音楽こそが最もメンデルスゾーンらしい音楽。 紹介した動画はミュージックビデオとしてなかなかの出来。最初はラフマニノフによるピアノ編曲版を選んだのでしたが、この動画の動物たちや妖精の踊りが素敵だったので、この動画にしました。 「夏の世の夢」はいろんな作曲家によってバレエになっていますが、以前見た舞台ではクライマックスでメンデルスゾーンのスケルツォが突然登場して劇場は大きな笑いに包まれました。妖精パックのための音楽の最高傑作、何度聴いても楽しくなって知らずに体を揺らしてしまう。生きていることは純粋に肉体的な喜びなのだということを思い出させてくれる最良の音楽です。
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クリストフォリによる世界最初のピアノで奏でるスカルラッティのソナタ
イタリアルネサンス期にローマ教皇を生み出し、ダ・ヴィンチやミケランジェロやガリレオ・ガリレイを養い、フィレンツェの君主として長く君臨したメディチ家に雇われていた楽器職人が、バルトロメオ・クリストフォリでした。 当時のメディチ家は衰退期にあり、1737年にはメディチ本家は家系断絶。しかしながら、史上最大の芸術パトロン最後の矜持か、クラシック音楽の象徴ピアノを最後に生み出すことに貢献したのち、歴史の表舞台からは姿を消してゆきます。 さて、クリストフォリ。世界史の試験にも出てくる有名な名前なのですが、実際にクリストフォリピアノの音を聴いた人はほとんどいないと思います。 でも21世紀、こうしてYouTubeから普通に見れて聴けてしまう。博物館の楽器を修理して特別に演奏に使用された歴史的楽器の音、いかがでしょうか? 弦を弾いて音を出すハープシコードでは強弱弾き分けは無理なのでアクセントは音符の長さを変えることで表現していました。強弱弾き分け(イタリア語でフォルテとピアノ)ができることは画期的だったのです。だから新しい楽器はフォルテピアノと呼ばれるようになりました(のちにピアノに短縮)。 クリストフォリピアノは発明されたイタリアでは流行らずに、JSバッハの協力を得たドレスデンのジルバーマンによって改良されて、プロイセンのフリードリヒ大王に買い取られて、ドイツ・オーストリアの楽器として発展してゆくのです(その後、ロンドンでさらに進化)。 文献上で確認できる1700年頃に作られた世界最初のフォルテピアノは現存しませんが、クリストフォリはその後も改良を続けて、1720年製のピアノが世界最古のピアノとして知られています。ウナコルダ機能(ソフトペダル)付き!日本史でいえば享保の改革、徳川八代吉宗の頃。 クリストフォリピアノはペタペタという音が柔らかで繊細でいいですね。ジルバーマンピアノの音はもっと力強くて劇的効果に富みます。スカルラッティ屈指の名作であるニ短調ソナタ。典雅な調べです。
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懐かしい笛の音によるハンガリー田園幻想曲
昨日バルトークの「チーク地方のハンガリー農民の歌」を紹介しましたが、ハンガリーのメロディが日本人に親しいのは、わたしたち大和民族がペンタトニック・ヨナヌキ音階に郷愁を感じずにはいられないから。 ハンガリーのマジャール民族は本来ウラル山脈系の人たちで、モンゴルが訛ってマジャールになったということですが、アジア的な人たちとヨーロッパ的な人たちが交じり合って生まれた人たちでした。ハンガリー文化の特殊性は特筆に値します。9世紀ごろ(日本の平安時代)に移住したのだとか。 大作曲家バルトークはハンガリー音楽の特徴を農民の歌を収集することで発見した偉大な民族音楽学者でしたが、バルトーク以前の19世紀の音楽家たちは理論では理解できなかったけれども、なにげに独創的なハンガリー風な響きを芸術音楽の中に取り入れていたのでした。 1848年のパリの二月革命に連動して起きた「ハンガリー革命」に参加したハンガリー人レメーニ(ヴァイオリニスト)と演奏旅行を行った二十歳のドイツ人ブラームスは、レメーニが得意としたジプシー(ロマ)音楽をコピーして、のちにハンガリー舞曲集を出版。ベストセラーになってブラームスは大金持ちに! 余りの売れ行きに嫉妬して盗作だと怒ったのがかつての盟友レメーニ。裁判に訴えますが楽譜には「編曲」と書かれていてブラームス勝訴。それくらいにハンガリー音楽は魅力的でした。 リストの作曲の弟子フランツ・ドップラーはハンガリー音楽の魅力いっぱいのフルート曲を作曲。フルート奏者でこの曲を知らぬ人はいない!と言いたいところですが、なぜか欧米ではこの曲は人気がない。日本限定ではフルート奏者で知らぬ人のいない名作なのに。ハンガリー風(東洋風)なため? 途中でハンガリー農民が踊る歯切れの良い舞曲になります。歌うことに特化したフルート音楽が多い中、極めて珍しいフルートの舞曲。笛は踊りにも似合います。これ以外のフルートの名作舞曲ってバッハのソナタくらいしか思いつかない。 SP録音復刻のマルセル・モイーズの1930年代の録音は「泣けます」。こんなにも感動的な名演奏はあり得ないと思えるほどに懐かしい音色と節回し。モイーズは生粋のフランス人ですが、ハンガリーの郷愁の調べは国境を越えてゆくのです。日本人ならばみんな好きになるハンガリーの田舎の歌。
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サハラ砂漠の夜明けのノクターン by かてぃん
CGでなんでも背景を作り出せてしまうAI時代に「あえて」北アフリカの広大なサハラ砂漠の片隅まで行って、夜明け前の砂丘の上に小さなグランドピアノを設置して、自作のノクターンを弾いた Cateen こと角野隼人さん。 「もっとも空に近い場所に行きたくて、モロッコの砂漠で撮影しました。今までで一番鮮やかな空でした。夜明けへの希望と祈りを込めた曲です」というご本人の言葉。 "Please... Draw me a sheep..." (ねえ、羊の絵を描いてよ) って小さな男の子が後ろから呟いてきそうな絵になる情景。 星空と朝日が混じり舞う神秘的な夜明け… サン=テグジュペリがいみじくも語ったように、蜂蜜色の大地の上のピアニスト! でも自分としてはグランドピアノを砂漠の真ん中まで持っていった現地スタッフ大変だったろうなと、いかに撮影したかという点ばかりが気になってしまう。映像作品そのものよりも、作品がいかにできたが気になって仕方がないのは、作品を作る難しさを日々実感しているから。 効果的な照明が神秘的な雰囲気を醸し出しています。やがて淡い光を放つ星たちを眠らせる、本当の朝日が差してきて… 日が昇る具合に合わせていつくかの動画がまるで一度で演奏しているかのように巧妙につなぎ合わされているのも見事。 撮影スタッフ、ビデオ編集の皆さんご苦労様。素晴らしいミュージックビデオです。 Cateenのピアノ演奏にはいつもながら文句なし。夜明けのノクターンは夜の終わりの歌。砂漠の夜明けはよく冷えていても、真昼には灼熱の大地へと変貌する。そんな不思議な世界に響く微妙な転調とよく踏まれたペダルの残響が美しい。 こうして多くの人に支えられて支えてもらって作品を作り出しているCateen!ご本人は平仮名で「かてぃん」と綴る。英語読みはカティーン、フランス式では「かてぃん」かな。なかなか興味深い。 どういう由来のハンドルネームだろうと思って調べると、ゲーム「太鼓の達人」の登場人物「かっちゃん」をもじったのだそうです🧐。 今日も素敵な朝になりますように!
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神童マーラー学生時代(16歳)のピアノ四重奏曲イ短調
フレデリック・ショパン死後に出版された「葬送行進曲」(作品72)が作曲されたのは、1827年の妹エミリアの死の頃らしいが、妹の死がきっかけで書かれたかどうかの確証はない。ショパンは家族と一緒だったので手紙がない。友人たちにも何も書いていない。それほどにショックだったのだろう。 そもそも生涯病弱だったショパンは子どものころから病弱だった。成人しても170センチの背丈なのに45キロほどの体重しかなかったという。演奏会を開いても、大きな手に恵まれた身長185センチの健康児リストの剛腕に遠く及ばなかったのは当然だ。ピアノソナタ「葬送」を書いたのも、いつ死んでもおかしくないショパンには死があまりにも親しい存在だったから。 音楽史で同じように死の想念に憑りつかれていた人物にはグスタフ・マーラーとドミトリー・ショスタコーヴィチがいる。 マーラーの場合はショパンほどには病弱ではなかったけれども、14人の兄妹のうちの半分以上が子供時代に亡くなっている。死は子どもの頃のマーラーにとって日常だった。ショパン以上に死はマーラーに親しいものだった。 わたしは健康に恵まれていて、きわめて健康的な家系に生まれたために、ショパンやマーラーの人生に感情移入することは難しい。これまで大きな病気や怪我を半世紀も生きて一度も経験したことがない。まだ家族の誰も死んでいない。 ショパンに親しみを感じない理由はこのあたりに原因があるのだとようやく思い至った。健康的な長い生涯を送ったハイドンやバッハが大好きなのも、自分と似通っているからだろうか。ハイドンやバッハだけ聴いていると百歳までも生きてゆけそうだ。そういう健全な精神の音楽なのだから。毎日が楽しい音楽。 でもハイドンやバッハとは対極のマーラーには共感している。死への思いが青年の夢想のように観念的で、ショパンの音楽に色濃く反映されている死のリアルさは希薄だからだ。わたしの学生時代のアイドルはマーラーだった。 1911年に死んだマーラーがウィーン音楽院で学んでいた頃の作品が世に出たのは1960年、奥さんだったアルマが発見した。それ以来、室内楽リサイタルの人気曲で、よく演奏されるためにこの曲を実演で三度も聴いたことがある。 人気の理由は、暗い死の影を音楽でリアルに表現する手法をまだ持ち得ていない16歳の音楽だからで(演奏も難解ではない)チャイコフスキーに通じる甘さもある(同じイ短調の作品50に似ている)。 まだ若く希望にあふれていて健康だった頃のマーラーの音楽は、何度聴いても良いなと思わせる、純粋に美しいファンタジーなのだ。
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三段鍵盤チェンバロという楽器
バッハの音楽に魅了されているために、二段鍵盤チェンバロのお話をよく書いていますが、「三段」鍵盤チェンバロという不思議な楽器が実際に存在することを最近学びました。 この動画は、1740年にハンブルクのヒエロニムス・ハス(Hieronymus Albrecht Hass 1689-1752)という楽器製作者で演奏家だった人が作った楽器を復元して、ドメニコ・スカルラッティのソナタを弾いたものです。 聴くばかりではなく、動画を是非「ご覧になって」下さい。 二段鍵盤チェンバロはバッハやヘンデルも愛好したバロック時代の標準楽器ですが、なんと鍵盤を三段にした大型チェンバロを製作したのです。バロック時代にも他に類のない、おそらく唯一の例。 ハンブルクに住んでいたために、ハンブルク在住のCPEバッハやテレマンと交流があったかどうかを調べましたが、どうも裕福な貴族の個人所有だったために、彼らがこの楽器と関係を持ったという記録もありません。音楽史の謎ですね。どうしてこのような楽器が制作されたのか。 博物館に置かれていた楽器が21世紀になって復元されて、YouTubeではいくつかの動画もあります。 演奏者から一番遠い三段目の鍵盤を弾こうとすると、ずいぶんと手を伸ばさないといけないので、腱鞘炎になるのではないかなと老婆心ながら心配してしまいます。三段目の音もそれほど音量変化があるわけでもないので、チェンバロはやっぱり二段で十分です。でも微妙な音色と音量の違いには聴くべきものがあります。チェンバロからピアノへと鍵盤楽器の主流が移り変わってゆく過渡期の時代遅れなスペック高過ぎな無駄な楽器でしょうか。 チェンバロで演奏されるスカルラッティは素敵な音楽です。ピアノ版よりも個人的にはこちらの方が好き(こちらがオリジナルだし)。楽しんでいただけると幸いです。