仏教とクーラ・シェイカー(とウマ娘)
「競馬小史」を書こうと思っていたが、結構な量なので(めんどくさい!笑)またいつものように中途半端な話(雑談)を挟むことにした(笑)
最近はウマ娘のクリアファイル(BOSSコラボ)とウエハース第2弾のカードを集めることにとてもハマっている!
また、仏教熱が再燃してしまって昨日は昔(初版で)購入した『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司、2004)を10数年振りに読み返してしまった!
すべては『サピエンス全史(下)』(ユヴァル・ノラ・ハラリ、2016)のせいである(笑)
この本に仏教の話が出てくる。
その内容は、27ページから31ページにある!
ここから手塚治虫の『ブッダ』、「マインドフルネス(瞑想)」に関する一連の著作、森田療法の「あるがまま」(目的本位、気分本位など)等について、勉強(=検討)するまでに至ってしまった(笑)
共通点は「今」、「瞬間」、「観察」、「現実認識」(良くも悪くも事実・環境を認める)などである。
(アウトプットという名の「記録」もこれに近いかもしれない。)
人間の「苦」しみ(無駄に考えること=「雑念」の意味)は、「今、ここ」から離れることによって生じるという。
過去に対しては「後悔」、「嫌な記憶」、「トラウマ」(つまり、今から離れる認知の歪み)等を振り返ることが引き金となり、
未来に対しては「希望」、「観測」、「理想」(こうありたい、かくあるべし)などが入ると「苦」に繋がる(らしい)。
追求は「夢」や「目標」、時には「苦痛」の種にもなる。
というのも、そこには歴然とした(今との)「距離」があるからだ。
だから仏教は「今」をとても大事にする。
が、それは人間を絶えず変化する動物(「諸行無常」な存在)としてみなすからだ(不安定な心や状態を含む)。
「今」の積み重ねを人は生きている。
それを「人生」という。
理不尽な世界が「現実」であるし、「運」は自分の力ではどうにもならない。
だから考えても無駄なのである。
(他人からの評価を気にすることや、人の悪口、否定的な評価を気にすることも今の自分から離れることにあたる。そもそも誰から見ても常に完璧な「変わらない自分」などあり得るのであろうか・・・不完全な自分を認めた。だからこそ努力して「あなた」はその立場に居るのだ。100%評価されることはないが、変わることは出来る。いや、何もしなくても変わってしまう:歳を重ねたりする、のが人間なのだ。一神教の場合は絶対神が人間の上におり、仏教の場合は「実践」を説いたのがブッタとされる。)
私はウマ娘のクリアファイルを手に入れる時は、「今」に集中した(笑)
明日残ってるかな、明後日はどうかな、ツイッターにあげるために買おうかな、ちゃんとクラフトボス20本飲み干せるかな(誰かにあげようか、どうしようか)!(これらを雑念という)
は考えなかった!
むしろ明日も20本買うか悩んでいる(笑)
おっと、ここで「苦」悩(渇愛)が出てきた!
ところで今、本文を書きながら「クーラ・シェイカー」の楽曲を聴いている。
本日、アルバム『1st Congregational Church Of Eternal Love And Free Hugs』が発表された!
今回も大変魅力的なジャケットで、特に「白い象」は仏教に出てくる「強くて、優しい」生き物の代名詞でブッダの生誕と関係する。
(前述した漫画『ブッダ』や『希望のしくみ』の中にも書かれている。)
クーラー・シェイカーはデビューアルバムの『K』(1996年)のジャケットが最も秀逸である。
(発売時、UKアルバムチャート1位を獲得。今でもこの時の衝撃は忘れられない!ちなみに私は中学1年から洋楽マニアである・・・)
『サピエンス全史』や『Humankind:希望の歴史』(ルドガー・ブレグマン、2021)を読んだ後、
否、学問をきちんと修めた人(少なくとも大学受験レベルの世界史)が見れば誰もが感動するジャケットであるはずだ。
(教育について学べる韓愈の『師説』のように・・・)
クリスピアン・ミルズは天才である!
私は「Hey Dude」、「Govinda」、「Tattva」を聴いて育ち、
再結成後は『K 2.0』(2016年)のジャケットや「Infinite Sun」にも感動させてもらった。
昨日は、楽曲「The Once and Future King」で『王の奇跡』(マルク・ブロック、1998)の「瘰癧さわり」(王権神授説)を学んだ。
(失礼!これは「永遠の王」の逸話で勘違いでした!でもタイトルから十分に得られるものがあった!)
間違いなく新アルバムも仏教と洋楽の歴史を変えるものとなるに違いない。
追記:興味のある方は(笑)
このコラムのベースは『希望のしくみ』、『サピエンス全史』による。