マズローの欲求5段階説はすごいと思った話
少し久しぶりの投稿です。最近は在籍している美大(通信制)の課題制作に明け暮れておりました。
先日無事に全ての課題の提出・評価が終わり、進級できることになって、まずは仕事と両立しながらこの1年やりきれたことに心からほっとしています。
自分が本気で好きだと思えた美術に、没頭してみた1年。たった1年なのに、新しい発見、心境の変化が多くありました。
結果を出していないのに「幸せ」
ひとことで言うと、幸せになりました。始めが不幸だったわけではないですが、前よりも明らかに日常が「満たされている」という感覚が大きくなったのと、負の感情を抱えることが少なくなりました。
でも、「結婚しました、幸せです!」とか「受験合格しました、幸せです!」なら分かるけど、「美術に本気で取り組みました、幸せです!」って、どういうこと?って思わず自分に突っ込みました。しかもただの一学生で、まだ何の成果もあげていない(作品を出展したことすらない)。
それを考えていたときにふと、頭の中に浮かんできたのがマズローの欲求5段階説(自己実現理論)。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。(Wikipediaより)
有名な理論なので知っている方も多いと思います。
上の方にいくほど高次の欲求であるとされますが、誤解してはいけないのは、「高次」「低次」というのは優劣を表しているわけではないということです。
マズロー自身「我々の社会で正常な大部分の人は、すべての基本的欲求にある程度満足しているが、同時にある程度満たされていないのである」と語っており、ある欲求が100%満たされたら次の欲求、のようにシンプルなものでもないということです。
とはいえ、「自分は今この5段階でどの欲求を多く持っているのか」を考えることは、自分を省み、そしてこれからの自分を考えるにあたって役立つものであると思います。
この5段階は、最初の4つの欲求を欠乏欲求 、自己実現の欲求は成長欲求としてまとめられることもあります。欠乏欲求は「足りないからこそ求める」欲求で、求めても満たされない場合、しばしば不幸感にも繋がります。対して成長欲求(自己実現の欲求)は「あればあるほど満足感に繋がり、関心も強くなる」というものです。
また欠乏欲求は矢印が他者・外部に向き、それらから何かを求めていることが多いのに対して、成長欲求(自己実現の欲求)は矢印が自分の中に向いています。
私がいま何も成し遂げてはいないけど幸福を感じていることも、この欲求5段階説で整理した時、急にすとんと腑に落ちてたのです。人に自慢できるような結果は何もなくても、枚数を重ねて「少しずつ良い絵を描けるようになっている」と自分では感じており、それによって自己実現欲求が満たされていっているから幸せなのだと。
好きなことに没頭することで感じられる幸せ
私自身、数年前までは確実に「承認の欲求」が自分の大部分を占めていたと思うからこそ、自分の中のダイナミックな変化をありありと感じています。特に大きかったのが以下のようなことです。
●逆境すらも嬉しく感じる
好きなことに打ち込んでいる状態って、マリオでいうスーパースター状態なんですよね。
さっきからアホみたいに幸せ、幸せと言っていますが、逆境が無いわけではないです。というかありまくりです。「全然良い絵描けないわ」「周りの人に比べて下手くそすぎるわ」って絶望すること、涙することも日常茶飯事です。
でもその壁があること自体が嬉しいと思うわけです。なぜなら目的が成長だから。「成長」って逆境を乗り越えてこそ得られるものだと思うので、逆境があるのが大前提なのです。むしろウェルカムという気持ちになります。
●自分を素直に肯定するようになった
あくまで私の場合は、という話ですが、打ち込んでいることが無く、なんとなくで過ごしていたときは心のどこかで「このままで良いのかな」という焦燥感に駆られていました。自分は頑張れない人間なんじゃないかと、自己否定的な気持ちにもなったり。
だからこそこの1年、逆境も乗り越えてやりきったことは大きな一歩を踏み出せたように感じ、「なんだ、頑張れるじゃん」と自信に繋がりました。
マズローのいう「承認の欲求」は他者からの承認というイメージが強いですが、自分自身の承認も含まれているそうです。自己実現の欲求を満たすことには、同時に自己承認の欲求が満たされるという副次効果みたいなものがあるわけです。
もはや美術は自分の味方だと思っています。好きなことは、自分を裏切らない絶対的な味方になってくれます。
●怒ることが少なくなった
「怒る」というと大抵は他人に対してだと思いますが、これがかなり減ったような気がします。たぶん、良い意味で他人に目が向いている時間が減ったからなんですよね。
今までは誰かと同じ道を一緒に歩くことが多かったのだとしたら、今はそれぞれ違う道を歩いていて、関わる人との間に境目がある感じです。
だから仮に一瞬「ん?」と思ったことがあったとしても、「まあいいか。私は私の道を行こう(絵を描こう)」とすぐ自分の世界に引き戻されるし、他人が何をしていようと、「いいんじゃない、そこはあなたの道なんだし」と割り切ることができます。
近頃よく言われている「アンガーマネジメント」というものは、好きなことに打ち込むのが一番の近道なのかもしれないと思いました。
承認欲求を満たし合う
日本では「承認欲求」がしばしば話題にされますよね。SNSの発達で他者からの承認が可視化されやすくなったこともあるのでしょう。もちろんいまの私にも承認欲求は当然あります。
とはいえ「承認欲求を満たすために絵を描く」のではなく、あくまで自己実現を目的とし、幸せを感じられているのは、すでにある程度承認欲求を満たせているおかげであると思っています。
私の場合はどちらかというと自己承認ができるようになったことが大きかったかもしれません。もともと自己肯定感の恐ろしく低い人間だったのですが、何人かの大切な人が、辛抱強く私を変えてくれました。「あなたにはすでに十分価値があるから、そんなに自分を責めないで」と声をかけ続けてくれたんですね。この人たちには一生感謝しなくてはいけないですね。
そう、「承認欲求」は他者に矢印が向いているものであると先にも書きましたが、だからこそそれが満たされているということは、それを満たしてくれる他者の存在がいたということではないでしょうか。自己承認ができるかどうかは家庭環境などにも大きく依存します。なので承認欲求が薄い人は自立していて偉い、逆に承認欲求の強い人はいやらしい、という結果論で語るのではなく、そこは誰しも助け合いの世界だと個人的には思うのです。
それにしても、「幸せ」についてこんなに整理して考えさせてくれるマズローさんはただ一言、「すごい」。マズローさん、ありがとう。