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休むことに対する強迫観念とかのハナシ

 月一のアレ の前になると、いやもっと正確に言うと、アレの数日前になると、凶暴な気持ちが沸き起こってくる。

 車の運転をしていたりすると、前に割り込んでくるクルマとか、後ろから近づいてくるクルマとかが煽ってきてるんじゃないかとか、妙にイライラしたり、ちょっとのことで”チッ”っとなる。

 ここ数年、そのことを意識しだして、それはそれは、正確な日程なので、以前は自分のことも雑に観察していたんだなぁとおもう。いや、観察すらしていなかった。むしろ、一番後回しにさえしていた。仕事優先、他人優先、ルール優先・・・・優先することなんて周りにはたくさんありそうだけど、実はそれは無限で不確定で迷路への入り口だった。

 以前なら、こんなことでイライラしちゃいけないとか、妙な道徳心がそれを抑え込もうとした。でも今は、なるほど後数日でアノ日ね。と思う。どんなに酷いことを思っても、これは生理的な問題であって、性格の問題ではないと。

 で、それが過ぎると、今度はえらく穏やかな気持ちがやってくる。そしてアレは始まる。

 このパターン。

 そして、アノ日が来ると、意識的に、休もう、と思うようになった。休むって言うと止まるイメージがあるけど、スローペースと言うべきか。何も急がないように心がける。

 若い時から、やりたいことが先行したら、無理してでも、夜中でもなんでも何が何でもやりたくなって、やっていた。(ほとんど遊びの話だけど)

 でも、そういうのを意識的にやめようと。

 身体を休める、これは子育てをし始めてからしばらく経ってから、かつて経験したことがないくらいの疲労感を毎日感じるようになって、休むのも仕事なんだ、と思えるようになってから。

 身体のリズム。

 その一つが、ささやかに毎月くるアレ。小学生の時から多分あるカビの一種みたいなのが、皮膚の上にいて、痒くなるのもこの時期なのか。抵抗力:免疫力が落ちてくる時期なのか、敏感になるのかなんなのか。

 休め、休め、スローダウン。と身体が信号を送ってくる。

 やることは山ほどいっぱい。

 そして、休むことやスローで行くことに対していつしか埋め込まれた、強迫観念に気づく。
 そして、休むことが無駄だとか、猫を見てると、とても思えなくなってきている今日この頃。

 キミは、夜起きているとしても・・・昼間はとにかく寝てばかりいる。寝ることが仕事・・じゃなくて人生。寝るのがメイン。寝るために生きている・・いや、寝ることに貪欲。いや、どうだっていい、ともかく、寝ている、寝るのが趣味。ただ好きなのか?んー、やっぱりそんなこと本当に彼らにとってはどうだっていい。まさに、ジャン・グルニエの猫のムールーのように。

動物たちの世界は、沈黙と跳躍とからつくられる。私は彼らがねているのを見るのが好きだが、彼らはそうしながら自然との接触を取り戻し、そのように身を委ねることと引き換えに、自然から一種の精気を受けて、自らを養うのである。彼らの休息は、われわれの仕事と同じほどに勤勉である。彼らの睡眠は、われわれの初恋と同じほどにひたむきである。
 猫のムールー ジャン・グルニエ『孤島』


 哲学的に考えると・・・

 スピリチュアル的に考えても、眠っている間には、色々な世界へ行ってるらしいけど。

 自分にも、気づかないうちに、どれだけ強迫観念があったのだろう。この休むことへの焦りは。

 ぬこよ、ありがとう

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