記憶の風化と歴史
3月11日の話。
何が書きたいかというと、「記憶の風化」のこと。
1月17日に「震災から27年、記憶を風化させてはならない」ということが新聞とかに書いてあった。
27年ってどうなのかな? 例えば、戦争が終わった1945年の27年後って、1972年(昭和47年)だよね? その頃、戦争の記憶ってどうだったんだろう? みたいなこととか。
これはね、なかなか難しいです。まず、年数の問題。それから体験からの距離の問題。この辺のことで人によって大きく違って来るんじゃないかな?
戦争のことから言うと、1972年には私はしっかり生きてたけど、戦争体験がないから、戦争ははっきり言って教科書で習う歴史だった。明治維新ほど遠くはないけど、日露戦争とか関東大震災とほぼ同じ感じかな?
でも、うちの親父なんかは兵隊に行ってたし、母親も終戦の時、京都市役所裏で公文書を焼いてたらしいから、27年の距離感は、私とは全く違うと思う。
阪神大震災のことだと、私は一応の体験者ではある。揺れてた時に、ボロ家の2階から飛び降りようか?と本気で思った程度の体験だが。
しかし、確かその年の年末だったか、「いつまで震災の話をやってるんだ?」という関東の人の話が新聞に載っていて、「ずいぶん感覚が違うなあ」と思ったものだ。
さて、東日本大震災から11年である。「10年ひと昔」と言うけど、この時間の経過はどんなものだろうか?
正直言って、東北は関西からは遠い。そして、私には被災した親戚も知り合いもいない。その点で初めから「他人事」であるのは否めない。ヒリヒリする実感などは全くない。「いつまで震災の話をやってるの?」とは思わないが、もう結構昔の話ではある。
この点は、家族や知人を亡くした人の感覚とは全く違うだろう。
この辺のことを、災害の復旧とメンタル面とで考えてみる。
例えば、戦後11年と言ったら1956年(昭和31年)である。この年には、あの有名な「もはや戦後ではない」発言があった。(正確には「経済白書」の序文の記述)日本が国際連合に加盟し、「太陽の季節」がベストセラーになった年でもある。神武景気といざなぎ景気の中間点で、経済成長率は11%(コロナ前の2019年はマイナス0.7%)だった。この年の東京の写真を見たが、少なくとも表通りにはビルが建ち並び、戦争の痕跡は完全に消え失せている。
個人的な戦争被害で言うと、この年が舞鶴での引き揚げの終了年となっており、この点でも戦争体験、記憶の1つの区切りの年と言えるだろう。
それで、問題になるのは、個々人の戦争記憶の問題であるが、これははっきり言って千差万別だと思う。2022年の現在まで空襲や原爆や沖縄戦を語り継ぐ90越えの老人もいれば、私たち同様に過去の歴史として扱う戦争体験者も存在する。(うちの母親などは後者の典型で、京都在住ということもあってか、戦争の話はほとんど聞いたことがないし、たまにしても、昔の珍しい経験といった体であった。先の公文書焼却にしても、実に楽しそうに話す。もちろん「戦争はイヤだ」みたいな発言も全くない。その点、父親は「ソ連は中立条約を破った」と言ってたりして、同世代でもかなりの温度差がある)
だから、一般化して語ることは困難だが、敢えてするなら、故人の法要のイメージで想像できるかもしれない。三回忌、七回忌で「昔の人、昔の話」と思う人は少ないだろう。しかし、十三回忌辺りでバラツキが出て来るのではないか? 東日本大震災はこの辺りだ。そして、阪神大震災だと二十七回忌に近い。最近は三十三回忌で弔い上げとすることが多いから、この辺りが「記憶の風化」を危惧する意見が出て来る所以だろう。
ここからは、私個人の感想に過ぎないが、マスの視点で見る時、やはり、「世代交代」というのが大きいのではないか?と思う。とすると、終戦、震災の年に生まれた子供が成人した時がターニングポイントになるのではないだろうか? 戦後で言えば、やはり、ベビーブーマーが成人した辺り、学園紛争や「戦争を知らない子供たち」が歌われた辺りが区切りとなったような気がする。つまり「戦後は終わった」のだ。
その辺から「記憶」は「歴史」に徐々に組み入れられて行くのではないだろうか。「風化」と嘆くだけではなく、「変化」として捉えることも必要なのだろう。個人的な「嘆き、思い」を、客観的な「史実」として捉え直し、検証、評価に供するという意味で。
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