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とるにたらないものもの

ニュースを見ている感じだと今日、昨日、一昨日の渋谷は予想通りの混雑具合いだったのだとわかる。ハロウィンか……。そうか。僕はそれっぽいことを何もしてないな。ホラー映画をこの時間から観始めるのはちょっと怖いし。まっでも袋がハロウィンデザインのお菓子は食べたからいっか。

10月最終日となった。今年も残り2か月。

今日は江國香織さんの小説「とるにたらないものもの」という作品について書きたいと思う。あらすじは以下の通り。

とるにたらないけれど、欠かせないもの。気になるもの。愛おしいもの。忘れられないもの——。輪ゴム、レモンしぼり器、お風呂、子守歌、フレンチトースト、大笑いなどなど、身近にある有形無形の60のものたちについて、やわらかく、簡潔な言葉でつづったエッセイ集。行間にひそむ想いや記憶、漂うユーモアが、心地よく胸にしみる。若者の日常と深層がほのみえる、たのしく、味わい深い一冊。
集英社文庫/2006年05月/江國香織/とるにたらないものもの

60個ある中で一部を挙げると、愛称、メンソレータムとオロナイン、トライアングル、食器棚、駅、ケーキ、傷、旅行鞄、結婚式、固ゆで玉子、おばさんのスカーフ、書斎の匂い、電話、洋画劇場など様々な対象物について視覚、聴覚、嗅覚など五感で感じ取れるそれぞれの魅力や特徴を’’言葉’’で表現している作品である。

1つ1つが短い文章でできているので読みやすい。どこか懐かしく感じられる、また、たしかにそうかも!と納得できるものが多かった。

江國さんの表現力の高さ、言葉の選び方と組み合わせ方、繊細で共感できる心情描写、簡潔でスラスラと読み進められる展開の構成……。それらすべてに惹きこまれて今回も江國作品に心を揺さぶられた。

いくつか読み進めると「下敷き」というテーマで書かれた文章に出会う。これは特に強い共感を得た。というのも僕は小学1年生の時から大学2年生になった今現在に至るまで、ずっと同じ下敷きを使用しているからだ。透明で少し固めの……。だけど曲げることもできる。そんな下敷きだ。僕は手で何かを書くとき、ルーズリーフであれ、ノートであれ、やはり下敷きを必要とする。それがないと落ち着かないのだ。江國さんの言う「下敷きを使っている大人を他にあまりみたことがない」には深く頷けるなあと思う。実際に僕の大学の友人の中で下敷きを持ち歩き、使用している学生をいまだかつて見たことはない。

さらに読み進めると「まめご」というタイトルの文章が登場する。江國さんは、まめごはんが大好きでたきこみごはんがあまり好きではないという。僕は真逆だ。まめごはんが苦手なのだ。赤飯とかたきこみごはんは好きなのだけれど……。これは読んでいて面白かったから書いておく(笑)。

終盤で印象に残ったのは「食器用スポンジ」。これは一人暮らしをしている僕にとっても毎日使っている必需品だ。僕はフライパンや鍋を洗うものと箸やお皿、マグカップを洗うもので2種類に分けている。江國さんも述べているが、食器用のスポンジは取り替え時を判断するのが難しい。だけど替えは常に台所の収納棚に用意できている。いつでも替えられるように。

ハロウィンの夜がもうすぐ終わる。そして10月も終わる。体調に気をつけながら今年の残りの日々を過ごしていきたいと思う。

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