初めてのnote. 少しだけお話します.
※ 心苦しくなる内容なので気持ちの敏感な方は読むのは控えるのをおすすめします.
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初めまして.
中野目崇真(なかのめそうま)といいます.
現在,喉風邪にかかり声が出なくなってしまい熱も出てしまってます...
夏も中盤にさしかかり,今年もあと3分の1になりましたが,19年間生きてきた中で最も不運なことに見舞われる年になりそうです...
過ごす時間全てに不運がいつもいる訳ではないですが,他者へと迷惑をかけてしまう事象をたくさん生んでしまっているのは事実で,自らにもどうすればよいのかわからないほどの事柄に直面してしまうことが多々起きています.
なので,ここにて自身におきていること,思うことをそのまま話させていただきます.
受け取ってくださる方によっては,この事象も長い人生にとってかすり傷だと感じる場合もあると思いますが,一青年のまだまだ人として慣れていない原体験を象る発言であると踏まえていただけたら幸いです.
(自己紹介は年内に...)
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1月,新年を迎えて早々に,不慮の事故で愛犬を失いました.
目の前で流血し,道に倒れる彼をみたのち,母はショックで記憶を失いつつ友人も混乱している中で冷静でいたくとも本心は底に落ちていました.
それでも,強制的に落ち着かせて対処しました.
(これについても誤解されやすいことが多いので,今度話す場を設けたいです)
2月を過ぎると,その反動からか母の体調が悪化しました.
母は可逆性脳血管攣縮という,雷鳴頭痛がきっかけとなり発症から3週間までに脳梗塞やクモ膜下出血などを合併させてしまう,エビデンスも少ない病です.
(母も脳梗塞とクモ膜下出血,いずれも発症しました)
脳に爆弾をかかえながらも見た目は普通の人と変わらない素振りができるので,あまり深刻にみえなさそうですが,本人を代弁していうと今生きているだけでも奇跡だとおもえるような状況です.
2010年から母は病と対峙しているので,どうにか救える方法を模索しています.
(今はまた起伏は落ち着き,おさまり気味ですがいつまた危ない状態になるか予測できないです)
3月からは仕事と生活も不安定になりすぎてきました.
自分にも,1月の事故の反動が徐々にでてきてしまい,かるい鬱状態になってしまいました.
当時はその現実を認識できず,どうにか自分を補えると仕事をこなしていましたが全く頭も回らず手も動かせずでした.
また,周囲も大変であったり忙しい姿をみてしまい,誰にも相談もできる環境ではないと秘めるほうに走っていました.
(末には奈良市観光大使に任命していただき,嬉しい思いもありながらもこれでよいかと疑問を隠せていない自分はいたと思います)
4月,地元である池袋のあの事故に遭遇してしまいました.
自分の右後ろにて,自転車が跳ねられ,前では母親とお子さんが飛ばされて,車が次々とぶつかり,悲劇すぎて気を失いかけました.
そのときもまずは立ち直り,救急の対応と回りに呼びかけてをおこない,負傷者と死者を増やしてはいけないと即決し動きました.
ほんとうに痛々しくも散っているその現場で感覚は完全麻痺していたと思います.
(伝えたいこともありますし,発しないと済ませないこともあるので,この事故のことも話します)
5月には,13日に19歳になりました.
が,このときにはそのことにあまり実感はありませんでした.
本音が消えているように過ごす,虚しさと痛みのぐるぐる回っている日々でした.
近しい人も苦しんでいたり,社会情勢も不況気味で,みんなエラーが発生しているのだと諦めている部分もありました.
(その中ですが,フォトグラファーの活動や映像制作,ディレクションなどを再開し始めました → 幼少期のときは主にタップダンスと子役をしていました)
6月,友人と会ったり恩師と話し合ったりすることができました.
完全なる復帰の立場ではないですが,今後の課題と展開について.
そして,お互いに何をしていきながら,最幸な過ごし方ができるかを模索するスタンス,共有ができてきました.
一方で,母が具合が緩やかでも闘病している中で,父が後縦靱帯骨化症であることがわかりました.
無理してまでも自営する父,積み重ねてむちうって動く身体から悲鳴が出てしまったのだと思います.
(両親ともに困窮しながらも諦めずに接しているからこそ,これからも支えとなります)
7月,父は少しでも症状を抑えるため,手術をおこないました.
手術の次週,感染症にかかり改善するに時間が少々かかってしまいましたが無事に退院はいたしました.
(完治はできないので,今も神経系の障害と葛藤しています)
その中,「救急搬送されました」と祖母の家から電話がかかり,すぐさま熱海へと向かいました.
病院にて医師より伺ったところ,加齢による圧迫骨折で,昨年にも発病していましたが再発のおそれもあり,今後も看病しつつ療養していくのがよいとの判断でした.
このこともあり時間は有限だからこそ,改めて接することを大切にしていければと切に思いました.
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そんな今年の体験を経て,2019年の3分の2を終える8月となり,今は自身が体調を崩してしまっていることからも現れてますが,相当に心身が疲弊しているようです...
わがままになってしまいますが今後,より一層に家族みんなの支えをベースに活動をさせていただきたいです.
みなさんも無理せず,"そのまま"で何かを被らず,話せるようなって欲しいと思います.
改善していけるタイミングがきましたら,「時がきた」と投稿でもご連絡します.
(以後,お見知り置きを...)
と,まずは熱を抑え,自身の声をはやく出せるようにします.
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中野目崇真(2019/08/08)
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p.s.
普遍的な事柄と時事的にトピックとなるニュースに対する個人的な見解,載せてゆきます.
(ゆるくもつよく)
[昨年に自身をインタビューしてくださった際の記事 "soar"]
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