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アニメから時代の価値観を読み取ろう!(6) 〜 授業中の雑談 これがホントの教養だ!22 〜

《2010年代-1》

 前回、『ONE PIECE』が、主人公その人よりも主人公と仲間たちにスポットを当てているというお話をしました。そこでは、国家や公権力などの、遠い共同体への帰属意識よりも身近な仲間たちとの絆の方が大切だということがこれでもかと言わんばかりに描かれます。

 そんな中、明治大学「個の力」を大学の教育理念として掲げたのはおそらく2010年ごろかと思います。時代の空気に敏感で、且つ、本当に必要なことを社会に問う大学が出たことは特筆に値すると思います。

 一方で、狂信的、妄信的とでも言っていいぐらいになんでも「みんなで!」「チームで!」という流れと、それに対する反動も生まれました。
 これに最も敏感に反応したのもまた、学校業界でした。小中高校は、18世紀に「小さな大人」から「子ども」が発見されて以来、20世紀にいたるまで数百年にわたって、学問の基礎を教えながら、それでも近代化を推し進める装置として永く機能してきました。つまり、集団で同じ目標に向かうために、合理的に無駄なく同じ動きをする労働力の育成を使命としていました。

 一部の学校では「協働」「アクティブラーニング」という新しい言葉の名の下に、昔ながらの「グループワーク」と「体験」が再評価され始めました。教員研修で、

「先生方! アクティブラーニングなんて今まで日本の教育でやってきたことじゃないですか!怖くありません!」

と、怯えた調子で大真面目に講演する名のある大御所大先生も登場しました。おそらくアクティブラーニングに関する本など読んだことがないだろう大御所大先生や、ひと儲けしたいだけのエセ自己啓発自己投資系の業者のそうした言動には、大きな誤謬があったのですけれど、素直に「そ〜なんだ。アクティブラーニングってグループワークと学校行事のことなんだ、ウッホホ〜イ!」と、これを鵜呑みにした意識高い系の学校は何の進歩もなくカオスラーニングを実践しました。同時に、こうした動きにとにかく反対する動きもあり、カオスラーニングをそうとは気づかずに程度の低い論戦が教員同士を分断するような学校も出ました。

 さて、雑談のさらに余談になりましたので、本日はここまでとします。次回はまた話を本筋に戻します。


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