![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161893573/rectangle_large_type_2_788a855017d05849d81cb67155c46415.png?width=1200)
【創作メモ】東北の魚送りについて
魚の供養や塚、埋葬などの文化について、東北地方を中心に。
東北地方の魚塚文化
東北地方には、魚類を供養するために建てられた「魚塚」が各地に残されています。
秋田県小坂町の濁川集落には、江戸時代から続く魚送りの伝統が残されています。この地域の無形民俗文化財に指定されている魚塚は、1821年(文政4年)に建てられたものです。当時の博物学者・木村蒹葭堂が魚の研究をするなど、この地域では進歩的な文化人が活躍していたことがわかります。
また、富山県小松市の竹林台には、天保10(1839)年に建てられた魚塚の碑が残されています。この碑には、藩政時代に大量に発生したウナギが供養されていることが記されています。 このように、魚塚は魚類の保護や供養に関する歴史的な経緯を示す重要な遺産といえます。
さらに、宮城県の仙台市にある上野・忍池の弁天島には、各種の碑が建てられています。ここには、生き物の墓や塚、石碑が残されており、日本人が生き物に対して持ち続けてきた深い敬意と供養の心を物語っています。
山形県置賜地方にも、草木墓と呼ばれる生き物の墓が残されています。これらは、日本各地に見られる魚供養の文化の一例といえるでしょう。
魚供養の歴史
魚供養の習慣は、日本の古代から続く伝統的な文化です。
縄文時代の遺跡からは、魚を大切な食料源として捉え、その供養の習慣を持っていた痕跡が見つかっています。宮城県の博物館には、当時の集落の葬墓制に関する資料が収蔵されています。
また、東北北部地域の縄文時代の遺跡からは、土偶や土製品の胎土に関する研究成果も報告されています。これらの研究は、当時の人々が魚を神聖視し、供養の対象としていたことを示唆しています。
さらに、東北地方の漁村では、魚の供養を目的とした「魚霊供養」の習慣が残されています。例えば、南知多町の浄土寺では、明治42(1909)年にさかのぼるウミガメの埋葬が確認されています。
このように、東北地方の人々は、魚類をはじめとする海の生物に対して、深い敬意と供養の心を持ち続けてきたのです。