本日の書(27)

画像1 どんなに愛されたのだとしても決して追いつくことのできない存在。それでもなお追いかけずにはいられない父よ、母よ。少しだけ年を重ねたはずなのにいつの間にか白髪の数も多くなりしわの数すら多くなりなお亀の甲より年の劫という言葉も知らずして吾の前に前に立ちたまふ。いつも叱ってばかりいて大嫌いだった父も母も吾の愚かなる戯言を一笑に付しかば吾までも一緒に笑って過ごす。確かに愚かなれどもそれでもなお親を超えた瞬間を錯覚し笑いまた笑われる。いつまでもわたくしの親でいてくれて嬉しいし時にうっとうしい。でも親は親、子供は子供。
画像2 吾帰宅しけり。故郷は遠くにありて思ふもの。近くて遠いは実家の玄関先。なお自分の部屋に着くも誰もおかえりとは言ってはくれず。おかえりと優しく行ってくれる父も母もなおまだ近くに住んでいるのにまだまだ遠いところに生きているかのように。ただ今自室に着いたことだけでも伝えられたら今日の業は達したと感じ奉る。一人で暮らす気軽さゆえについ気が緩み後で親を呼べる様でなくて結局掃除の雪と届かぬ間に親は来訪することになるのだと今より案じてしまうから結局は親に甘えて掃除を手伝ってもらい一緒にお茶を入れてお菓子でもどうかと。
画像3 杖をついては部屋を歩くさまをみていたたまれなくなる。何をもって健やかに暮らすかはわたくしの決めることでなし。親が自らを健やかだといってくれるのならどれほど案じなくても済むのだろう。仕事に取り組む時など夢中で親も子もなく目の前にいる顧客の機嫌にばかりに夢中で目先の利益ばかり追いお求める有様で親孝行したい時に親はそばにはいてくれないものである。いつまでも健やかでいられる保証もなくいづれは自分も年を重ねていくのに年を重ねて幸せそうに余生を送るという親を落ちぶれたなどと形容してはっと我に返り帰宅して自分を憎む。
画像4 食卓を丸く囲む時より安心できて角を立てずに朗らかでいられるのなら何も不満などありますまい。それでも一人では円満などありえないのであろうか?パートナーさんが来訪してくれるのならば円満にでもなるのだろうか?まだまだ遠いところにいる彼女という存在であって空気のように存在するほど慣れ親しんだものでもなし。いつか家庭を持てるような時が満ちた時に吾もようやく一人前かとか思うけれど今時そんな時代錯誤のような理想を持つことそのものが可笑しくてパートナーさんはさらに笑っているかのような気分にすらなってしまいます。うへへへ。

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そうたい
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