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本当に欲しいものは、実は全部捨てた先にあるのかもしれない

どうしても欲しいものって、ある。

みんなが認めてくれるもの、手に入れたら満足できると思っているもの。

でも、最近ふと思うんだ。
これ、本当に自分が欲しいものなのか?と。

結局、私たちはいつだって「足りないもの」を追い求めている。

もっとお金があったら、
もっと自由な時間があったら、
もっと誰かに認めてもらえたら、
もっと愛されていたら、
もっと――って、きりがない。

でも、それって本当に「本当に欲しいもの」なんだろうか?
欲しいものは、もっとシンプルなところにあるんじゃないかと思うんだ。
もっと静かな場所に。自分の心の奥底に。

最近、ふと気づいたことがある。
いつも「これが欲しい」と言っているその裏には、
実は「これを持っていれば安心だ」とか
「これを持っていれば満たされる」とか、
何か別の思いが隠れているんじゃないかって。

どこかで「自分には足りないものがある」って思っている。
だから、必死になってそれを埋めようとする。

でも、埋めようとしているそのものが、本当に必要なものなのかはわからない。


たとえば、僕はよく「自由になりたい」と思っていた。
もっと自分のペースで生きたい、誰にも縛られたくない、って。
でも、その自由を手に入れるためには、たくさんのものを手放さなきゃいけなかった。

手放すことが怖かった。
大切にしているものを捨てるなんて考えたくもなかった。
でも、やってみると不思議と心が軽くなる。
無駄に手を伸ばしていたものをひとつひとつ手放すことで、やっと見えてきたものがあった。

本当に欲しいものって、手に入れるために手放すべきものの先にある。
思い切って捨ててみたとき、初めてその「本当に欲しいもの」に触れることができるのかもしれない。

それは、思いがけない形でやってくることもあるし、全然期待していなかったものだったりもする。
でも。
その時、ああ、私はやっとこれに出会えたんだって、心の中でひとつの感謝の気持ちが湧いてくる。

もちろん、今の自分にはそれを手に入れるために捨てるべきものが、たくさんある。
でも、それって決して悪いことではなくて、自分が新しいステージに進むための一歩なんだと思う。

僕が求めていた「自由」も、その先にあった。
自由に生きるためには、たくさんの「囚われ」を捨てなければいけない。「囚われ」とは、他人の期待や、世間の常識や、見栄や、他人と比べること――そういったものが僕を縛り、僕を動かなくさせていた。

それらを手放すことができた時、僕は初めて「自由」になれるんだろう。
それは、無理に何かを求めることなく、ただ自分が今ここにいるということだけで満たされる——そういう感覚なんだ。

欲しいものを手に入れるためには、まず何かを捨てる勇気が必要だ。
そして、捨てることによって、初めて本当に欲しかったものが見えてくる。それは、どこか遠くにあるものではなく、自分の内側にすでに存在しているものなんじゃないか。


結局、欲しいものは、すべて手に入れようとするんじゃなくて、必要なものだけを選び取ることだと思う。

余計なものはどんどん捨てて、心の中にある本当の自分に気づく。
その先にこそ、僕は自分が本当に欲しいものを見つけることができるんじゃないかって。

だから、無理に何かを追い求めなくてもいい。
自分が本当に求めているものは、
案外、自分が捨てたものの先にあるのかもしれないのだから。




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そら|肩書きのないnoter
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