純な言葉が書ける純な大人は、元演劇部の人だった。
大人になっても、純なことが書ける人がいる。
だが、大人が、純なことを書いていると驚きもする。
しかし、その驚くと言うことは。
決して悪い意味ではなく、新鮮な驚きであって良い意味での驚きなのだ。
「純な言葉が書ける純な大人」とは、いったい誰なのことなのかと言うと。
それは、この方なのである。
文芸翻訳家であって、絵描きで、詩人で。 英語講師で、ホームページ作成もお仕事になさっている、Tokkoさんなのである。Tokkoさんの書かれる詩や画を観ていると、僕は、純なものを感じるのである。
Tokkoさんは、よく自分に正直に生きたいと書かれている。
しかし、大人に成ると自分に正直に生きる事はなかなか難しい事なのである。
特に日本では、外国にはない日本特有の世間というものが存在し、大人に成ると世間体を気にするようになってしまうからだ。
しかし、世間体に従ったからといって、必ずしもそれが正しい事だとは限らないこともある。
そもそも世間体とは、それが正しい事だろうが悪い事であろうが。
世間の多くの人が、長いものには巻かれろ的な考えで従う事が多々あったりする。
しかしこれは、自分の考えや気持ちを抑え込んで。
自分の考えとは違っている事であっても、大勢の人のやっている事に従うと言う事であって。とても不自由な事であると思うのだ。
だが、日本に措いては、そのように人と同じ事をした方が楽な事だと考えられている。
しかし、そのような考え方で自由な創造をする事は難しい事であると思う。
特に、芸術的な分野やクリエイティブな発想などを生み出す事には限界があるのではないかと思うのだ。
ところが外国では、自分の自由も、人の自由も認めるという考え方であって。このような考え方であれば、芸術的な事やクリエイティブな活動をする事に対しても非常にやりやすくなると思う。
そして、これは日本人全体にも言える事であって。
その方が、誰でもがもっと自由に人の目を気にすることなくノビノビと自分の人生を生きられるのではないかと思うのである。
だが、ここで言っておきたいのは、Tokkoさんが、「自分に正直に生きたい」と言うような事を書かれているからと言って。Tokkoさんが、世間体を無視して生きている、と言っている訳ではないという事だ。
Tokkoさんが、書かれていることは。
出来るだけ、自分の心の声に正直でありたいと、願っているという事であって自由気ままに生きているという事ではない。
でも僕は、その事だけで十分に、Tokkoさんに対して大人なのに純な事が書ける貴重な方なのだとの感想を持っている。
そして、昨日こちらの記事で更に知った事では、Tokkoさんは中学高校と演劇部だったそうなのである。
こちらはTokkoさんのストアーである。
出来るだけ自分に正直に、自分の人生を生きたいと言うTokkoさんの創作品であふれているTokkoさんの Wonderlandなのである。
僕は、これからも純な心の持ち主であるTokkoさんが、自由でノビノビとした創造的な活動ができて。自分に正直に、自分の人生を楽しんで生きてほしいと願っているのである・・・。
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2022.4.10