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情報の非対称性 / エリート過剰生産|『群像』2024/10を読んで

10月号は早めに借りられた『群像』。

ちなみに、12月号がもう発売されていて(11/7)、11月号はもう貸出中でした。追いついた時には、図書館で読んじゃった方が楽かもしれない。

2つの連載について書いておこうと思います。


小川哲『小説を探しにいく』

かなり楽しみにしている連載。具体と抽象を行き来しながら小説を書く思考について書いている。今回は、小説の書き方について書いていた。

僕たちが世界を認知するとき、それらすべての情報が一度にやってくる。僕の脳には一度にやってくるのに、文章で表現するときは順番に描いていかなければならない。 視覚、聴覚、嗅覚などの五感、それに加えて、頭の中で考えたことや、過去の思い出などを、すべて同じ次元でリニアに、一次元的に表現しなければならないのが小説という表現技法だ。
文章で何かを表現するとき、「順番」をどうするか決める必要がある。というか、僕は「順番」を決めること以上に重要な要素はない、と考えていたりもする。

p322-333

鴻上尚史『君はどう生きるか』にも似たようなことが書いてありました。

「言葉にする」ということは、同時に浮かぶそれらのことに強引に順番をつけて、一列に並べて、ひとつずつ頭から話していくということなんです。
(略)
もう一度言うよ。「言葉にする」ことは、君自身を裏切ることだ。もっとはっきり言うと「自分自身に嘘をつく」ことと言ってもいい。同時にあれもこれも言いたいのに、一本の線に並べるんだからね。でも、その嘘は相手によく分かってもらうために必要な、一時的な嘘なんだ。

鴻上尚史『君はどう生きるか』

自分のことを相手に伝えるためには、話す順番が大切。でも、伝えることは嘘だ。本当は全部が同時に起こるのだから。しかし、相手によく分かってもらうために必要な嘘だと。

小説もフィクションという嘘だと考えると、何か考え深い。

「情報の順番」は小説という空間の立ち上げ方を規定する。書き手が生みだした小説空間に、読み手をどのように招き入れるかを決める。

p323

主観的な語りは、語り手と読者の情報の非対称性が高い。どこで、何をやっていながらそのそのことを考えているのか、語っているのか分からない。

逆に、客観的な情報から書き出している小説は、主人公と読者の情報の非対称性が低い。予め、舞台設定が説明されるので、どういう場面で、何をしているのかが分かる。

このことから、「『読みやすさ』とは、『視点人物と読者の情報量の差を最小化する』ことによって感じられるものなのではないか(p323)」、と書いている。

だが、ここには視点人物の世界の見方は透明なものになる。それをさぞ当たり前のように見なすことになる。

人気作品は情報量の差を最小化することを狙って書いていると思っているそうだが、それを語り手と共感しながら読みたい人が多いとは断定しない。

私は、読み手が、語り手が感じている世界の捉え方を疑問を抱かず受けいれられるのは、自分の世界の見方も同じだということだと思う。

語り手の心情に対して、自分が「確かに、そうだね」と、捉えれることの積み重ねで物語が進むことは、読みやすさにつながっているような気がする。

全卓樹『わたしたちの世界の数理』

前回、捕食者ー被捕食者の関係が人間の世界にも通ずることを知った。この関係には、捕食者の捕食者が現れると、逆に最下層の被捕食者が増えるという不思議な関係があることも知れた。

私たちの社会においても富裕層・中流階級・庶民という3段階の階級があったが、これが、2つに分かれつつある。2つの階級社会では、支配層が増えれば増えるほど、支配層が被支配層に対しての圧力が高まる。これは支配層が被支配層から奪う財が増えることを意味する。

前回の連載を読んでから、図書館でピーター・ターチン『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』を発見した。

「あ、もしかして、この連載のことを言っているのか?」とふと思った。まだ、本書は読めていないのだが、今回の連載で、ピーター・ターチンの名前と「エリート過剰生産」という単語を目にした時は驚いた。

タイトルを見ただけではあるが、自分が読んでいるものと関係がありそうなことをパッと見つけられたことは嬉しい。

今回の連載では、捕食者ー被捕食者の関係を表す「ロトカ・ヴォルテラ方程式」のパラメータをいじって、時間変化に対応できるようにした場合、階級の数と下の階級への圧力がどう変化するのかを検討している。

今の時代のような、支配構造が確立した社会では、支配者が被支配者の環境をコントロールすることができると考えられている。この社会では、支配者の数に対して、被支配者の数が多くなりすぎることは好ましくない。なぜなら、自分たちが手に負えなくなると、反乱されるおそれがあるからだ。

支配者によって支配された社会では、被支配者の数は支配者にコントロールされる。「ロトカ・ヴォルテラ方程式」によると、被支配者の自然増加率を上げると、支配者はその倍だけ増える。また、被支配者の生存環境を良くすると、それぞれの層は互いの比率を変えず増える。
*生存環境とは、人口が増えた時の疫病、栄養不良、抗争を指している。

支配者の数を増やしたければ、被支配者の生存環境をよくするのではなく、自然増加率を上げることが優先される。どちらも支配者の数を増やすことにつながるが、自然増加率を上げる方がより支配者を増やすことにつながる。

人口増加

人口が増える局面を考える。この時期は。自然増加率が上がり、どんどん人口が増えていく。また、支配層の割合も増える。しかし、人口が増えるにあたって、生存環境も悪くなる。だが、支配者から被支配者への圧力は低下していく。結果として、この時期は支配者が環境をコントロールすると共に、穏やかになっていく。第二次世界大戦後の世界の多くの国ではこの傾向があった。

計算結果で、人口が増えると支配者から被支配者への圧力が下がるのがおもろしい。

人口停滞期

人口停滞期は、自然増加率(移民などの流入も含む)を上げても、増加分を相殺するくらい生存環境が悪化していく。相対的に支配者は増え、被支配者は減っていく。また、支配者から被支配者への圧力は高まる。

人口が停滞している場面では、相対的な支配者と被支配者の数が逆転する。

全体の変化

どちら2つの社会もピラミッド型の社会から寸胴型の社会へと変化していく。支配者と被支配者の数の比率が1:1に近づいていくのは変わらない。ただ人口を増やしながら近づいていくのか、数を維持したまま近づいていくのかの違いはある。後者ならば、支配者から被支配者への圧力は高まり続ける。

これをピーター・ターチンがエリートの過剰生産として、示しているようだ。

3層構造で、人口が一定の場合も本連載で検討されている。基本的に自然増加率・生存環境によるそれぞれの層の影響は変わらない。一番下の被支配者の自然増加率・生存環境が増える・良くなれば、2つの支配者層はそれぞれ増えていく。また、自然増加率を高める方がより支配者層を増やすことも変わらない。

人口停滞期(3層)

自然増加率を上げていくと、生存環境が悪化すると共に、相対的に支配者層が増え、被支配者が減るのは変わらないこと。だが、頂上支配者から中間支配者への圧力は弱まっていき、中間支配者から被支配者への圧力は高まる。また、役割を変える。

頂上支配層はその膨張が進むにつれて「厳しい強硬な右派」から「寛容さを説く左派」へとその思想的相貌を変えてゆく。一方中間支配層は膨張が進むにつれ「頂上支配層の収奪を受ける庶民」から「社会を支える被支配層の厳しい管理者」へと立場を変化させてゆく。

P308

人口停滞期(3層)+頂上支配者の飢餓耐性up

先程の例に加えて、頂上支配者がより厳しい環境に耐えられるようになると、ピラミッド構造は逆転する。頂上支配者が一番多くなり、被支配者が一番少なくなる。また、先程の例よりも頂上支配者から中間支配者への圧力は弱まり、中間支配者から被支配者への圧力は高まる。

この例は海外では、他国からの移民労働者が被支配者に位置し、自国民は中間支配者へとなっていく。また、日本の場合は労働者の一部が非正規雇用となり、被支配者になっている。


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