見出し画像

【3】筑波大学を中退して旅に出た話③

大学を中退して、沖縄の離島でリゾバして、海外バックパッカーになるまで。
今回は番外編。
学生時代のバイトについてです。

↓大学中退編 前回まではこちらから


塾講師のバイトを辞める

大学入学から1年弱、個別指導塾のバイトをしていました。
元々勉強も人に教えることも好きだったし、教育にも関心があったから、最初のバイトは塾か家庭教師にしようと決めていました。
初めての仕事ということもあって、色々と学んだことは多かったです。

つくば 研究学園駅前

つくばには、まともな大学がほぼ筑波大学くらいしかないので、塾講師もほぼ全員が筑波大生でした。
そうすると、期末試験前など忙しいタイミングがみんな同じになります。
試験前は休みを取って自分の勉強に集中したいところですが、それでも誰かは出勤しないと現場が回りません。
まあ、学生バイトの立場でそんなことに責任を持つ必要はないのですが、こうやって誰かが頑張ってくれているおかげで社会は動いているんだなと思いました。

「個別指導」と言いながら、その実態は「1対2」授業でした。
1人の先生が2人の生徒を見るということです。
その2人というのが、例えば、小4の国語と小6の算数だったりして、全然違う内容をやっているのです。
それで、片方に教えながら、もう片方には問題を解かせたりして、全然違う2つのことを同時に考えなければなりません。
また、生徒が眠そうだったり退屈そうにしたりしていないか気を配らないといけないし、50分という限られた時間をどうやり繰りするかも意識しないといけません。
これは、かなりマルチな能力が求められる仕事だと思います。

また、担当していた授業は、小中学生の国語・算数・理科・社会・英語から、高校生の英語・数学・物理・化学まで。
指導内容も学校の補習レベルから受験対策まで、多岐に渡りました。

一番楽しかったのは、小6の中学受験対策ですね(⁠^⁠^⁠)
中受生は、真面目で知的好奇心もあるので教えがいがあります。
小学校では方程式を扱わないので、中学校以上だと連立方程式で機械的に解いてしまう方法を、小学生が図や比を用いた工夫で解いているのを見ると、その柔軟な発想に驚かされたりします。

一方、小学校低学年の子はその幼さから、教え方にも工夫が要ります。
難しいことは分からないので簡単な言葉で教えたり、算数の問題はものにたとえて教えてあげたり、集中力が保たないので途中雑談を挟んだりします。
小学生に限ったことではないですが、生徒によって興味のあることや得意なこと、苦手なことが違うので生徒一人一人に合わせた教え方が必要です。
教師は、子どもは何に関心を持っているのか、どういうことが分からなくてつまずくのか、子どもの考えや見ている世界を理解することが大切です。

時には、子どもの笑顔や純粋さに癒されることもありました。
初めての授業で「先生今日が初めてだったの!?すごい分かりやすかったよ!」と言ってくれた女の子や、月の満ち欠けの授業で「月を見ても、『綺麗だ』としか思えない」という名言を残した男の子のことはよく覚えています😊

そして、最も大変なのは、まともに座ってられないような子を指導することです。
授業そっちのけでお喋りやお絵描きしかしないような子や、知的障害だと思われるような子もいました。
もはや勉強を教えるとかのレベルではないので、全く手に負えないです。

親御さんからすれば、ちょっとでも勉強させたくて塾に通わせるのでしょうが、その考えはあまりに安直です。
その塾が子どもに合っているのか、その塾に指導する能力があるのか、よく考えるべきです。
自分が手を焼いていることを他人に丸投げして済ませようとするのは、無責任だと思います。

そもそも塾講師の仕事とは、学ぶ楽しさを教えたり、やる気を引き出したりすることです。
週に3日50分の授業を2コマやったところで、それで勉強が完結するはずがありません。
だから、大切なのは、塾の外で生徒が自発的に勉強することです。

教育や子育てをするなら、時に褒めるだけでなく叱責することも必要になるでしょう。
しかし、余程のことがない限り、子どもを叱ることは講師の仕事にはなりません。
仕事の範疇を超えることは、学生バイトには出来ないし、するべきでもありません。
講師は事なかれ主義に走って生徒を甘やかしたり、子どもから好かれるために楽しいことばかりしようとしたりしますが、それもあまり責めきれたものではないでしょう。

こうしたことは問題児に限った話ではありません。
中学生には「何のために勉強してるのか分からない」「将来やりたいことがない」と無気力になっている子が多かったです。
そんな子が親に無理やり塾に通わされても、勉強のモチベーションを得られるはずがありません。
親もまた、なぜ勉強するのか説明できないのです。

そして、講師もまた「勉強して良い大学に入れば、給料のいい仕事に簡単につけて、そうしたら人生最高だよ」とか、しょうもないことばかり言っています。
実際、高尚な理由を説いても、まだ幼くて経験もない中学生にはピンとこないだろうから、分かりやすい話をするしかないんだけれど、それにしたって他の講師たちの姿勢が誠実であるようには見えませんでした。
生徒も保護者も講師もみんな、何のために勉強するのか分かっていないのです。
何のために塾があるのか説明できないのです。
こんな仕事やってて意味がありますか?

そう思って、塾で働くことが虚しくなってきてしまいました。
ぼくは今まで、学ぶことに自分なりの意味を見出して勉強をしてきました。

↓学ぶことは生きるということ

しかし、みんながみんな、ぼくのように勉強が好きなわけではないし、同じような考え方や生き方をするわけではありません。
だから、必ずしもぼくと同じようなやり方で勉強すべきだとは限らないのです。
そして、ここに通う生徒たちに合った学びのあり方を、この塾が提供しているとは思えませんでした。
勉強とどのように向き合うべきかを教えることは、この「会社」から一講師であるぼくに求められた仕事ではないし、ぼくの理想に賛同して付いてきてくれるような生徒もここにはいませんでした。


サイゼリヤでバイトを始める


塾講師を辞めて、新しいバイトを始めることにしました。
塾講師のようなインテリ的な仕事ではなく、かつ3か月くらいの短期で働ける職場を探すと、サイゼリヤの求人が見つかりました。
ぼくが件の彼女と出会った駅前のサイゼリヤです。

↓件の彼女についてはこちら

大学時代、サイゼリヤにはその安さからよくお世話になりました。
半熟卵のミラノ風ドリア、350円。
カルボナーラ、500円。
イタリアンハンバーグにライスを付けて、700円。
まあ、両が少ないので正直めちゃくちゃ安いとは思わないんですが、いくらか物足りなさを我慢すれば500円くらいで食事が済むのは強いですね。

サイゼでは、勉強している学生もいれば、パソコンカタカタしてる社会人もいて、お喋りや間違い探しで長時間居座っても受け容れられる空気感があります。
イタリアンのお店で、天使の洋画が壁にかけてあったりして、内装もいい雰囲気で心地よく過ごせる場所だと思います。
その空間と、質の高いサービスを安く提供するというコンセプトを気に入っていました。

TX つくば駅
つくば駅周辺

面接では、秋学期から休学して海外放浪するつもりだから、3か月で雇ってほしいという旨を伝えました。
これはちょっとした賭けでしたが、好奇心が強く色々なことに挑戦していると好意的に受け容れられたようです。
退学はともかく、休学くらいなら案外世間は気にしないように思います。
大学の専攻のことやまちづくりサークルのことも簡単に話しましたが、トークスキルの高さが幸いして、その場での即採用となりました。
(ここもサイゼリヤというか、そのつくばの店舗と店長に好印象を抱いた一要素です😊)

サイゼではホールで働き、初めての飲食店、初めての接客の仕事でした。
ぼくは所謂「真面目くん」で、愛想のよさが求められる接客業は向いてないかと思いましたが、やってみると意外と適性があったように思います。
それから、ぼくは不器用で鈍くさいところがあるから、自分の手を使う職業は苦手だと思っていましたが、初日に指導係から「筋がいいから、期待できる」と褒められました。

正直に打ち明ければ、サイゼで働く前のぼくは、コンビニやファミレスのバイトは誰にでもできるもので、あえてそういう「底辺の仕事」を経験してみることが自分の成長に繋がるだろうと思っていました。
賃金や社会的評価は底辺でも、飲食は人間に欠かせられないもので、そこで働く人々には尊敬の念を抱いています。

しかし、実際に働いてみると、思ったよりスキルが必要だと気づいたのです。
ホールでは、お客様のご案内からオーダー、料理出し、食器の片付けとテーブルのセット、レジ打ちまで、調理以外の仕事を全てやります。
一応、レジメイン、料理出しメイン、オーダーメインと役割分担はしていますが、忙しいときはお互いにフォローし合うことが必要です。

業務内容はマニュアル化されていて毎日その通りにやるだけだけど、店内の状況は日によって違うし刻一刻と変化しています。
その場でそれぞれのタスクに優先順位をつけて、効率よく作業する必要があるのです。
意外と頭を使う必要があって、実践経験がものを言います。
一見すると誰にでもできるような仕事に見えても、上手い下手があるのです。
サイゼで20年も働いているベテラン社員から、ぼくはその動きを学びました。

サイゼリヤの優先順位はハッキリしています。
それは、お客様ファーストです。
まず、料理を冷めない内に提供すること。
既に料理が出来上がっていて、会計待ちのお客様と、ご案内待ちのお客様がいたとき、まず最初に料理を持っていきます。
それから、ウェイターは一度に3皿や4皿持っていくことで運搬を効率化していますが、手が滑って料理を落としてしまうくらいなら、無理せず少しずつ運ぶようにします。
落とした料理や食器で、お客様に火傷や怪我を負わせることが一番あってはならないからです。

それから、目玉焼きはよく焼きにしてほしいとか、玉ねぎを抜いてほしいとか、パンは4等分してほしいとか、お客様の要望には最大限応えます。

接客は、お客様の印象や満足度にかなりの影響を与えるものです。
だから、誰でもお構いなしにやらせていいものではないし、しっかりとした社員教育が必要なものです。
実際はどこも人手が足りていないし、十分な教育をしている余裕がないものなのだけれど。
つくばのサイゼリヤは時給950円でした。
ほぼ最低賃金に近いと思います。
接客という仕事の重要度や大変さと比べて、社会からの評価や待遇が見合っていないと思います。

サイゼは多忙でした。
月水金の週3日、夕方5時から10時までの5時間働いていましたが、繁忙期は土日もシフトに入りました。
5時間の労働で、ほぼ水も飲まずトイレにも行かず、ずっとひっきりなしに歩き回っています。
一種の肉体労働といって差し支えなく、連続6時間以上になると法的に休憩時間を挟まなければいけないので、ほぼ限界に近いと思います。
(一応、誤解のないように補足しておくと、サイゼで水分補給やトイレ休憩が許されていないということはなく、寧ろ推奨されています。
ただ、その5分のロスも惜しいくらい現場が目まぐるしく、ぼくが個人的に息もつかず動いていただけです。)

この過酷な労働環境なので、不真面目な人は生き残れません。
だから、サイゼにはまともな人しかいなかったので、そこは良いところです(⁠^⁠^⁠)
みんな一生懸命で、自分の仕事に誇りを持っていたように思います。
学生バイトもいましたが、ぼくはベテランの社員さんと一緒に仕事をすることが多く、そうであるために勉強になることも多かったです。

また、自分の体を使って仕事をするということは、疲労も大きいですが、それと同じくらい充実感を得られるものでした。
体を動かして人の役に立てることで、「今、自分は生きている」ということを実感できました。

サイゼリヤの仕事は楽しかったです。
女子高生の2人組が入店してきて、「いらっしゃいませ、2名様ですか?」「はい、2人です」とやり取りするとき、ぼくと彼女たちがお互いに笑顔でピースサイン✌を送り合っていることが、なんだか可笑しかったです。
そして、席へご案内すると、お互いにソファ席を譲り合って、結局「隣り同士で座ろ!」と4人席の片側に並んで座る様を尊く感じました。
(キモいですか?😅)

あるいは、300円のミラノ風ドリアに喜んでくれて、ただそれだけを食べて満足して帰って行ったお客様。
小さなお子様やご老人、外国人のお客様からの「美味しかったです」や「ありがとうございました」の一言😊
勉強したがらない塾の子に対して、サイゼに来る人はみんなサイゼが好きで、ご飯を食べて幸せな気持ちになってくれるから、確かなやりがいがありました。

自分には向いていないと思っていた接客の仕事が肌に合って、自分の新しい一面を発見したように思いました。
また、自分は必ずしも頭を使う知的な仕事に就かなくてもいいのかも知れないと思うようになりました。
その仕事が向いているか向いていないかは、やってみないと分からないです。
そして、向いていなかったとして、やってみたら出来るようになるかも知れません。
そうやって、今まで自分が関わってこなかった領域に飛び込んでみることが大事なんだと思います。

これらバイトの話は、大学中退とは直接的に関係のない話です。
しかし、ここでインテリ的な生き方を外れる、新しい自分を発見するということを経験したことが、その後の人生に大きな影響を与えたように思います。

いいなと思ったら応援しよう!