「これがやりたい」って言いたい
ここ2、3日の間に、webデザインの仕方を少しずつ勉強している。理由はたくさん。
①もともと写真を撮ることが好きで、それらをまとめることのできる自分用のサイトが欲しかった(インスタは性に合わなかった)から。
②単純に、webデザインというものをやってみたかったから。
③独学でもそれなりに勉強してある程度スキルをつけたら、再就職先の幅が少しは広がるのでは、と思ったから。
厄介なのが③で。最近ようやっと次の仕事をどうしようかと考えられるようにはなってきた。ただ、それを近しい人たちに言いだせない。特に両親。特に、母親。
本当は、デザインやライター等のクリエイティブ系の仕事をしてみたい。考えるとわくわくするし、事実初めての就活のときも、ダメもとで一社受けてみた(そして落ちた)。いわば、「やりたい仕事」というものだ。そのときは教育に関わる仕事も同時並行で探していたから、初キャリアとしては塾の社員を選ぶことに落ち着いた。こどもたちは好きだし、大学では教育学を修め、アルバイトも4年間塾講師を続けていたから、まさに自分に合っているのだと感じていた。やはりよく聞くように、「できる仕事」をした方がいいのだ―――と納得はしていた。ただ、労働環境が合わなかった。少しずつ消耗し、すり減り、気づいたときには涙がとまらなくなっていた。
ちょっとどんよりムードを蒸し返してしまったが、とにもかくにも、今の私にとって「健康に働けるか」はかなり優先順位が高い。多分、事務系のオフィスワークが心身共に落ち着いて「できる仕事」なのだろうな、とは思っている。
しかし最近のわたしの行動には、あきらめきれない気持ちがにじみ出てきている。「若いんだし、結婚もしていない。新しい世界に挑戦するチャンス!」「やってみなきゃわかんないじゃん、勉強しよう!」という『いけいけサイン』と同時に、「わたしなんかに、ほぼ未経験なのに、できるのか」「(偏見だが)それこそクリエイター業はブラックなのではないか」という『やめておけサイン』が頭の中でぐるぐると巡る。「悩んでいる時点で、本気でやりたいと思ってないんじゃない?」なんて辛辣な言葉が自分から自分に向けられることもある。もう、わからない。
殊更、母親はまさに『やめておけサイン』タイプ。昔から、志望校、部活、就活等の何かしら選択をしなければならない場面において、気持ちよく背中を押してもらったことがない。心配する親心なのだと思う。しかし、わたしのような基本慎重な人間にとっては、時としてそれは呪いのようになる。いつしか何の恐れもなく「これがやりたい!」という言葉を言えなくなっていた。加えて先日、部屋にwebデザインのテキストを置いておいたのを見た母に、怪訝そうな顔を向けられた。
「あんた、デザインの仕事をやりたいの?」
それだけ。たったそれだけの言葉だったのに、わたしの心はじくりと痛んだ。うつむいて小さな声で「べつに、趣味でやってるだけ」と返すことしかできなかった。
わたしはどうしたらいいんだろう。どっちつかずで、中途半端。今日も部屋でこっそりと個人サイトの作成を進める。趣味にとどめておいた方が賢明なのかもしれない。憧れのクリエイターさんたちをTwitterやnoteで眺めているくらいが丁度いいのかもしれない。
もう少し、気楽に考えられればよかったのにね。