デジタル化と学校授業の現在
GIGAスクール構想により、現在の高2から下の学年は、iPadなどを持っています。
古典(言語文化のうちの古文漢文、古典探究の古文漢文)を担当していますが、iPadなどで授業するのには、長所短所があります。
【 長所 】
① 教員は授業中、楽になります。
板書の書き間違いなどがなくなって、板書ストレスは解消されます。また、教員側の言い忘れや「クラスで言った・言わない」で揉めることが減ります。
②授業計画が立てやすくなります。
内容がはっきりするので、とてもシステマチックになります。
③連絡がしやすくなります。
現在所属が私学ということもあり、ロイロノート、Microsoft Teams、Classiで連絡ができます。今学期の予定、小テスト予定、考査範囲の連絡は、スムーズです。
④欠席者にも授業内容を知らせることができます。
投影したパワーポイントをPDF化して、ロイロかMicrosoft Teamsに送ります。
⑤ 生徒はプロジェクター投影された画面に吸い寄せられます。
画面が切り替わるので、板書より注目度は高まります。板書は、授業を聞いているなら10〜数分のよそ見が可能ですが、画面は、普通2分程度で切り替えますので、全く目を離せない状態になります。
【 短所 】
⑴生徒がノートを書かなくなり、理解が浅くなります。
授業中に見たり聞いたりしただけで、何となく分かった気になり、何もメモしません。
実際、授業時は理解しているのですが、後で見たことを書かせてノート提出させると、たとえ投影画面PDFが提供されていても、その場でノートを書くのと同じように書けるわけではありません。
生徒は一人だと自分の理解の範囲でしか書けないので、後で書いたものは非常にたくさんの間違いが散見されます。
授業中でしたら、大事なところは教員が注意しますし、生徒自身も書きにくいとか「❓」と思った瞬間に質問します。例えば、「瞬」という字を大きく書いて下さい、等々。
後で書くと、授業時のそういった注意喚起がないので、間違いが増えるわけです。
⑵感動が減ります。
計画的に同じペースで淡々と進んでしまうので、感動している暇がなくなり、教員側が話を膨らませる余裕もなくなりがちです。
⑶生徒が連絡を見落とします。
連絡が入ることが分かっていても、特に聴覚優勢の生徒によく見られることですが、「聞いていないから、知らない」ことになります。
視覚情報の処理が悪いと言えば、それまでですが、各教科が大量のお知らせを出すので、追いつかないようです。
「連絡がどこに行ったか分からなくなるので、タイムラインに載せるのは止めて下さい」と生徒から言われました。
⑷欠席者にノートを貸す人がいなくなります。
授業中に投影されたパワーポイントをPDF化してロイロに送っているので、それで十分だというわけです。
さらに言うと、細かい説明は板書なのに、皆、説明は聞いているだけで、いくら言ってもなかなかメモしない(できない?)ので、ゴッソリ抜けています。だから貸せない。
黒板の写真を撮る人もいますが、やはり⑴で指摘したようなことが起こっています。
⑸投影された画面に興味がなければ寝るので、やたら興味喚起の画像を探すハメになります。
探すのは楽しいので、教員がそれにハマると無駄な時間が発生します。
しかし、生徒たちに関係画像検索をやらせると、ネットを許可することになるので、40人いたら、ゲームしていてもわかりません。誰か真面目なヤツに調べさせておいて、自分は遊ぶ、という感じになるのです。
【 総括 】
今のカリキュラムのように少ない時間に大量の内容をこなすためには、授業スピードを上げなければならないので、反転授業のためにMicrosoftTeamsかロイロノートを使って資料を流し、授業では発表させる、というのは壮大な理想です。
が、実際これまで授業で教えてきたことを自分でやってこいというのは、トップクラスの生徒たちにしかできないことです。
それで、パワーポイントのプロジェクター投影で解説していくわけですが、定着が良くないので、板書とノートの授業に戻る教員も少なくありません。
それに加えて、一番悩ましいのは、近年の受験戦争で塾や予備校のように、答えだけ教えて欲しい生徒が増えて、発問や説明をまどろっこしく思い、何も考えず、人の話を聞かなくなっているように感じることです。
しかし、デジタル化は、基本的に答えがひとつに絞られます。その唯一の答えだけを欲しい、という生徒たちを私たちは責めることができるのでしょうか。