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僕は社会不適合者だけど、本気で社会に貢献したいと思っている。

未来の為に、今の自分を書き残します。

今回は、自分の今までとこれからについてお話をさせて下さい。
私は1983年生まれの40歳の父親です。妻とは大学時代のアルバイト先で出会い、2歳年下の彼女と10年間の交際を経て結婚しました。私たちには2人の男の子がいて、現在2歳と0歳です。この子供たちは、長い不妊治療の末に生まれてきてくれました。

長男は最近話すのが上手になり、一緒にお話しするのが楽しいです。次男はよく笑い、いつもご機嫌です。

そんな家族を支えるべき私は、現在「無職」になりました。もしも大きな事件に巻き込まれたら、堂々と「無職の父親」として名が刻まれてしまいます。妻と子供がいるのに「無職」で大丈夫なのか? もちろん大丈夫ではありません。

家族がいるのに「無職」で良いわけがありません。でも私は「再就職」する気が無いのです。しかし、仕事をする意欲と、お金を増やす意欲だけはあります!
私はまさに「社会不適合者」なのです。

子供時代と現在。

私は一人っ子でマイペース、少し変わった子供でした。兄弟がいないので一人でLEGOで遊んだり、ぼーっと考え事をしたり、絵を描いたりするのが好きでした。

友達には恵まれ、割と友達は多かったのですが、集団行動が苦手で、自分の居場所を見つけるのが下手でした。それは大人になった今も変わらず、「集団」や「組織」に所属することが得意ではありません。

一方で、集団に所属することは苦手でも、集団でリーダーをすることは好きで得意でした。なんとも面倒くさい人間です。

青春時代と初めての就職。

私は小中高とサッカーに明け暮れ、大学生の時はヒップホップカルチャーに夢中になりました。そして初めての就職先はアパレル企業でした。

私が就職した当時、洋服はお店で買うのが当たり前で、ECサイトはまだ存在していませんでした。しかし、就職して2年経った頃、ZOZO TOWNが若者の間で浸透し始め、洋服がインターネットで売れるようになりました。

その頃、世界経済はリーマンショック後で、為替は1ドル90円前後という空前の「円高」でした。海外旅行が身近で、海外で買うものが安く感じられる時代でした。

そこで私は「円高」を利用して、海外で「日本で売ってない洋服」を「安く仕入れて」インターネットで売ろうと考えました。27歳の時、友人と一緒にアパレルの会社を辞め、アメリカに買い付けに出かけました。

人生初の起業。

「海外での洋服買い付け」を始めた当初は、もちろんうまくいかないことだらけでした。関税なども調べずに始めたため、安く仕入れたのに関税を高く払うこともありました。それでも、毎回降りかかる「わけわからん」を解決していくのが楽しくて、夢中で仕事をしました。

人生とは不思議なもので、「問題」が起きると、必ず「助けてくれる人」が現れます。仕入れの交渉、輸送方法、海外での保管場所、インターネット販売の方法、サイト構築、お客さま対応、商品管理など、いろいろな人に知恵を借りて助けてもらいながら、さまざまな問題を解決していきました。

多くのことは何度か教えてもらうと自分で解決できましたが、経理、決算書、関税、納税などの会計全般は非常に苦手で手を焼きました。そんな「もう数字見たくない!」と思っていた時、偶然最寄り駅で再会した中学校の友人が税理士になっていて、そこから会社の会計全般をお願いするようになりました。

為替の変動と環境変化。

経理全般を任せる仲間と出会えたことで、仕入れと販売に集中できました。仕事は順調に売り上げを伸ばし続けました。

印象的な出来事の一つに、SMAPのメンバー全員が旅に出るテレビ企画がありました。木村拓哉さんがその旅行中に持っていたバッグを、偶然にも私たちがアメリカから仕入れていたため、翌日にはそのバッグが飛ぶように売れました。アイドルの影響力の大きさを実感した瞬間でした。

しかし、安定していた事業も、安倍内閣のアベノミクスやトランプ政権誕生、インターネットの発展に伴い、少しずつ先行きが不透明になっていきました。政権交代による為替の変動や、越境ECの発展、ECモール内のライバル企業の増加により、私たちの事業は次第にレッドオーシャン化していったのです。

創業当初は1ドル90円前後だった為替は、1ドル130円前後にまで上がりました。また、以前はアメリカでしか手に入らなかったデザインが、インターネットの発展により日本でも簡単に購入できるようになり、私たちの「海外での洋服買い付け」というビジネスは簡単に終わりを迎えました。

ビジネスの危機を感じて決めた2年の挑戦

私たちは自己資金のみで会社を運営しており、無借金経営でした。これが良いのか悪いのかは別として、今後事業を続けるためには新規事業への挑戦が不可欠でした。本気で新規事業を展開するためには借り入れも必要な状況でした。

そこで、私たちは決断しました。今から2年、自分たちの本当にやりたいことに挑戦し、それが新規事業として成功しなければ、借り入れはせずに事業を辞めることにしました。

私は当時流行っていたYouTubeに興味があり、コーディネート動画のコンテンツに挑戦しました。友人は自分で洋服を作り、販売を始めました。私たちはお互いができることに全力を尽くしました。

結果、私はYouTubeを収益化し、友人はクラウドファンディングを2回行って、合計500万円を売り上げました。しかし、利益は生活を維持するには足りず、会社の事業を辞めることにしました。今にして思えば、コロナ禍で先行きが不透明だったことも影響していたかもしれません。

別々の人生を選ぶ

こうして、私たちは会社を離れ、それぞれ再就職しました。友人は転職サイトで見つけた補聴器の販売会社に就職し、ECサイトの運営を任され、今も活躍しています。彼は、社会不適合者の私と10年間もビジネスを共にしてくれた器の大きな「超」社会適合者です。

一方、私はラジオ番組の制作会社に再就職しました。好きなラジオ番組にメールを送ったり、企画に参加したりしているうちに、制作会社と接点ができ、社長が私を採用してくれました。人生とは不思議なもので、「問題」が起きると必ず「助けてくれる人」が現れます。

しかし、組織での仕事はやはり自分に合いませんでした。強烈な個性を持つ社長の下で色々な事を学ばせて頂きましたが、思うような結果を出す事が出来ず退職にいたりました。この経験を通じて、私は「組織」に所属するのは難しいと悟りました。こうして社会不適合者の私が完成しました。

新たな挑戦と未来の展望

組織に所属せず、どう生きていくか悩んだ結果、私は投資とスモールビジネスで生きていこうと決めました。

現在、今私はある程度の資産があります。これは友人と起業してコツコツ貯めて最終的に残ったお金です。この資産を元手に、投資で1億円、いわゆる経済的自立(FIRE)を目指したいと思います。

スモールビジネスについては、自分が本当に好きで興味があり、探求できることに挑戦したいと考えています。流行やトレンドでは続かないし、興味がなければ改善もできません。興味や好きなことを軸に、定年のない仕事をいくつも挑戦し続けたいのです。

最後に就職したラジオ番組の制作会社の社長は、75歳でもバリバリ働いていました。毎日原稿を書き、新しい番組の企画書を作り、番組の出演依頼も自分でこなし、夜は会食に出かけていました。強烈な個性を持った人でしたが、とても生き生きとしていて、人生を楽しんでいました。

私も将来、そんな歳の取り方をしたいと思っています。たとえ投資で経済的自立ができても、スモールビジネスは興味が続く限り死ぬまでやり続けたいと考えています。

私は大きなビジネスで成功する能力はありませんが、近しい人々から「ありがとう」をもらえるかもしれません。実際、私の人生は友達に近しい人々からの「ありがとう」で成り立っています。

大きなビジネスは目指さず、1つのスモールビジネスで月10万円の利益を出すビジネスを、1つずつ増やしていきたいと考えています。最高で10個のスモールビジネスが継続できるように挑戦したいのです。

これからの具体的な取り組み

① 投資で資産1億円を目指す
② お金に関するリテラシーを高める
③ 得意なことを仕事にする
④ 得意ではないが、好きで興味があることに挑戦する

それぞれの詳細を説明します。

① 投資で資産1億円を目指す

・株式、投資信託、債券、仮想通貨、コモディティなどを通じて資産を増やします。
・得た情報を積極的に発信します。:1)投資についてのメモを公開

② お金のリテラシーを高める

・投資、税金、保険、会計、不動産など、お金に関する知識を学びます。
・資産家である税理士の友人からお金の教育を受けアウトプットしていきます。:2)お金の教育について物語化して公開
・将来的には子供たちにお金の教育ができるレベルまでリテラシーを高めたいです。

③ 得意なことを仕事にする

得意なこととは「他者から評価してもらえることが多いこと」とします。
・人をまとめること:3)コミュニティを運営する
・絵を描くこと:4)ひたすらイラストを描く
・人の話をまとめること:5)他者の人生を物語化する
・ストーリーを作ること:6)自分の実体験を物語化する

④ 得意ではないが、好きで興味があることに挑戦する

興味があることとは「ずっと本気でやってみたかったこと」とします。
・写真を撮る:7)撮りたいと思った写真を撮る、公開する
・盆栽:8)盆栽を学びに行き、学んだ事を記録していく
・洋服:9)服についてアレコレ書いて、公開する
・音楽:10)日々出会う音楽について今の気持ちを書く

これらの挑戦をnoteを中心に展開し、自分の新しい挑戦日記として書き加えていきます。成功も失敗も全てオープンにし、日常的に更新します。

様々なコンテンツをnote内に集約することで、カオスになるかもしれませんが、それも良しとします。大切なのは、やりながら修正していくことだと考えています。

最後に、今の私の想い

しつこいようですが、私は「社会不適合者」です。それが本当に自分でも残念です。

サラリーマンとして活躍している人を羨ましく思います。組織の不条理に対応し、人間関係に気を揉みながら働き続ける人を尊敬しています。自分にはどうしてもそれができないからです。

そんな自分を受け入れ、生きていくしかありません。私は私の人生を生き、「社会に適合できること」を探して挑戦していくしかないと考えています。

自分が社会に何かできること、つまり社会に適合できることを探していきたいです。社会に面白いと思ってもらえること、喜んでもらえること、「ありがとう」と言ってもらえることを探していきます。

自分には興味のないことをビジネスとして成功させるのは難しい。好きなことをして、ビジネスとして成功しないのも興味がない。
だから、「自分が好きで、興味があることをして、ビジネスとして成功する」ことが、自分らしく生きる道だと信じています。昨日より今日、今日より明日、自分自身に挑戦して生きていくしかないと確信しています。

ここまで読んで「こいつ正気か?口だけだろ?」と思う方もいるかもしれません。不安もありますが、社会不適合であるが故に、人と違う道を歩むしかありません。大真面目に達成したいと思っています。

追伸

私は意思がとにかく弱いです。だから、このnoteに自分の過去とこれからについてオープンに書き残しました。オープンにしないと何かを始められない人間なのです。

アレコレ考えてプランを練るだけでは何も始まりません。自分の未来を良くするために、今日から新しい挑戦を始めます。

私には妻がいて、2歳と0歳の子供がいます。僕のことを「自分らしく好きなように生きなよ」と理解してくれる妻と、私の「社会不適合」遺伝子を受け継いでいる息子たちのためにも、「自分が好きで興味があることをして、ビジネスとして成功する」を本当に成功させなければなりません。きっと諦めないことが大切なんだと思います。

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