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【書評】手紙=「自分」を知る媒体――『恋文の技術』

 小説のジャンルの一つに「書簡体小説」というものがある。手紙をもとに物語が展開する小説のことで、国内では夏目漱石『こころ』や夢野久作『瓶詰の地獄』、海外ではゲーテ『若きウェルテルの悩み』などが有名だ。

「くだらなさ」に青春の甘酸を込める

 本作もこれらの流れを汲む作品として位置づけられるだろう。ストーリーの軸となるのは、大学生の守田一郎が書いた手紙である。京都から能登の実験施設に飛ばされた守田は、寂しさを紛らわすべく友人・知人、先輩など手あたり次第に手紙を出す。

 そのなかで綴っているのは、守田の周辺で起きた出来事、守田が巻き込まれた出来事の数々。その一部始終は「くだらない」の一言に尽きるが、そのくだらなさにこそ本作の魅力が凝縮されている。

 後輩女性に対して抱いている守田の慕情。その恋情を巡って繰り広げられる先輩との不毛な攻防。旧友・小松崎と大学構内で引き起こした事件……。文面を通して浮かび上がる守田の苦悩と迷走は、いわゆる「若気の至り」の産物だ。

 くだらない出来事に守田は本気で奔走し、全力で苦悩する。その姿は一見すると痛々しく映るが、青春時代が遠い過去となった読者からすれば、モラトリアムを謳歌する若者の等身大の姿は瑞々しく映るだろう。くだらないことに全力を注げるのは若者の特権なのだ。

 こうしたくだらない出来事を、気品を感じさせる文章で立体的に活写するのは、著者の得意とするところである。『四畳半神話大系』然り、『夜は短し歩けよ乙女』の「先輩パート」然り。本作、そして大学生を主人公に据えた森見登美彦作品の魅力は、青春の辛酸と甘美を「くだらないこと」に込めて表現しているところにある。

 構成も面白い。本作では守田の周辺で起こっている出来事が一つの手紙に断片的に記されており、章を追うごとにその全容が判明する仕掛けになっている。守田にまつわるくだらない出来事の全貌が、複数の手紙を通して明らかになる構造も読者を楽しませている。

「文は人なり」

 文は人なり――。フランスの博物学者ビュフォンが言ったとされる言葉で、「文章のなかに筆者の人格が表れること」を意味する。

 手紙はまさに書き手の性格や思想が如実に表れるメディアだ。本作でも、手紙という形式を通して「守田一郎」という人物の本質があぶりだされている。

 卑屈で、傲慢で、いじられ役で、子どもの面倒見がよく、妹思いで、京都に帰りたいと心底思っていて、恥ずかしがり屋で、そして何より、後輩女性を一途に思っている。宛先によって文体やそこからにじみ出る性格は異なるが、その文章からは守田一郎という人物のすべてが透けて見える。特に、意中の女性にあてて書いた手紙の失敗作を集めた「第九話」では、前述した守田の人柄が如実に表れている。

 デジタル技術の進歩により、文字のやり取りはメールやメッセージアプリが主流になった今、手紙を書く機会や必要性は大きく減少した。しかし、本作を読むと誰かにあてて手紙を書きたくなることだろう。本作にはそんな効果もある。

 メールやメッセージアプリにくらべて、手間暇がかかることは言うまでもない。とはいえ、思い立ったが吉日。手紙を通して、誰かに思いを伝えてみてはどうか。例えば、両親に対して簡単な近況報告でも良いだろう。

 かくいう私も、便箋と封筒と切手を調達した。あとは、思いの丈を手書きの文字にぶつけるだけである。


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