【書評】自然の移ろいに気づく――『炉辺の風おと』
本書は大衆小説、児童文学、エッセイなど、多彩な作品を輩出している著者が、八ヶ岳にある山小屋での暮らしを通して得た経験や心の機微を綴った一冊である。
微に入り細を“愛でる”
梨木香歩といえば、草木や動物に関する深い造詣、自然の美しさや季節の移り変わりを精緻に叙述する繊細な文体、そして多様な視点や価値観を否定せずに受け入れるフラットな作風に定評があるが、それは、英国の児童文学者であるベティ・ウェスト・モーガン・ボーエン氏に師事した経験が大きいだろう。
著者が「博愛主義者」と形容する「ウェスト夫人」の姿勢は、彼女の作家性に大きな影響を与えているように感じる(詳細は『春になったら莓を摘みに』が明るい。ちなみに本書でも、ウェスト夫人とのその後に関する話が収録されている)。
そんな、微に入り細を“愛でる”著者の視点は、本書でも健在である。人生の終焉を自覚し始めた著者は「山の深みに届いた生活」に憧れ、長野県から山梨県にまたがる八ヶ岳の山中に山小屋を購入。周囲に人や民家がない、社会から孤立した環境での生活は、不安・不便・不足の三拍子がそろっているように感じるが、著者の文章からはそんなネガティブな要素は一切感じられない。むしろ自然を構成する生き物としての「人間」を、深く見つめなおす内容となっている。
キビタキ(渡り鳥)の訪れで夏の到来を予感し、捕食者である鳥類の餌食となるリスクがありつつも小屋から外界へと放たれたアカタテハ(蝶)の行く末に思いを馳せる――。こうした、自然の機微や動植物との交流を軽やかな筆致で描かれており、これらの描写の一つ一つに、自然や動物(人間を含む)に対する著者の深い洞察、そして尊敬と慈愛の念が込められていると感じる。
温かいコーヒーを片手に……
その一方で、「破壊と創造を繰り返すことが、常に生き生きとした活性化への(経済の面でも)道だという考え方もあっただろうが、その結果がこうした使い捨て文化に繋がりデブリの堆積を招き、どうしようもない閉塞感の漂う世の中になったと思えば、これはやはり、失敗だったのだ」「自然は人間にいつもやさしく友好的だと思わないほうが賢明である(反対に人間が自然にしてきたことは、どんなに謝罪しても取り返しのつかないことばかりだ)」などと、人間が冒してきた行為に対する指摘は手厳しい。それは、経済成長の潮流に声を上げることなく飲み込まれてしまった、著者なりの反省の思いもあるのだろう。
われわれの日常生活は非常にあわただしい。落ち着きのないなかで時が流れ、気づけば季節が一周していることに気づく。そんなあわただしい日常のなか、自然の美しさや季節の細やかな移り変わりを再認識するうえで、本書は絶好の一冊だ。
例えば、温かいコーヒー片手に本書のページを捲る。まさに至福の一時である。