断る勇気と信じる勇気
断るのも、信じるのも苦手
断りたいのに、断る理由が言葉にならなくて、つい引き受けてしまう。信じたい気持ちより、悪い結果だった場合のことばかりに気持ちが持っていかれる。
疲れる。しんどい。
「やりたくないことはやらない」を意識して過ごしてみた
引っ越しという大きな環境の変化も良い方向に流れ、この頃、うつが一度寛解した。自分の気持ちに正直に生きるって大事だなぁと思う。(思い出した)
友達以外のお誘いはお断りした。どこまでが知人で、どこからが友達か悩んだけれど、私が大切だと思っている人が友達だ。
断るより難しかったのは、信じること。信じて待つこと
不安症だから、常に何かに不安になって、常に疲弊していた。息子が引きこもっていた頃は、このまま社会に出れないかも…と、不安で押し潰されそうな日々。喧嘩ばかりで、家の中の空気も重かった。
幸い、相談できる人がいて「〇〇君なら大丈夫よ。人よりペースがゆっくりなだけ。お母さんが笑ってれば家庭はうまくまわるもの。信じてあげて。それに、きっと本人も苦しいと思うよ。」それを聞いてハッとした。
そうだ、一番苦しいのは息子だ。私は、寄り添うことより『私が思う一般的な普通の人の生活』ができないことを責め、追い込んでいたことを反省した。楽観的に大丈夫!とは思えなかったし、結構な忍耐力が必要だったけど、そのうち動き出すと信じて待った。
今は、嫌がっていた車の免許も取って、車でバイトに通っている。正社員の求人情報をチェックしてる様子。いいご縁がありますように。
やりたいことして感じる疲れはプラスのストレス。逆はマイナスでしかない
疑って、不安に縛られている時間のストレスも然り。今でもポジティブにはなれないけど、前よりは上手に、不安を心のすみっこに置いておけるようになった…と思う。
「それは嫌だ」という自分の気持ちを大切にしてあげたい。
寛解したうつが再発したのは、今はどうにもできない問題をひとつ、長年抱えているからだろうな。私の地雷。答えを出す時が迫ってきている。
「嫌です。無理です」って言いたいけど、それって人としてどうなの?と考えてしまう。自分が納得できればそれでいいのにね。案外あっさりと受け入れられる可能性もゼロでもないし。
考えたくないから、考えるのやめよう。来るべき時がきたら、自分の正直な気持ちが言えるって信じよう。なるようになる。なるようにしかならない。