うつ病の診断を受けてから15年。良くなったり、悪くなったりのくりかえし。 2019年8月にうつが再発、今は仕事を辞めて、治療に専念中。 うつは甘えだ、根性が足りない、そんな風に言われがち。 違うよ。うつ病は、甘えでかかる病気じゃないよ。 気合いも根性もある。だから、人に甘える前に、まず自分がやれる限界まで頑張ろうとする。 責任感が強くて、自分に厳しい。手を抜いたり、怠けたりできない、そんな頑張り屋さんが、うつ病になりやすい。 食欲が落ちても、夜眠れなくても、脳と体
うつ病でも楽しんでいい。楽しいと思えることができれば、それは治療に繋がる。楽しむことに申し訳なさを感じることはないよ、って先生が言ってた。 年末年始が近付いてくると、体調がとても悪くなり、家から離れたくなる。毎年同じことを先生に話していて、今年も同じことを話した。 入院は、費用がかかるし自由に制限がかかる。実家で療養は可能だけど、家族でも気を使うし心配かけるのもアレだから気が進まない。一昨年はビジネスホテルで過ごしたけど、安定はしなかった。結局、鬱々しながら自宅でやり過ご
12月は苦手。忙しない空気、人の多さ騒がしさ。家族が連休に入る。年末年始は非日常。変化に弱い私にとって、一年で一番苦手な時期。 家庭内の問題が重なり、長引き、心配しすぎる不安な心と、それらから開放されたい思いでショートし、私のメンタルは崩壊寸前だ。昨年も同じような状態で、年末年始は、ひとりビジネスホテルで過ごした。 『こんな状態の私なんか家にいない方がいい。ピリピリさせるだけだ。』と思って。 ホテル暮らしは、楽しくなかったし、虚しさと寂しさで落ち着かなかった。夫からは、LI
更新頻度は低いけど noteをはじめて3年がたった🥳🎉 過去の記事を読み返す。涙が出た。 まだ辛いと感じている自分を、ただ受け入れる。 辛いなりに、なりたい自分に少しずつ近づけている。生きているからこそ。
*猫は全く関係ないです。珍しく、少し前向きなことが頭に浮かんだので、備忘録として。 ○○さんに(親戚の叔母さん)会ってしまった… 2年ぶりくらいかな? やっぱり人と話すと疲れる( ꒪⌓꒪)💭 というか、自分ってどんなだっけ?ってなる。 ふと、自分は、お金があるなしとか、頭がいい悪いとか、そういうことで人と比べて卑屈になることは、なかったかもと思う。 すごいな、偉いなとは思うけど、それで終わる。それに比べて私は、ってならないのは、私のいい所かもしれない。うん。 過去の
昨年夏の血液検査で、コレステロールやら血糖値やらの数値をぶっちぎり、ダイエットせざるを得ない状況になった。 それから、オートファジーダイエット(24時間の中で16時間断食)で、4ヶ月で8キロ減。秋の血液検査では、数値も正常に戻った!のに… 11月に体調(メンタル)を崩し、抗うつ薬が変更・増量になった途端、私の体は再び逞しく育ってしまった。 たった1ヶ月で5キロ増とか勘弁してほしい。うつ病は寛解させたいけど、太って醜くなっていくことで病みそう。 それと、アカシジア。多分
夏頃から揺らいでいたメンタルが、最近さらに揺らいでいる。さて、穏やかな気持ちで年末年始を迎えられるのだろうか? うつ再発後、一年目は、働くことが当たり前の生活から、専業主婦になったことに罪悪感を抱かず、きちんと休むことが最優先だと意識して過ごした。 できてたことができなくなって、情けなくて…でも、病気なんだから、できなくてもいいんだ、と言い聞かせてきた。 いろんな感情に折り合いをつけるのは難しくて、やっぱり情けなくて泣いてしまう日もあった。そうやって二年目に入り、できる
今日、運転中に下校中の小学1年生と3年生くらいの男の子を見かけた。兄弟かな?ガードレールも柵もない道。私の車が走ってくるのを見ると、お兄ちゃん、弟の体の前にそっと手を伸ばして立ち止まった。 私はスピードを落として通り過ぎたわけだが、なんとそのお兄ちゃん、すれ違う時にぺこりと会釈をしてくれた。 彼の行動が素晴らしくて、とても幸せな気分になり、自然と笑がこぼれた。どうかそのまま大きくなっておくれ。 スーパーで、高齢のおじいさんとおばあさんが、寄り添って買い物をしてる姿とか、
こちらの記事の続編です。 義母のせいで私が失ったものは、もうすぐ戻ってくる。でも、離れている時間があまりにも長すぎた。いろいろあった。過去も現状も知らない人たちからの人格否定・母親失格のレッテル・それらには生きていく気力を奪われるほど深く傷ついた。 当初は大切なものを奪われた悔しさがあったが、長い時間が経ちすぎて、今ではもう、それが大切なものだったのわからなくなってしまった。恨みすら生まれているような気がする。正直逃げ出したい。 笑顔で受け入れれば、夫も安心するだろう。
先日、義母から夫の兄(長男に)金銭的援助の申し出があった。義母は私をいじめ倒し、メンタルを崩壊させた。(もちろん私の弱さは否定できない) その後、ターゲットをかえ、同居していた義姉を潰し、11年前お家騒動が勃発、義母が家を出た。みな、はらわた煮えくり返る感情を抑え、できる限り穏便に済まそうとしたが、そんな気持ちは全く届かなかった。立場が悪くなると、その場から逃亡するような人だ。話にならない。 その頃の私は「義母は大嫌いだけど、夫の母親だから、夫が後悔しないようにすればいい
長男が結婚する。母は、嬉しい。とてもとても嬉しい。家を出るのは、まだ数ヶ月先の予定。それまでの時間を、大切に過ごそう。 私は、30歳で離婚している。長男が7歳で、次男は4歳だった。38歳で今の夫と再婚し、さらに環境を変えてしまった。寂しい思いをしただろうし、我慢することも多かったと思う。 なにより私がうつ病になったことで、母親の見たくない姿も見せてしまったし、随分と不安な思いをさせてきたと思う。 そんな頼りない母親に、文句ひとつ言うことなく、20歳の誕生日には「育ててく
うつ病になる前に戻っても、100%うつ病になる自信がある。だから戻りたいとは思わない。戻れないし。今はただ、繰り返し再発しないように、寛解できるように過ごすだけだ。 人付き合いをお休みする。小さなことでもできれば褒める。その日の気分で行動する。何もしない日もよしとする。そうやって、息のしやすさを知っていく。 ただひとつ、毎日のことで辛いのは、夜眠れないこと。年々眠剤が効かなくなり、種類も数も増えた。寝つきの悪さ、夢見の悪さ、中途覚醒。起きたら疲れている。 その日の睡眠に
断るのも、信じるのも苦手 断りたいのに、断る理由が言葉にならなくて、つい引き受けてしまう。信じたい気持ちより、悪い結果だった場合のことばかりに気持ちが持っていかれる。 疲れる。しんどい。 「やりたくないことはやらない」を意識して過ごしてみた 引っ越しという大きな環境の変化も良い方向に流れ、この頃、うつが一度寛解した。自分の気持ちに正直に生きるって大事だなぁと思う。(思い出した) 友達以外のお誘いはお断りした。どこまでが知人で、どこからが友達か悩んだけれど、私が大切だ
少し前にnote運営から#noteまとめ2020メールが届いた。書くことが好き!という割には、17本しか記事にできてない… 否!17本はすごいじゃあないか。頑張ったぞ私! 拙い文章を読んでくださる皆さまに感謝です。本当にありがとうございます。2021年も継続していきますので、どうぞよろしくお願いします🍀 #noteまとめ
メンタルハッカーほっしーさんのように、うつ病経験者の視点から、何かお役に立てる情報発信がしたいと思った。その手段としてnoteを選び、noteを読んでもらうための入口としてTwitterを始めた。とんだ勘違い女でした… ■前回の記事 ■メンタルハッカーほっしーさん自己紹介動画 そんなことを考えていた自分が、とても恥ずかしい。再発して間もない、情緒不安定な私がまずやるべきことは、寛解を目指すことだ。精神疾患、主にうつ病について、間違いのない情報を発信するため、日々勉強され
うつ再発で退職し、二ヵ月が経った頃、友達からHSPの話を聞いたのがきっかけで、メンタルハッカーほっしーさんを知った。 ほっしーさんは、うつ病経験者。現在は、寛解してお仕事もされている。主にYouTubeで、ご自身の経験談やメンタルに良いことを発信してくれている。私の耳には心地よい声で、鈍った頭にもわかりやすいお話。「うつを治す努力をしてきたので効果と難易度でマッピングしてみた」という本も出版されている。 本を読み、いくつもの動画を拝見していて、私は自分がうつ病であることを