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テレビの裏側

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テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
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三谷幸喜と楳図かずおとびっくり日本新記録

三谷幸喜と楳図かずおとびっくり日本新記録

2024年11月21日、朝日新聞夕刊より。

三谷幸喜さんの「連載エッセイ」。

https://youtube.com/watch?v=mVwt9lmjXlI&si=l2Qs27VrJzSw9sF4

https://youtube.com/watch?v=PNzgc5f4WNQ&si=zxtUg02BOQ74Xwtg

三谷幸喜さんは大学生の時、友だちとテレビ番組「びっくり日本新記録」に出場し

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11PMの頃

11PMの頃

僕は宴会で浮かれていた。

場所はJTB(日本交通公社)の箱根の保養所。

時は1981年10月。この当時、内定をもらった学生は10月1日に東京駅に隣接するJTB本社に集合、新橋のホテルに缶詰めにされ、宴会。

二日目、箱根の保養所に移動して、またしても宴会。

そして、三日目東京駅のJTB本社に戻って来て拘束が解かれ解散となるのである。

大阪の自宅に帰って来て数日、JTBからの電話で僕は内定を

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神戸銀行から三井住友銀行へ

神戸銀行から三井住友銀行へ

僕が生まれたのは1960年(昭和35年)。

多分、幼稚園に入る前から、「お年玉」をもらっていたと思うのだが、はっきりとは憶えていない。

でも、小学校低学年の頃、気が付けば、僕の「銀行通帳」は作られており、それは「神戸銀行」のものだった。

何故なら、僕たち家族は当時、兵庫県西宮市に住んでいたからである。

1973年、僕が中2の時、「神戸銀行」は「太陽銀行」と合併して、「太陽神戸銀行」となる。

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14歳、206cmの少女

14歳、206cmの少女

当時、14歳で身長が206cmあったエリザネちゃん。

つまり、「ジャイアント馬場」と同じ身長。

「手術」をする事で、それ以上の成長を止める事は出来た。

現在では、165cmの夫と恋愛結婚して、二児の母であり、人妻。

この当時、こうした「世界のビックリ人間」を日本の「テレビスタジオ」に連れて来て、「ある種の見せ物」にする番組が流行っていた。

206cm、身長がある14歳の「エリザネちゃん」

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月ともぐら

月ともぐら

毎週木曜日の深夜27:05から30分間、「月ともぐら」という番組を「地上波」の「テレビ東京」系列で放送している。

もちろん、「TVer」でも視聴可能‼️

「お月ちゃん」と呼ばれる「AV女優」が10人と、「ゲスト芸人」が二人。

司会は「モグライダー」。

最初は「AV女優」の「明日葉みつは」が出演しているという事を聞き、観てみた。

この番組、結構面白い。

入社した頃の「よみうりテレビ・制作部」

僕は、昭和58年(1983年)に読売テレビに入社。大阪本社の「制作部」に配属された。

その時、「東京制作部」を含め、「昭和37年入社組」の先輩方がバリバリ働いておられた。

「2時のワイドショー」班の部次長をやられていた橘功さん。

「おもしろサンデー」「びっくり日本新記録」「寛美85分」「お笑いネットワーク」班の部次長をやられていた広田基さん。

「お笑いネットワーク」「上方お笑い大賞」のプロ

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生放送の「確定」

「生放送」には「確定」と言う用語がある。

いちばん、多くの人が知っている「確定」は、「24時間テレビ」の「大エンディング」。

あの名曲「サライ」がスタートする時間は「番組のエンド」から逆算して、「◯◯時◯◯分◯◯秒」まで「確定」で時間が決まっている。

たとえ、まだ「チャリティーマラソンランナー」がゴールしていなくても。強制的に「サライ」は定刻に流れ始め、そのイントロで、羽鳥アナウンサーが「募

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TMC

僕が「ダウンタウンDX」(読売テレビ制作日本テレビ系・1993年〜)の「宣伝」をやっている時代、「TMC」にはよく通った。

「TMC」とは「東京メディアシティ」というスタジオの事。場所は小田急線の「祖師ヶ谷大蔵駅」から歩いて10分位の場所にある。

元々、戦後、「戦車以外は何でも来た」と言われた「東宝争議」(東宝経営者と労働組合の争い)の際、争議に嫌気が差した俳優・監督などのスタッフが「東宝」を

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東京大阪「台本」の違い

東京と大阪の「バラエティー番組」の台本の違い。

東京の方は「MCの台本には『ゲストや観客を笑わせる内容』まで書かれていて、東京のタレントさんは「台本通り」に忠実になぞって進行していく事が多い。

大阪の台本。書かれているのは「必要な情報」だけ。あとは「スタジオ大爆笑のうちにCMへ」という一言のみ。

台本を事細かく書くと、関西の芸人さんやタレントさんには失礼にあたる。

「笑いにうるさい関西人」

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入社の頃の「制作部で

入社した1983年、会社は大阪の東天満にあった。日本テレビに遅れる事5年、1958年に突貫工事でなんとか開局。

用地はお寺のお墓を移転して、そこに建てたものだった。「お墓の跡地」は縁起が良いらしい。

僕が「制作部」に配属された当時、5階にある「制作部」の北東の角の席は「鬼門」と呼ばれていた。

そこに座った部員が次々と亡くなったからである。もちろん、例外的に生き延びた人もいたが。

スタジオは

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しゃべくり漫才

「しゃべくり漫才」が好きだ。

センターマイクを挟んで、二人が動く事なく、普通の静かな喋りで笑わせる漫才。地味な様だが、「喋るだけで笑わせる」には大変な技がいる。

僕の大好きな「中田ダイマル・ラケット」(以下、全て敬称略)が心斎橋のホールで三夜連続で漫才をやった。うちの局の中継が入っていた。

この時の映像を是非ともDVD化して欲しい。僕の切なる願い。

うちの局のライブラリーには在阪局でいちば

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宣伝という仕事

ドラマ班から東京宣伝部に異動になって、様々な番組の宣伝を担当した。

「名探偵コナン」「ブラックジャック」「結界師」「秘密のケンミンSHOW」「ダウンタウンDX」などのレギュラー番組。

そして、木曜23:59から始まる連続ドラマを15本余り。

さらに、遊川和彦さん脚本、堺雅人さん主演のスペシャルドラマ「ニセ医者と呼ばれて 沖縄・最後の医介輔」(2010年)。

まずは今年放送開始15周年になる

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西田二郎

「僕は西田二郎が大好きだ❤️」

彼には「テレ」がある。僕は「どんなに優秀な人」でも、「テレ」の無い人とは付き合いたくない。

10年位前の「ダウンタウンDXDX」、沖縄からの生放送で、「総合演出」の西田二郎は2時間、ディレクターの後ろに立ち続けて、「視聴者から来るTwitter」を「ほぼオンタイム」でOA画面にスーパーしていった。ディレクターはかなり嫌がっていたが。

僕は当時、「ダウンタ

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