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テレビの裏側

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テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
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#テレビドラマ

早撮り監督

僕が大阪で甲斐智枝美主演の「見上げればいつも青空」という「朝の連続ドラマ」の助監督をやっていた時の事。

元・毎日放送の瀬木さんという監督と仕事をした。

瀬木さんは「毎日放送」にいた時代、「賞取り男」と言われ、数々の名作ドラマを手がけてきた。

フリーになった瀬木さん。

ある日、翌日のロケの「カット割り」をコピーする為、監督から台本を借りた。4ページにわたるシーンが有ったのだが、「白紙」で何も

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鶴橋康夫監督を悼む

「『視聴者』と『相手役』と『監督である僕』と『映像の神様』の4つのショット」を撮らせて下さい。

1976年の連続ドラマ「新車の中の女」の撮影現場で、鶴橋康夫監督が主演の浅丘ルリ子さんに言った言葉だ。

鶴橋康夫監督は、基本、4方向から2カメで8パターンの映像を撮って、それを粘りに粘って、緻密に編集する。

僕は1994年夏、大阪の「制作部」から東京の「ドラマ制作部」に異動になった。

「阪神淡路

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ドラマの「編集」

大阪で「朝の連続ドラマ」をやっていた時、土曜・日曜・月曜が「編集」と「MA(音楽や効果音を入れる作業)」の作業。3日共、ほぼ徹夜だった。

確か、「現場のAP」もやっていたから、いつ休んでいたのだろう?若いから出来た事だ。

「編集」の終わり、月曜日の夜明け前に、「出演者とスタッフのテロップ入れ」の作業が毎週ある。月曜〜金曜放送の5本分。

まず、台本を読み直しながら、「その回に出ている出演者の役

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ドラマのタイトルバック

ドラマのロケで借りにくい場所一覧。

デパート、コンビニ、病院、裁判所、電車の中・ホームなどなど。

エレベーターの内部も「カメラの引きじり」が無いので、セットで作る事が多い。

「デパート」は開店までの時間、「恵比寿のアトレ」を借りて撮影した事がある。

午前10時開店なので、余裕をみて、午前9時半「完全撤収」。それゆえ、撮影は早朝からになる。

プロデューサーは「早朝」や「深夜」の撮影には立ち

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助監督

僕は「助監督」を1回だけやった事がある。

収録8ヶ月、放送半年の、朝の連続ドラマ「見上げればいつも青空」である。

視聴率は「青空」では無く、「いつも曇空」だったが。

「助監督」は常に「撮影現場」にいなければならない。

ロケの時はロケ隊が出発する時間の1時間前位から、ロケ隊が戻って来て1〜2時間後まで。

スタジオの時も午前9時開始だと、午前8時前から深夜まで。

撮影後、スタッフルームに戻

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鶴橋康夫監督

「ツルさんは冷たい心の持ち主ですね」

僕はタクシーの中でテレビドラマ界の重鎮で「賞取りディレクター」の鶴橋康夫さん(『ツルさん』は愛称)に、酔っていた訳では無く、素面でそう言った。

ツルさんの「演出」は俳優が現場に着いた時から始まる。いや、それ以前、指しで俳優に飲みに誘われた時、決して断らない。連日俳優と飲みに行く。

俳優の話をよく聞いて、その人が何に興味があるかを敏感に感知し、そこを集中的

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ドラマの美術打ち合わせ

台本が上がって来て、早々にやる打ち合わせを「美打ち(美術打ち合わせ)」という。参加するのは、プロデューサー、監督、助監督、製作部(ロケ場所を探すセクション)、美術部、撮影部、照明部、録音部、記録などなど。

予算の事もあるので、シーン毎にプロデューサーが「ロケ」か「スタジオのセット」かを決める。

そして、監督に対して、いろんな質問が飛び交う。

例えば、劇中に出て来る「新聞の記事」「雑誌の表紙や

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制作担当

「鉄砲」。撮影用語である。「許可を得ずに撮影する事」。

東京で言えば、「渋谷のスクランブル交差点」、大阪で言えば、「ミナミのひっかけ橋(戎橋)」は絶対にドラマ撮影の許可は下りない。
どちらも撮影をすれば、大混乱になるのが見えているからだ。

今日は「製作担当者」の話。
大阪で「朝の連続ドラマ」が始まった時、助監督は東京から呼んで来た。

しかし、「製作担当者」は東京から呼べないのである。

そも

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ドラマの集合場所

ドラマのロケ。

スタッフの集合場所と言えば、「新宿・スバルビル前」「渋谷・パンテオン」「有楽町・マリオン前」「成城学園前・ミスタードーナツ前」などである。

この集合場所には、「テレビドラマ」「映画」「Vシネマ」「アダルトビデオ」など、撮影隊と呼ばれるロケバスとそれに関わる人たちが集まる。

「新宿・スバルビル前」。
新宿駅JR西口を出て、真向かいに
見える「スバルビル」。

その前が車線が幾つ

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山田太一、再び

山田太一、再び

脚本家・山田太一さんに会いたかった。

僕は大阪でドラマを作っていて、東京に異動になり、ドラマプロデューサーになったのだが、とてもラッキーだった。

東京でのプロデュースデビュー作「八月のラブソング」では、共同テレビの名プロデューサー中山和記さん(「ニューヨーク恋物語」「29歳のクリスマス」「金(きむ)の戦争」「さよなら李香蘭」など)と御一緒した。

また、ドラマ「永遠の仔」「天国への階段」では、

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