鶴橋康夫監督
「ツルさんは冷たい心の持ち主ですね」
僕はタクシーの中でテレビドラマ界の重鎮で「賞取りディレクター」の鶴橋康夫さん(『ツルさん』は愛称)に、酔っていた訳では無く、素面でそう言った。
ツルさんの「演出」は俳優が現場に着いた時から始まる。いや、それ以前、指しで俳優に飲みに誘われた時、決して断らない。連日俳優と飲みに行く。
俳優の話をよく聞いて、その人が何に興味があるかを敏感に感知し、そこを集中的に話のテーマの中心に置いて会話をする。
俳優は当然気持ち良くなり、鶴橋康夫ディレクターの為なら精一杯演じようと心に決める。
撮影現場でもリハーサル、俳優に自由に動いて貰って、カメラの角度に合わない芝居が有れば、そこだけを修正する。
決して、俳優を自分の型にはめない。
かつて、ツルさんは浅丘ルリ子さんに2つの事を言ったそうだ。
浅丘さんが「演技」をつけようとしないツルさんに「演出」して欲しいと言った時、
「僕の『演出』はロケ場所を決めたところから始まっているんです」と答えたという。
そして、ツルさんは浅丘さんに「僕は4つの方向から2カメで撮ります。1つ目は『視聴者(浅丘さん)』の為に、2つ目は『相手役』の為に、3つ目は『監督』の為に、4つ目は『映像の神様』の為に」
つまり、1つの芝居で8パターンの映像を撮る。しかも、その映像は少しずつズームインし、変幻自在に変わって行くのである。
後は「編集」。じっくりと編集にかける時間を取り、NGカットも含めて、「映像を吟味」し、「映像のマイスター」になるのだ。
その為の「映像集め」の為なら何でもする。だから、俳優を乗せ、いちばん良い状態を作り出す。
その辺が、僕が冒頭に書いた「ツルさんの冷たさ」なのである。
自分の撮るドラマの為にはどんな事でもする。特に、「編集」は「人物を切り取る作業」だ。
「冷たさ」が無いとその作業は出来ない。そこがツルさんのディレクターとして、素晴らしいところなのだと思う。
ドラマ「永遠の仔」の際、原作に14歳の少女が全裸で砂浜を海に向かって走るシーンがあった。もちろん、本人、親、事務所には了解を取っている。
海岸には最小限のスタッフ。彼女の着替える小さな小屋。そして、外部の人が入ってこない様に警備を海岸の周りに付け、厳戒態勢の中、ロケを敢行。
海の中に入って、少女を狙っていたカメラマンが波でカメラを落としてしまった。そのカメラに残された「海底に砂が舞う映像」を見て、ツルさんはそのシーン全体をOKにしたのだ。
「海底に砂が舞う映像」は少女の走る映像に効果的に編集で入れ込まれ、放送ではとても感動するシーンになっていた。
ツルさんは「フグ料理」が大好きだ。大阪にドラマの会見で行った時、会見終わりでミナミの「フグ料理店」に行って、2人でたらふくフグを食べ、関空から東京に帰った事もあった。
ツルさんに誘われ、赤坂の「高級フグ料理店」で飲んでいた。
フグチリを食べ終わった頃、突然、襖が開いた。サプライズ!
そこに立っていたのは、日活の大女優・浅丘ルリ子さんだった。浅丘さんは、鶴橋康夫演出の連続ドラマ「新車の中の女」、数々の賞を取った「木曜ゴールデンドラマ」で主役を演じていた。
浅丘ルリ子さんは僕の真向かいに座り、七輪で焼いていたフグを僕の皿に取り分けてくれた。とっても恐縮した。
ツルさんがタバコを二箱買って来て欲しいというので、僕は使いに出た。
帰って来て、タバコを渡すと、七輪の陰から浅丘さんがそっと千円札を四つに折り曲げて、僕の方に出して来る。
「少ないお金でも溜まると大きくなるから」とツルさんには聞こえない様に小声で僕に呟いた。
浅丘ルリ子さんの心遣いが有り難く嬉しかった。25年ほど前の話だ。
僕は、「寝たふりしてる男たち」(1995年・AP)、「永遠の仔」(2000年・プロデューサー)、「天国への階段」(2002年・チーフプロデューサー)と3本の連ドラで鶴橋康夫ディレクターと一緒に仕事をした。
地方ロケに行くと、夕食の時、大広間でキャスト・スタッフ全員が集まり、「ド」「ミ」「ソ」のグループに分かれて、ツルさんの指揮で合唱した。
これはツルさんが敬愛する黒澤明監督がやっていたと聞いた。
鶴橋康夫ディレクターの最新作「女系家族」がテレビ朝日で放送された。とても面白かった。
ツルさんは1940年生まれだから、今年で83歳になる。お酒の飲み過ぎか、手のひらが赤くなっている。膵臓が心配だ。
でも、今頃新作ドラマの脚本を書いているに違いない。それが僕には楽しみだ。