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山田太一、再び
脚本家・山田太一さんに会いたかった。
僕は大阪でドラマを作っていて、東京に異動になり、ドラマプロデューサーになったのだが、とてもラッキーだった。
東京でのプロデュースデビュー作「八月のラブソング」では、共同テレビの名プロデューサー中山和記さん(「ニューヨーク恋物語」「29歳のクリスマス」「金(きむ)の戦争」「さよなら李香蘭」など)と御一緒した。
また、ドラマ「永遠の仔」「天国への階段」では、元・NHKの名プロデューサー近藤晋さん(「黄金の日々」「獅子の時代」「男たちの旅路」「日本の面影」など)とお仕事させて頂いた。
脚本家の鎌田敏夫さんとは「ピーチな関係」というドラマの打ち上げパーティーで、後輩プロデューサーの木村元子の紹介で、一瞬だったが言葉を交わし、握手をした。
そして、「フレーフレー人生!!」というドラマでは超憧れの脚本家・遊川和彦さんと念願の対面。それ以来、お仕事は全くしていないが、20年以上、年に数回食事を共にして映画・ドラマの話に明け暮れている。
僕はこんなにとてもとてもラッキーである。
しかし、生前の山田太一さんにはお会いする事は出来なかった。
今思えば、プロデューサーの近藤晋さんが亡くなられた2017年2月、成城学園前の教会で行なわれた告別のミサに参列していれば、近藤さんと数々のドラマを手掛けた山田太一さんのお顔を直に見られたかも知れない。
しかし、僕はその時、精神疾患を患っていて、とてもそのミサに参列出来る状況では無かった。
山田太一さんは確か2018年に脳梗塞で倒れられているから、2017年のその時はお元気で、お会い出来たかも知れない。
それ程、脚本家・山田太一さんは僕にとって、憧れの存在であり、手塚治虫さん同様、「神様」なのである。
昨年末、山田さんが亡くなられてから、その著作を次々と読んでいる。
不遜な言い方かも知れないが、「考え方」「感受性」「恥じらい方」が僕とよく似ている様に、僕は思う。
生まれてこのかた、いじめられっ子だった僕は「本」が友だちで、何千冊の本を読んだが、こんな「感性」にぴったり合う本の数々に埋もれられる日々を送れるのは本当に幸せな瞬間(とき)なのだ。
ビアホール「ライオン」か気の置けないどこかで、山田太一さんと指しで飲みながら、いろいろ話している自分を、山田太一さんのエッセイを読みながら夢想している。