noteをする上で、最も喜びを感じることって何ですか?
2021年1月1日。
僕はnoteを始めた。
最初のnoteとの出会いは、Youtubeだった。
次々と出てくる「あなたへのおすすめ」の中に、ある動画が目に止まった。
それはキメラゴンさんの動画だった。
「中学生にして月収7桁、様々な会社からオファーなどがきている」と、キメラゴンさんの説明とともに、noteについても初めて知った日だった。
文章・画像・音声・つぶやき・映像。
様々なツールが揃っており、使いやすさなどにも魅力を感じた。
でもすぐにnoteを始めることはできなかった。
なぜなら受験生。
noteは本当に今の時期にやるものなのかと何度も考えた。
でも、そう考えている間にもnoteのたくさんの記事を読んだ。(noteはメールアドレスの登録なしでも読める)
そこには色々な魅力ある文章や画像があり、みるみるうちに吸い込まれていった。
その中でも特に印象に残ったのが、小説を書いて投稿しているある方だった。
その人の書く小説は、とても美しかった。
美しかったというと変になるが、本当に美しかったのだ。
表現の仕方。文法。全て自分のために書かれているような。そんなぴったりと、自分好みの小説だった。
そうして読んでいくうちに、日本語の美しさにも気づいた。
例えば日本語の表現。
「数多く」
かずおおく、と読むがこれには別の読み方がある。
「数多く」
あまた(く)、と読むのだ。
本来は「数多」と書くのだが、送り仮名をつけても問題ないらしい。
これは個人好みの問題ではあるが、「数多くの星(かずおおくのほし)」と読むよりも「あまたのほし」と読む方が、僕は美しい感じがするのだ。
なぜかこう懐かしい感じがした。
さて、ここまでの経緯を兼ねて、僕はnoteを始めた。
一番noteでやりたかったのは、小説を書くことだ。
一番勇気づけてもらった小説というジャンルで、今度は僕の書いた小説で他の誰かを勇気づけられたら、笑顔にできたらなと思いnoteを書き始めた。
最初に書いているときはまるでなにを書けばいいのかわからなかった。
これで本当にたくさんの人に読んでもらえるのだろうか。
表現の仕方が間違っていないだろうか。
いろんな思考をしながら小説を書いていった。
できた。と思い投稿すれば、当然フォロワーも0だった僕の小説を見てくれる人なんて指の数ほどの方しかいなかった。
そもそも中学生が書いた投稿なんて誰か見てくれるのだろうか。
本当にこれでいいのだろうか。
そんなことを考える日が続いた。
いつの日か、ある投稿をみた。
そして気づいた。
たくさんの人に見てもらう。だとか、スキをしてもらうためには。とか、そういう風に考えて投稿するのも、もちろんいいと思う。
でも、最終的には自分の本当に書きたいと思っていることを、本心を、そのまま書きたいがために書けばいい。
そういうふうに考えるようになった。
「noteを書く上での喜びはなに?」
こう聞かれたら、大半の方は「フォローしてもらったとき」や「沢山の人に見てもらえたとき」だったり「スキしてもらえたとき」などと答えると思う。
当然の答えだと思う。
いろんな人に見てもらえることは嬉しいし、スキされた時も嬉しい。
でもやっぱり、『自分で考えて指を動かして、試行錯誤してみなさんにこうして文章を読まれているというその事実が何よりも嬉しい。』と思う。
居場所がない方だったり、落ち込んでいる方も世の中にはたくさんいると思う。
そんな方たちもみんな笑って読める文章や画像がここには詰まっている。
つまり「居場所」があるってことだと思う。
人はとっても寂しがり屋で、でも居場所が一つでもあることによってだいぶ心が救われると思う。
そんな居場所を一つでも多く作るために、僕は今後もnoteを続けたいと思う。