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モームは「月と六ペンス」に何を見たのか...
The Moon and Sixpence
ゴッホとゴーギャンの出てくる原田マハさんの「リボルバー」が話題になっていて、私も読むのを楽しみにしてるとこです。
ただ、”ゴーギャン” というと、サマセット・モームが1919年に著した「月と六ペンス」を思い出しちゃうんで、今回は、そのことについて "note" したいと思います。
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まず、はじめに言っておくと、この「月と六ペンス」は、マハさんのような史実を基にしたフィクションではなく、モームが一部の史実にインスピレーションを受けて書いたフィクションなのです。
主人公としてストリックランドという画家がでて来るのですが、絵のために家族を捨ててパリに移ったり、タヒチに渡ったりと、ゴーギャンを連想させる行動をとりますが、史実にとらわれているわけではないのが「月と六ペンス」の特徴なのです。
あるパーティで出会った、冴えない男ストリックランド。
ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。
パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは――。
主人公ストリックランドは、ゴーギャンをモデルにしたというより、ゴーギャンという画家にインスパイアされて創造されたキャラクターです。
このストリックランドという主人公が、まあ、ひどい奴なんですよね。
気難しく、生きたいように生きる人で、絵を描くために、簡単に奥さんを捨てる、友人の妻を寝取る、そして、また捨てる。
そんなクズな人間なのです。
語り手となっている友人(知人?)には、ストリックランドの行動は醜悪なものにしか思えず、ストリックランドが何を考え、何を求めているのか理解できない...
そんな感じで物語は進むのです。
正直、読む側にとっても、ストリックランドのことは、よくわからない。
でもですね、何故か魅力も感じてしまうんです。
芸術家ってこうなんじゃない?と思っちゃうんですよね~。
自分には見えないものを見てる人って、やっぱり、惹かれちゃうんでしょうね。だから、嫌な人間のストリックランドにも、惹かれる部分が確実にあるのです。
そういう部分は、もしかすると、史実以上にゴーギャンという画家の本質に迫ってるような気になるんですよね。
物語の終盤、タヒチに渡ったストリックランドが最後に完成させた絵画の話がでてきます。
そして、そのモデルになったと考えられるゴーギャンの作品。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
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パリを追われてタヒチに渡ったゴーギャンが描いた大作です。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というタイトルから、ゴーギャンが求め続けたものの一端が垣間見えるように感じます。
実際、この大作を完成させた後、ゴーギャンは自殺(未遂)してるので、遺書ともとれるこの作品にかけた思いを想像するのです。
おそらく、モームが描きたかったものも、この絵画からインスパイアされたのではないかと、自分としてはそう考えています。
ゴーギャンは生き延びた後、マルキーズ諸島に移り、そこで死んでいくことになりますが、「月と六ペンス」のストリックランドは、同じ途はたどりません。
ストリックランドがタヒチで描いた最後の作品がどうなったのか、ぜひ、本書を読んで確認していただければと思います。
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「月と六ペンス」というタイトルは、私の好きな『〇〇と〇〇』タイプのタイトルなんですが、「月」や「六ペンス」については、物語中に言及された箇所がないので、いろいろと想像させる部分です。
「戦争と平和」タイプの対比型の並列パターンと思うのですが、各訳者さんの解説の中では、「月」は夢で「六ペンス」は現実、「月」は夜空に輝く美で「六ペンス」は世俗の安っぽさ、「月」は狂気で「六ペンス」は日常を象徴しているのかも、などと言及されています。
正解があるわけではありませんが、個人的には”夢と現実”が一番しっくりくるかなって思っています。
私なりに、もう少し深堀りすると、「夜空の満月」も「六ペンス銀貨」も、白銀に輝く円形のものだけど、「月」は手に取ろうとしても届かないもので、「六ペンス」は現実に手に入れられるもの、そんな対比を表わしたタイトルなのではと思っています。
手に取ろうとしても届かないものを追い続ける一人の画家、それが理解できない周りの人物(読者も含む)、モームは、その構図を描き出したかったんじゃないかと、そう考えたりするのです。
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