マガジンのカバー画像

読書会レポート

40
読書会のレポートです。主催者の感想、ご参加いただいた方の感想を載せています。
運営しているクリエイター

記事一覧

11/24 早朝読書会 芥川龍之介「或旧友へ送る手記」 レポ

読書会をやってみて芥川龍之介「或旧友へ送る手記」の読書会を5名でやりました。 この作品はその名の通り、芥川龍之介が自殺する前に書いた手記です。「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」という言葉は有名ですね。 今回じっくり読んで気付いたのですが、情緒に訴えかける文章ではなく、かなりシステマティックな文章だと思いました。〈マインレンデルは抽象的な言葉に巧みに死に向ふ道程を描いてゐるのに違ひない。が、僕はもつと具体的に同じことを描きたいと思つてゐる。〉と書いてあるよう

10/20 早朝読書会 「般若心経」現代語訳 レポ

読書会をやってみて「般若心経」現代語訳の読書会を6名でやりました。 今回、岩波文庫の現代語訳で読みました。 般若心経を読んでみて、まず現代の物理学との繋がりを考えました。 現代では物質の最小単位は一応、素粒子ということになっています。物理学の教科書では素粒子というと球体の形で表現されていますが、本当はそんな形ではないらしいです。不勉強なので詳しくは言えませんが、ひものような状態だったり、振動のようなものだという話があります。 そして、我々の身体や、眼の前にある机やパソコ

8/11 早朝読書会 宮沢賢治『なめとこ山の熊』2 レポ

読書会をやってみて宮沢賢治『なめとこ山の熊』の読書会を7名でやりました。 今回は先週の続きで、「ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆きもを売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。〜」から最後まで読みました。 この作品はなめとこ山にいる熊とマタギの淵沢小十郎の話です。 一般的にマタギと熊は敵対関係にあると思われてます。が、この作品の熊と小十郎の間には緩やかな関係がある。熊たちは小十郎のことがすきであるが、銃を向けられるのはすきではないと、あったり、小十郎の

8/4 早朝読書会 宮沢賢治『なめとこ山の熊』1 レポ

読書会をやってみて宮沢賢治『なめとこ山の熊』の読書会を6名でやりました。 今回は最初から「〜くろもじの木の匂においが月のあかりといっしょにすうっとさした。」まで読みました。 この作品は、淵沢小十郎というマタギの大男?と熊たちの話です。 読書会では作品に出てくる宮沢賢治?自身の語りに着目しました。語り手が出てくるシーンがあまりないので、ぼくは一人で読んでいるときは気づきませんでしたが、注意深く読むと語り手の一人称が「私」から「僕」に変わるところがあります。 冒頭では一人称

7/13 早朝読書会 レベッカ・ブラウン『体の贈り物』から「汗の贈り物」 レポ

読書会をやってみてレベッカ・ブラウン『体の贈り物』から「汗の贈り物」の読書会を8名でやりました。 『体の贈り物』は「エイズ患者を世話するホームケアを語り手とし、彼女と患者たちとの交流をめぐる、生と死の、喜びと悲しみの、希望と絶望の物語」です。 今回ははじめにある「汗の贈り物」という章をみんなで読み感想を言っていただきました。 その中の意見として、患者さんの立場からの意見、ケアをする立場からの意見、身体性や食べ物の効果、テーマ批評的な切り口、などなど様々な話に発展していきま

新約聖書 マタイ福音書 第20章 ぶどう畑の労働者 感想

最初ぱっと読んだときは正直納得いかない話だな、と思いましたが、読書会でみなさんとお話していくうちになんとなくこういうことかな?というのがわかっていきました。 一つの解釈として、子供の頃から神様を信じている人と、晩年、亡くなる寸前になにかのきっかけで神様を信じるようになった人は同じように天国で幸せになれる、という考え方です。天国は現代社会であるような成果報酬型とは違い、みんなが平等に幸せになれるよう、報酬を分け与えるような世界であるということ。祈れば祈るほどより幸せになれる、

6/30 早朝読書会 新約聖書 マタイ福音書 第20章 ぶどう畑の労働者 レポ

読書会をやってみて新約聖書 マタイ福音書 第20章 ぶどう畑の労働者の読書会を6名でやりました。 この話は、天国というものはこういう場所だよ、というイエスのした例え話の一つです。 ぶどう畑の持主が朝早くと午前9時頃と午後2時と3時と5時に町で労働者を一日一デナリ(お金の単位です)雇います。 夕方になって持主はぶどう畑の現場監督に「みんなを呼んで日当を払ってやりなさい。ただし、最後に来た者からはじめて、最初に来た者へと順番に支払っていくのだ。」と命令します。 なので、現場監督

6/22 早朝読書会 森於菟「オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティーク――空想半熟卵――」レポ

読書会をやってみて森於菟「オフ・ア・ラ・コック・ファンタスティーク――空想半熟卵――」の読書会を6名でやりました。 今回扱った作品の著者の森於菟は解剖学者であの森鴎外の息子さんです。内容は、卵殻外発生の実験の実験をしている最中に研究と食欲とがごっちゃになるという内容でした。 読書会では、最初の夢の描写が嫌だとか、食欲、解剖学、卵のイメージについて、美味しいとはなにか、などなどの話をしました。 作品とは関係ないかもしれませんが、食とコミュニケーションの話が印象的でした。ご

6/2 早朝読書会 萩原朔太郎『月に吠える』序レポ

読書会をやってみて萩原朔太郎『月に吠える』序の読書会を6名でやりました。 今回は北原白秋の序文ではなく、萩原朔太郎の序文を読みました。「詩とはなにか?」「我々は普通に使っている言語と詩の言語とは何が違うのか?」といったことが書かれていました。 読書会では、「ことばとことばのそと」「リアルとリアリティ」「詩とケア」「意志と無意識」などなど…. の話をしました。 ぼくはことばの個別性と共通性のことを考えました。ことばは人を分断させることもあるし、つなぐこともある。萩原朔太郎

5/19 早朝読書会 フランツ・カフカ『突然の散歩』レポ

読書会をやってみてカフカ『突然の散歩』の読書会を6名でやりました。 夕暮れ時、家族の中にみんなもう外出しないという空気感がある中、夜突然外出すると思い立ち、友人の家を急に訪ねて「元気?」と挨拶するという迷惑千万な人の話でした。 この作品を読んで「関係の絶対性」という言葉を想起しました。批評家の吉本隆明は『マチウ書試論』の中でこの概念を提出しています。これは、人の目的や行動というのは「関係」に縛られており、当事者には不可避な状況にあり、いくら崇高な思想を持っていたとしても、

4/28 早朝読書会 太宰治『待つ』レポ

読書会をやってみて太宰治『待つ』の読書会を8名でやりました。 今回扱った『待つ』は大戦争のさなか駅のホームで何かしらを待っている若い女性の話でした。 ほぼ1年ぶりに読書会を開催しました。やってみて、やっぱり読書会はいいものだなと思いました笑。複数人が集まってそれぞれの読む過程を追体験し、それを踏まえてまた考える。それは、みんなでひとつの作品を作っているような感覚ですが、その中でもひとつに統合はせずに、みんなバラバラなものを維持している。そんなよい体験ができました。一つの思

3/25 早朝読書会 『ヨブ記』12章レポ

読書会をやってみて『ヨブ記』12章の読書会を名でやりました。 今回読んだ12章はヨブの弁論で、ヨブは友人に対して「神様は罪をあるものに対して幸福にする。そこにルールはない。」というようなことを言っていました。今回はなかなか難しく、読解に非常に苦労しました。 主催者の感想はここに書きました。 ご参加いただいた方の感想masatoさん 気づきがありました。 次回土曜日と日曜日交互に開催致します。いずれも朝6:00〜7:00です。 興味を持った方はぜひご参加ください。 4/

3/19 早朝読書会 芥川龍之介『蜘蛛の糸』レポ

読書会をやってみて芥川龍之介『蜘蛛の糸』の読書会を9名でやりました。 地獄の底にいた犍陀多(カンダタ)という大泥坊、この男は現世で数々の悪事を働いてきました。しかし、蜘蛛の殺そうとしたが思いとどまったことがあることをお釈迦様は評価し、蜘蛛の糸で地獄にいる犍陀多を助けようとしましたが、犍陀多がやらかしてしまい再度地獄へ落ちてしまう、といった内容でした。ぼくは小学生のときに読んだ以来、久しぶりにこの作品を読み、子供の頃に読んだ時の感覚とまた違う感覚で読むことができ、面白い体験がで

3/11 早朝読書会 『旧約聖書 ヨブ記』11章レポ

読書会をやってみて『ヨブ記』11章の読書会を7名でやりました。 今回読んだ11章はナアマ人ツォファルの弁論で、ヨブに対して「ぐちぐち言ってないで、罪を認めて反省しろ!反省すれば神様から許してもらえるから!」というようなことを語っていました。 読書会で、「友人たちは自分たちの中で一番信心深かく、真面目だったヨブが不幸になってしまったことによって、友人に不安が広がってしまった」という意見がありました。この意見にはなるほどと思い、今後『ヨブ記』を読む上での補助線になりました。 『