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4/28 早朝読書会 太宰治『待つ』レポ

読書会をやってみて

太宰治『待つ』の読書会を8名でやりました。

今回扱った『待つ』は大戦争のさなか駅のホームで何かしらを待っている若い女性の話でした。

ほぼ1年ぶりに読書会を開催しました。やってみて、やっぱり読書会はいいものだなと思いました笑。複数人が集まってそれぞれの読む過程を追体験し、それを踏まえてまた考える。それは、みんなでひとつの作品を作っているような感覚ですが、その中でもひとつに統合はせずに、みんなバラバラなものを維持している。そんなよい体験ができました。一つの思想でつながっているわけではなく、みんなバラバラだけどそこにいてもいいよという安心感のある、そんな場所を今後目指していきたいです。
あと、皆さんとお話していく中で、作品の印象がどんどん変わっっていく体験も面白かったです。今回特に目からウロコだったのは、『待つ』の中にある性的なイメージです。

ひょっとしたら、私は大変みだらな女なのかも知れない。大戦争がはじまって、何だか不安で、身を粉にして働いて、お役に立ちたいというのは嘘で、本当は、そんな立派そうな口実を設けて、自身の軽はずみな空想を実現しようと、何かしら、よい機会をねらっているのかも知れない。ここに、こうして坐って、ぼんやりした顔をしているけれども、胸の中では、不埒計画がちろちろ燃えているような気もする。

太宰治『待つ』

機動戦士ガンダムシリーズの監督、富野由悠季が「人は大層な理想などきれいなことを語るが、結局男と女のことしか考えてない」というような極論めいたことを何処かで言っていた気がします。主人公の女性は、大戦争のなかでみんなが理想を語る中おり、自分もそれを信じていると考えています。しかし、そんな理想に少し嘘くささを感じる部分があり、信じきれていません。結局生きる手触り、実感というのは性的なもので、それを求めてしまうという解釈も非常に面白いと思いました。
ぼくは言葉には「情報」と「生きているもの」、2つあると考えています。文学とはいかに言葉を「情報」から引き離し、「生きているもの」に近づこうとする、回復の運動です。ぼくら読者も生きる手触りを読むこと通じて回復していくことが大事であると思いました。

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