もしも私が専業主婦だったら、「やっぱり働きたい」と思うのだろうか?
「お金に困ってはいないけど、何か買う時にイチイチお伺いを立てなきゃいけないじゃん」
とある日。
公園で、現在パートをしている二児のママとお喋りしていた。
そのママのご家庭は、金融資産、ご主人の収入どちらも十分にある。
他人の目から見れば「パート」をする事すら「意味不明」な位ゆとりがある。
でも、普通の家に住み、普通の車に乗り、夫婦共にプチプラ服を着て、子供を高額の塾に通わせる事もなく、普通に暮らしている。
だから金融資産は増える一方だ。
それなのに「正社員として働きたい」と言う。
正社員をウッカリ離脱しそうな私にとっては、興味深い話だった。
自由に使えるお金がない
私も、出産する前に「24時間闘えますか?」状態で働いていた頃は専業主婦という方に対して「窮屈そうだな」と感じていた。
私は地元が田舎なので、専業主婦を選択した友人からそんな話を聞く事が多かった。
私が「専業主婦ママ」といつの間にか疎遠になってしまったのは、立ち位置の違いに加えて「金銭感覚の差」みたいなモノで溝ができた感は、どうしても否めない。
一方、共働き子育てを実践していた職場の女性陣とは常に「大変だけど働き続けるメリット」として「リスク分散」という話をしていた。
これもごもっともだ。
それは「昭和の主婦」だってきっと抱えていた問題であり、そんな題材のホームドラマも沢山あった様な気がする。
トレード・オフである
確かに「自由に使えるお金」は欲しい。
だけど、それは「正社員」じゃないとダメなのだろうか?
正社員になると平均的に「1日8時間労働」+通勤時間として、9~10時間程度は時間を投入する事が多いと思う。
更には勤務地だって、基本的には会社の指示に従わなければいけない。
在宅・出社という事も、選択させてくれる会社はそんなに多くない。
前職時代に、オフィスの移転が3年に1回位あった。
私と同じく「長距離通勤」をしていた女性が、「通勤時間が20分延長される場所」へオフィス移転が決まった時に仕事を離脱した。
同僚の男性陣からは「たった20分なのにワガママだよな~」と、終業後の飲み会で話していた。
当時は「やっぱりそう思われるのか…私も嫌だけど言いにくいな」と思っていた。
でも今なら言える。
片道20分=往復40分増えるという事は、自由に使える筈の時間が減るという事。
週に何度も、終業後の飲み会へ行く「お暇な皆様」には、その価値が分からないんですね(^^)
と。
やっぱり自己決定権
昭和の主婦に支えられていた時代は、正社員たるものは会社に何でも指図されても生活が成立していた。
自分の意向とは会わなくても、会社の指示に従っていれば収入は自然と上がり、解雇されるリスクもなく、定年を迎えて退職金と年金で生活ができた。
でも、年功序列で収入が上がる事はなくなり。
40~50代で急にリストラされる事例も増え。
退職金は「各自運用」形式に切り替わり、いくら貰えるのか?が見えなくなった。
社会保険料を賄うために、女性もシニアも「働くのが当たり前」という風潮になり、共働き世帯が増えた。
でも、夫婦共に正社員で「会社にフルコミット型」の勤務地、勤務時間を厭わない働き方をしたら、家庭が回らない。
こういう記事を書くと、働くママから共感のコメントを沢山いただく。
それはとっても嬉しい事なのだけど…。
本来「家庭が回るかどうか?」を意識するのは、男女どちらでも良い筈。
それなのに殆どの家庭で育休を長く取るのも、時短勤務を選択するのも女性。
小1の壁、小4の壁でイチイチ働き方に悩むのも女性。
中には、夫婦間で「どちらが働き方を変えるか?」を話せるご家庭もあるだろう。
でも、男性が子供を理由に休んだり、時短勤務を口にすると、「理解不能」という顔をされてしまう職場も多く存在する。
正直「家庭」や「子供」が理由じゃなくても、1日24時間を何に使うのか?は自己決定したい。
「正社員」というレールに一度乗ると、中々降りる事ができない。
正しくは「降りる勇気」が持てない。
逆に「正社員以外」の人は、「正社員の方が上」と思っている様な気がする。
でも、どちらが上とか下なんてない。
長時間働くから偉いとか、収入が多いから偉いとか。
そんな事は関係ない。
自分はどうして「その立場」を選択しているのか?を明確に口にできる人がカッコイイし、幸せだと思う。
過去に書いたこの記事に、沢山の反響を頂いた。
これだって「主婦」でも「主夫」でもどちらでも良いのだ。
社会が作り上げた「正社員が上」「共働きが上」みたいな序列なんて無視して、全ての人が自己決定できる社会が「経済的にも成立する事」を願う。
今日も有難うございました。
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