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保育料負担アリの時代を過ごした私が思う「納得感のある課税」の難しさ。

「あんなの103万なんて気にせずにもっと働けばいいと思いますけどね。いつまでも国会で長々とこんな話して。もっと他に大事な事があるでしょう

とある日。
職場で「103万円の壁」についての話題になった。

すると「もっと働けばいい」「小さい話」「他に大事な事がある」と、この議論が盛り上がっている?事に対して、「下らない」と言う結論の人がチラホラいた。

職場には同じような境遇の人(正社員で子育て真っただ中)は1人もいない。

だから多くの人にとっては「壁なんか大きく超えて働けば良い」という感想なのかもしれない。

でも、私は今「お金より時間が欲しい」と心の底から思っている(笑)


誰もが納得できる課税は、存在するのだろうか?

「所得が多い人が負担する」で良いのか?

私はかつて「24時間闘えますか?」状態の営業だった。
朝から晩まで人に会っていたし、仕事を1分もしない日はなかったのでは?と思う位働いていた。

営業職として動けば動く程、成果に繋がる。
自分の時間と引き換えに、それなりの収入を得ていた。

だけど、長男を出産した頃はまだ「幼児教育の無償化」が始まる前だったので高額な保険料を負担しなければいけなかった。

そもそも保育園に入れる「順位」を決定する際にも、所得が低い人の方がポイントが高くて入りやすい。
更には「住民税非課税世帯」は保育料無料。
そこから段階的に世帯年収によって保育料が上がっていく仕組みだった。

より多く税金を納めた人が、希望する保育園に入りづらくて保育料も高い。

この時、初めて税金の仕組みに対して腹立たしさを感じた。


勿論、働けない環境にいる人とか人には様々な事情がある。
どんなに頑張っても収入を上げられない職種も沢山ある。

だけど、営業という泥臭い仕事をしていた私にとっては「収入」は「動いた量」でしかなかった。
寝る間も惜しんで24時間闘ったという自負があった。

出産前と出産後で明らかに働き方が変わる事が目に見えていたので、出産前の「世帯年収」で決められてしまう事に納得できなかった。


私に限らず、仕事により所得を得ている人の多くは「努力の結果」ではないだろうか?

仕事の内容とか、会社の給与基準とか、色々な制約はあるけれど。
「より多くの収入が得られる仕事・会社へ動く」という行為も努力の1つだと思う。

幸いにも幼児教育は数年遅れで無償化された。
だけど、この先の授業料や「物価高」「コロナ禍」等の緊急時に唐突に配られる「給付金」の類も「世帯年収」等で貰えたり貰えなかったり制限される。

頑張った人が報われない。

そんな課税は本当に良いのだろうか?


「子持ちが得をしている」という偏見


幼児教育無償化は共働き世帯に大きなインパクトを与えた。

更には小児医療費助成もここ数年で年齢の範囲が広がった自治体が多い。
給食費無償化も実施する自治体がジワジワと増えてきている。

そして「高校の授業料無償化」も今年か来年辺りに大きく動きそうだ。

こう見ると「最近の子育て世帯は物凄く優遇されている」と感じるだろう。


だけど本当にそうだろうか?

どういうワケだか、2000年代頃から「これからは共働きじゃないと生活できない」等と言われて、仕事が好きな人も好きではない人も、漏れなく何らかの仕事をする世の中になった。

結婚した当時、仕事に対してコレといった情熱のなかった私も「正社員として働き続ける」という選択をした。


でも、そもそも「共働きじゃないと生きていけない」様な世の中になったのは何故?


その重要なカギを、つい先日のリハック(YouTube)で日本維新の会の吉村さんの話から見つけた。

昭和50年と比較して令和6年の「税」と「社会保険料」の国民負担率が物凄く上がっているのだ。

リハックより

令和6年の「国民負担率」は45.1%。
つまり収入の約半分は税金と社会保険料で消えている。

特に社会保険料の負担率が4倍近くとなっていて、高齢化の影響をモロに受けている事が分かる。

40歳以上になると自動的に保険料負担が発生する「介護保険制度」が発足したのも2000年なので、あらゆる名目で社会保険料の負担は増えている。

動画本編↓

税と社会保険料の国民負担率の推移(財務省HP)

誰が負担するか?の前に必要性を考えたい


結局の所「〇〇無償化」も「〇〇給付金」も財源は税金しかない。
国民年金すら財源が足りなくて税金を投入している。

「無償化」とか「お金配ります」は聞こえがいいものだけど、そもそもの必要性を考えるべきだと思う。

現役世代で子供のいない方もいる。
欲しくない人も、欲しかったけど叶わなかった人もいる。

自分の世代だけを見れば、正直な所「不公平」と感じる事があって当然だと思う。

だけど今の子供達は、私達が「高齢者」となった時に税金や社会保険料を納めてくれる。
ある意味で国の未来を背負っている。


今「高齢者」と呼ばれている方だって、戦争を経験したり、酷い衛生環境の中を生き抜いてきた人が沢山いる。

世界と比較しても、圧倒的に治安も良くて、教育レベルの水準が保たれていて、仕事も収入も失っても生活ができる日本は凄い。

日本を作り上げた先人たちの努力って、本当に凄いモノだと思う。


だからこそ「誰に負担してもらうのか?」は物凄く難しいのだ。

ただ、少なくとも「必要のないコトやモノに対して、税金を投入している余裕はない」はず。

私はまだまだ人生経験も浅いしモノを知らないので、税金の投入先として何が無駄なのか?はよく分らない。


だけど、日本の学校制度がもっと個別最適化されたら効率化されるだろう。

国の政治の在り方も、国政、都道府県、市町村と別れていて、国と地方自治体の役割が明確化されていない点も多い気がする。

今開かれている国会だって「はい〇〇君」とかイチイチ立ったり座ったりしてる時間も無駄だし、役職多すぎない?と感じる事も多い。



これから急激に人口減少をする日本で、国民が頑張って働いて納めた税金の使い道として本当に必要なモノは何か?

それを常に念頭に置いてモノゴトを観察したいと思う。

<あとがき>
そもそも税金の種類が多すぎて、それによって誤魔化されている気がします。学校で習ったんでしょうけど、全く記憶にないし(笑)

**「昨日読んだ本」コーナー**


オンライン読書教育「ヨンデミー!」に、毎日「感想提出」をしている子供達が昨日読んだ本を紹介するコーナー。


<長男>

<次男>

今日も有難うございました。


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