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『犬とわたし』 短編小説・水彩

犬を飼っていた。
わたしが小学1年生の時、お父さんの
知り合いから譲ってもらえることになった。
念願の犬が飼える。
弟と抱き合って喜んだ。
当時、ウルトラマンに夢中になっていた
弟は「レオがいい!」と言った。
わたしはウルトラマンレオのどこが
かっこいいのか全然分からなかったので
「この子、クンクンじゃなくて
オンオンって鳴くからレオと繋げて
レオンはどう?」
と、何とかレオに決まってしまわないように
少々苦し紛れに言ったことを覚えている。
それでもお母さんは「かわいい名前ね」と
賛成してくれて、弟も「レオ」の文字が
そのまま入っているので気に入った
ようで、案外あっさりと名前はレオンに
決まった。

レオンは雑種の中型犬だ。
友達の加奈子ちゃんが住んでいる、
洋風で綺麗な家で飼われている
ヨークシャテリアのように、
室内で飼うことを両親は許してくれなかった。
白っぽい毛色で耳が垂れていて、
手足が少し大きめ、ぬいぐるみみたいで
とても可愛かった。
レオンという名前に馴染むのにも
時間はかからなかった。
毎日散歩に行って、ごはんを食べさせ、
いっぱい撫でていっぱい抱きしめた。
朝、目覚めた時も、学校からの帰りも
早くレオンに会いたくて仕方がなかった。

レオンが吠えることはなかった。
人間にも、散歩中に他の犬が吠えてきても
一度も吠えたことはない。もちろん誰かに
噛み付くなんてこともない。
夕食の時、「番犬にはならないな!」と、
笑いながらお父さんは言っていた。
それに同調し、お母さんも弟も笑った。
わたしは番犬になんてならなくていい、
レオンはとても優しい犬なんだから、
と心の中で言い返していた。

ある時、〝レオン〟という映画が
あることを知った。レオンと名付けてから
2年近く経ってからのことだ。
「もしかすると映画館で上映していた
頃に、たまたま同じ名前を付けたのかも
知れないな」とお父さんは、あたかも自分が
名付け親かのように得意そうに言っていた。
レンタルビデオ屋さんでお父さんに
〝レオン〟を借りてもらおうとしたが、
パッケージの裏を見たお父さんは少し
躊躇っていた。
それでもどうしても観たい一心で
お願いし借りてもらった。
確かに小学校低学年のわたしにとって、
過激なシーンがいくつも映し出され、
その度に顔を覆った。
けれど、全て観終わった後、
わたしよりも少し年上と思われる
ヒロインの、この少女への憧れが
何とも言えない感覚で胸いっぱいに
広がっていた。
女の子はかわいいものであるべきだと、
疑いもなく思っていたわたしは、
初めて女の子をかっこいいと思った。
そして、レオンに無性に会いたくなり、
玄関の外の照明にうっすらと
照らされている犬小屋へ、パジャマのまま
向かった。

お母さんと近くのホームセンターへ行った。
茶色の植木鉢と映画の〝あの〟植物に
なるべく似ているものを買ってもらった。
家に帰り、その名前も分からない
植物を茶色の植木鉢へ移した。
鉢を片方の腕に抱えながら、
レオンと散歩へ出掛けてみた。
これでわたしもかっこいい女の子に
見えるかな。
うちのレオンは今日もすれ違う犬に
吠えられていた。

糞を片付ける時だったり、リードが
絡まった時には、鉢をその都度
地面に置いたり持ったりと、面倒になり
鉢を持つ散歩は3回目でやめることにした。
鉢を持っていないことで、自分にまた
気を向けてくれたと思ったのか、
次の散歩ではより一層嬉しそうに
レオンは尻尾を振って見せた。

日は流れ、レオンもわたしも成長した。
高校生になると部活動や習い事、
友達との遊びの約束などを優先して
しまうことが多々あり、今までのように
レオンのお世話をしなくなっていた。
いや…少し面倒になって母や弟に世話を
押し付けてしまっていたというのが
正直なところだ。

ある日の夕食、
「レオンももう人間でいうと80歳ぐらいだな」
と、父が言った。
「最近は散歩をしててもすぐ疲れるのか座り
込んじゃうし、餌もあまり食べないのよね」
と母も、レオンの年齢による衰えについて
近況を話した。
玄関の靴棚の上に飾られている、
まだ幼い頃の〝ふたり〟の写真を
数秒眺めた後、外に出た。
起こしたくはなかったが、チャラチャラっと
鎖の音をたて、ゆっくりとレオンが犬小屋
から出てきた。
「ごめんね、起こしちゃったね」
黒目がやや白く濁っているが、綺麗で
優しい瞳はずっと変わらない。
嬉しそうにゆっくりと尻尾を振って
わたしに身を委ねてくれた。
心の中でもう一度「ごめんね」と呟き
両手でレオンの顔を包み込んだ。

電車で1時間ほどにある専門学校の
学校説明会に向かっていた。
もう数週間もすれば収穫されるであろう
稲穂の広がる見慣れた景色を、車窓から
ぼんやりと眺めながら向かっていると、
ポケットの中の振動が右足に伝わった。
母からの着信だった。
母は、わたしが今電車に乗っている
ことは知っている。
それなのに電話をくれるということは
何となく悪い想像が頭の中を過った。
車両にはほとんど乗客はいなかったので
少し前屈みとなり、髪でPHSを隠すように
電話に出た。
母の声から、母自身も理解できていない
状況で電話をしてくれたのだとすぐに
分かった。
次の駅で降りて、折り返しの電車で
家に帰ると伝えた。
向かっていた専門学校のことなど微塵も
考えることはなかった。
降車し、ホームの階段の脇でしゃがみ込んで
嗚咽した。

家に着くと、タオルや首輪などいろいろな
ものが散乱していた。
いつもは綺麗好きな母であることから、
一生懸命に何とかレオンを助けようと
した情景が目に浮かぶと切なくなった。
電車から家に着くまでの間、本当は
まだ大丈夫なのかも知れないと、何度か
奇跡を信じた。もう一度だけその想いを
抱き部屋に入ったが、そこには現実の
レオンの姿があった。
居間に隣接する8畳の和室。
畳の上に厚めのタオルを何枚か重ねて敷き、
その上に母が寝かせてくれていた。
悲しみと、感謝と、後悔と…
いろいろな感情が、とめどなく涙と
一緒に溢れ出した。
夕方になり、父も弟も帰ってきた。
大切な家族を失った悲しみと、次々と
湧き出てくるレオンとの思い出が、
それぞれの頬を何度もつたった。

家の中で一緒に暮らしたかった。
両親にお願いした日のことを思い出した。
隣に布団を敷いた。
横になり、レオンの頭を優しく撫でた。
「やっと一緒に眠れるね」
腫れた目の感覚はなく、口角だけ上げて見せた。
「おやすみ、レオン。ありがとう」

犬小屋の近くに、茶色の植木鉢から
植え替えていた。
あの時の、名前も分からない植物は、
わたしの背丈よりも少し大きな木と
なっていた。
白っぽくてかわいい綺麗な花を
今年も咲かせている。
玄関の外の照明がうっすらと
その花と、尻尾を振るレオンを照らしていた。


LEON(水彩 2024.6.9)再

Sting-Shape of My Heart

Marshmello ft. Bastille – Happier


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