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幸せは2つある

前々回と、前回とこの地球上での体験をテーマパークにたとえた話を書いてきました(2つの記事のリンクは、文末に貼っておきます)。

今回もその続きで「幸せは2つある」ということを書いていきます。

結論から言うと、幸せには「受け取る幸せ」と「提供する幸せ」の2つがあるということです。

そして、この2つの幸せを味わうことができたとき、人は幸せを循環させて生きていけるようになっていくことでしょう。

テーマパークには、楽しみに行く人とそれを提供する人と2種類の人たちがいます。

端的にいえば、テーマパークは受け取る人と与える人の両方が存在することで成り立つものであり、楽しみたい人だけでも与えたい人だけでも成立しないものです。

しかし、この両者の比率を見て見るとテーマパークで楽しみたいと思う人よりも、テーマパークで楽しんでもらいたいと思う人の方が圧倒的に少なかったりします。

これはテーマパークで楽しみたいと思うことより、テーマパークで多くの人に楽しんでもらいたいと思うのとでは喜びの種類が異なるからです。

では、テーマパークで楽しみたい人と提供したい人の喜びの種類がどう異なるかというと、テーマパークで喜びを提供したいと思う人は、テーマパークという場所が心から好きということがあるといっていいででしょう。

だからこそ、単にテーマパークで楽しむだけに留まることなく、提供する側に回りたいという欲求が生まれてくるものなのです。

テーマパークで働きたいと思う人は、最初は楽しむ側だったはずです。

しかし、そこで心から楽しむことができたとき、その経験をきっかけとして、やがてテーマパークで働く側になって多くの人に幸せな体験を提供したいと思うようになるものです。

そうやって受け取る側で楽しむだけでなく、提供する側で楽しむことという2通りの幸せを体験できるようになります。

こういったことは、何もテーマパークだけに限りません。

テレビを楽しむ人はたくさんいるけれど、実際にテレビの仕事に携わる人は全体の比でみるならば極々僅かです。

映画を作る人も文章を書く人も、比率でいうと受け取る側よりも提供する側の方のが圧倒的に少なかったりします。

我々が日々食べている料理でも、普段乗っている自動車も受け取る側より提供する側の方が圧倒的に少なかったりします。

つまり、我々は比率でいうと圧倒的に少ない提供する側に立つことで日々の営みを生み出しているものなのです。

テーマパークで働いている人も、休日に映画や小説を楽しみ、外食したり車に乗ってお出かけしたりしています。

普段、自動車を製造したり販売したりする人も、休日にテーマパークに行ったり、映画を観たり本を読んだりしていることでしょう。

我々の多くは、少ない側の提供する側に立って多くの人に楽しんで貰うということをして生きていたりするものであり、受け取る側と提供する側のふたつの顔を持って生きているといえるのです。

そして、受け取る幸せと提供する幸せのふたつを満たすことができたとき、大きな幸せを得ることができるようになります。

幸せとは受け取るだけでなく、与えることができてはじめて循環できるようにっていきます。

受け取る幸せと提供する幸せのふたつを満たすことができたとき、人は大きな幸せを手に入れられるようになっていきます。

そういった意味では、我々はこの地球というテーマパークで、受け取る幸せと提供する幸せの両方を体験するために生まれてきていると考えてもいいかもしれません。

しかも、日々の暮らしの中で受け取る幸せと提供する幸せの両方を体現できるようになったとき、人はより大きな幸せを感じ味わえるようになるのです。

そういった幸せの循環が我々を共生の世界へと誘っていくことになるでしょう。

また受け取る幸せよりも提供したことで得た喜びの方が、喜びの度合いが大きいものであり、提供することの方が幸せの比率が大きかったりします。

なぜかといえば、提供するためには多くの時間と労力がいるからであり、その分、何かを提供したときに、それを喜んで貰えると大きな幸せを感じられるようになるものだからです。

そして、何かを提供する喜びを味わうには、提供するための作業も楽しめる必要があり、そういった作業を楽しめるからこそ多くの時間と労力をかけられるようになるといっていいでしょう。

提供する幸せには提供するまでの時間を楽しむ幸せと、提供して喜んでもらえる幸せのふたつが同時に存在しているものです。

いずれにせよ、我々は受け取る幸せと提供する幸せのふたつを同時に満たすことで幸せを感じられるようになるものであり、そういった2つの幸せを同時に満たし、幸せを循環させるという行為をするために、この地球に存在して生きているということができます。

前々回の記事のタイトルは、「喜びで生きそれを表現すること、それが我々の使命」でした。

「喜びで生きそれを表現すること」とは、受け取る喜びと提供する喜びを表現することであり、そうやって喜びを表現していると幸せが循環していくようになるため、それが我々のすべきことです。

また、そういったふたつの喜びを日々味わって生きることが、前回の記事のタイトルである「ハッピー・エンドの創り方」になります。

どんなことでも喜びの気持ちを十分に味わって表現することができたとき、ハッピー・エンドを迎えることができます。

ご飯を食べて「美味しかった」と表現すれば、それがハッピー・エンドになるし、食事を提供したあとに「美味しかった」と言われれば、それがハッピー・エンドになります。

そういった日々のハッピー・エンドの積み重ねが人を幸せにし、生きることそのものを幸せなものにすることでしょう。

そのためにも、喜びの気持ちを表現することが、我々の人生を豊かにする方法になります。

実際には、受け取る幸せよりも提供する幸せの方が難易度が高かったりします。

しかし、提供することを心から楽しむことができるようになったとき、提供する喜びはとても大きいものになります。

このため受け取ることを楽しみつつ、提供することにも喜びを感じることができるようになったとき、人は心から幸せを感じられるようになるでしょう。

そういった意味でも、受け取る幸せと提供する幸せの両輪を持てるようになると、人生が順調に進んで行くのではないかと思います。

受け取ることと提供すること、このふたつの幸せを多くの人が循環できるようになると、この地球という場所が平和で豊かなものになることでしょう。

我々の目指すところは、幸せを循環させた先にある喜びの世界です。

そのためにも、受け取る幸せと提供する幸せの両方を十分に味わって、その気持ちを表現し伝えていくことが大切なのだと思います。

ふたつの幸せを満たすことができたとき、我々は生きるテーマを満たし平和な世界を創り上げることができるようになることでしょう。



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アキタロウ
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