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#164 摩多羅とは?【宮沢賢治とシャーマンと山 その37】
(続き)
話がだいぶ脱線し、この話が宮沢賢治にどれ程関係するのかも怪しくなってきたが、出自もはっきりせず、神なのか仏なのかも曖昧な摩多羅神が命脈を保ってきたということは、それだけでも大変に興味深い。
摩多羅神が天台密教と深い関わりを持っているのは間違いない。天台宗の星辰信仰など、さらに複雑な信仰とも関わっているようだが、この辺の私の理解は不十分だ。
ただ、この星辰信仰などは、賢治の信仰とも関連してくるかもしれないので、後で再び登場するかもしれない。
なお、賢治が暮らした岩手を代表する寺院である毛越寺や中尊寺も、この天台宗系の寺院である。
摩多羅神についての調査・研究の中の1つで、摩多羅神の信仰の本質の1つは「マタラ」という名の響きにあるのではないか、とされていた記憶がある。確かに「マタラ」という名が持つ響きには、何とも言えない呪術性が感じられる。密教や修験道では、真言(マントラ)など、文字自体が持つ呪術性も用いられているようだ。
仏や神や、今となってはよくわからない神々まで登場する日本の信仰の歴史は、複雑で奥深い。神仏分離後約150年を経た現代では、もはや全体像を見渡すことは困難であろうし、明治維新の時点でさえ、全体像が掴めていたのかすら疑わしい。
摩多羅神は、そのような混沌とした日本の信仰の一つの象徴とも言えようが、賢治は、この摩多羅神をして「『ばだらの神楽』なら面白い」としている。賢治と摩多羅神についての研究はほとんどないが、「宮澤賢治の深層-宗教からの照射ー」という本の「宮澤賢治「ばだらの神楽」考」という章で取り上げられており、ぜひご一読いただきたい。
摩多羅神についての話は今回でひとまず終わりだが、最後に余談がある。
実は最近、摩多羅神が鎮座すると言われる「後ろ戸」が少し話題となった。それは、新海誠監督の「すずめの戸締り」に、「後ろ戸」が登場したからだ。摩多羅神と後ろ戸の話をすると、「すずめの戸締り」を連想する人が多いらしい。
たまたま新海監督の制作メモのようなものを見た際、摩多羅神について明確に触れられていた訳でないが、「後ろ戸を司る神から授かる超常的な力が源泉の古典芸能が、イメージの中にあった」といった趣旨の事が書かれてあった。私の読解の間違いかもしれないが、新海監督は摩多羅神についても相当の見識を持っているような印象を受けた記憶がある。
【写真は、奈良・談山神社の摩多羅神の御朱印】
(続く)
2024(令和6)年3月27日(水)