見出し画像

もてなし上手な……フランス

イタリア
フィレンツェに君臨した
メディチ家
そのメディチ家の娘であったカトリーヌは、フランス王家に嫁ぎました。

カトリーヌ・ド・メディシス

カトリーヌは、嫁ぐ際、ナイフやフォークなど  現在ではカトラリーとして知られる食器類を持参しています。

当時のフランスでは、肉を食べる際には、直接かぶり付くか ナイフで肉を削ぎながら、手で食べていたようです。

カトリーヌが持ち込んだナイフ・フォークは フランスの食卓に革命的な変化をおこしました。

まだ、フランス式のマナーが世界の標準とはなっていなかった時代

この王妃による、カトラリーを普及させようとする試みは その後、
フランス式マナーが世界標準となってゆく過程で 大きな役割を果たしました。

王妃への陰口

しかし、ある時カトリーヌは、実家へ手紙をしたためて送ろうとしたところ
「やはり、商人の娘だ」
と、陰口を言われてしまいます。

王妃たるもの
自分で手紙を書いたりしてはいけなかったのです。

現在のカトラリー



エチケットという言葉が使われるようになった経緯

エチケットといえば、礼儀作法、マナーのようにとらえている方が多いと思います。

もともとは、フランス語です。
ベルサイユ宮殿では 王に招かれた客が宮廷料理を楽しみながら会話も楽しんでいました。

ヴェルサイユ宮殿におけるルイ14世の食卓

その際、ベルサイユ宮殿に入城するための「チケット」としての意味あいがあります。

王侯貴族と一緒に食卓についても引け目を感じさせないマナーと教養を身につけ、宮殿に入場するためのチケットを持っていることを示すものでした。

ナポレオン


ナポレオンの登場、そしてウィーン会議へ

時が経過し、ナポレオンが登場すると、各国へ戦争を仕掛けて領土を拡大させてゆきました。

しかし、ロシアの冬将軍には勝てず、撤退を余儀なくされます。
そして、ナポレオンは捕らわれてしまいます。

このナポレオンによって変わってしまった国境線を何とかしようと、ウィーンで会議が開かれました。

何とかとは、自分の国に有利な状態に戻したいという 各国の利害が激突する会議でした。

1814年のことです。

オーストリア・ハンガリー帝国を治めていたハプスブルグ家の意向が大きかったのかもしれません。

議長は、オーストリア外相メッテルニヒがつとめます。

敗戦国でもあるフランスは、外相タレーランを出席させました。
その際タレーランは、自分のお抱えシェフを連れてウィーンへと向かいます。

国境線の引きなおしですから
簡単には決まりません。

ウィーン会議


後になり、「会議は踊る」という映画が作られたほどです。

会議は、いっこうに進まず
9月に始まった会議も翌年へと持ちこしました。
そうなってくると、各国の外相の興味も 面倒な会議よりも、美味しい食事やワインなど

昼間の会議よりも 会議のあとの楽しみの方が より重きを持つようになってきます。

そうしているうちに、お抱えシェフを連れてきたフランスが日を追うごとに有利になっていきます。
そして、シェフの腕前はピカイチです。
美食家であったタレーランが、本格的に育て上げてきた専属シェフです。

やはりフランス料理は、美味しさで勝っており さらに、料理に合わせるワインも
ブルゴーニュなど、産地が目白押しです。

地元ハンガリーにも貴腐ワインがありましたが 料理に合わせるには甘すぎました。

連日連夜、フランスの接待を受け
なかなか決まらない会議もフランス有利になってゆきます。
「美食外交」とも呼ばれました。

じっさい、会議は、予想されたよりもフランスに有利な条件で決着しました。

敗戦国のフランスに これほど 有利な結果になろうとは誰も予想していませんでした。

お抱えシェフを連れて会議に臨んだタレーラン……

美味しい料理とワインが
人の心に与える
影響力を知っていたのだと思います。

現代にも生きるフランスの儀礼外交

そして現代でも このフランスの接待上手は生きています。

森元首相は現役時代にパリを訪れましたが 夜になって宴が始まると
当時、日本でも手に入りにくかった
「森伊蔵」がテーブルに置かれ、森首相も驚きを隠せなかったようです。

森さんも、地元石川の日本酒が大好きなのですが 森伊蔵を飲むと、「森イイゾ!」と誉められているような 良い気分になるのだそうです。

客の好みをリサーチする情報収集力においても フランスは、侮れません。

森伊蔵

当時、日本でも手に入りにくかった「森伊蔵」を 海を越えてまで取り寄せるほどの意気込み……

その結果は、日本からの何らかの良い条件を引き出すものとなったのかもしれません。

また、別の日本政府高官が、エリゼ宮を訪れたときは フランス政府が、国内の美術館から 日本の美術品を借りてきて 同じフロアの あちこちに日本の美術品が置かれ

まるで日本にいるかのような安心感を覚えたそうです。
フランスの美術館は、政府から要請があれば 美術品を貸し出してくれるようです。

異国にいる日本政府高官が、まるで日本にいるかのように感じながら 安心して穏やかな気持ちで過ごすことができるよう
最大限のもてなしをしたのだと思います。


エリゼ宮 祝宴の間


メッテルニヒのその後

先ほどのメッテルニヒは、外相をつとめた後、オーストリア宰相となります。
ウィーン会議をまとめ上げた褒美として
皇帝からラインガウに広大な邸宅を賜っています。

ドイツに5つしかないワイン用ブドウの特級畑……
そのうち、4つがラインガウにあります。
銘醸地として知られている場所です。

メッテルニヒ公爵邸は
ブドウ畑に囲まれた広大な敷地のなかに 今もひっそりと佇んでいます。


メッテルニヒ公爵















いいなと思ったら応援しよう!