日本人の意外な会話感覚。海外とは全然違う??
こんにちわ。
Saraです。
このところ、常夏の項垂れるような熱気を感じますね。
最近お世話になっている方とこんな会話をしました。
「この頃、何か新しいことをしたくなって。
今の日常に少しマンネリを感じているのかも?(・_・;)」
「そうなんだね。
具体的に何をしたいのか決まっているの?」
「これまで、何度か挫折しているけど、
英会話とか…
本当は海外の人とも色々語り合ってみたい。」
「なるほどね。
きっと・・・Saraちゃんなら英語話せると思うよ。」
「え?なんで?(。´・ω・)?
私・・ほとんど忘れてる。
簡単な言い回ししか浮かばない。」
「だって、Saraちゃんは自分の意見をちゃんと持っている人だから。」
「それは・・そうなんだけれど?普通なのでは?」」
「私が感じてきた限り
今の日本人は意外と自分の意見をきちんと持っている人がそんなに多くない印象があるの。」
「そうなのかな?
うーん。日本だと同調圧力が強いから、意見を言いづらいのかな?」
「それは、大きく影響していると思う。
空気読みすぎて、自分の感じてることや思っていることが分からなくなっている人沢山いるんじゃないかな。」
「えー??
自分の感じていることが自分でわかっていない??」
(衝撃すぎる)
「そうなんだよね。
なんとなくってくらいにしか把握していなくても、この国ではそれで済んでしまう現状もあると思うよ。
日本人の会話って、「確かに。」「そうだよね。」
なんとなく共感を確認出来たら、それで成立してしまう文化があると思うの。」
「そうなの??
私そういえば、日本人なのに、よく日本人ぽくないと言われてた・・。
私はいつも「貴方はどう思う?」「貴方の意見は?」と聞くほうだから。
(・_・;)
もしかして、私って日本じゃ嫌われる??(´;ω;`)ウゥゥ」
「そう。まさにその感覚が英語に向いていると思う。
向こうではリベートが当たり前でしょ?
嫌われるというよりは、はっきりと言う人だなという印象になるんだと思うよ。日本だと。」
「そもそも、なんで日本では意見を言うことが当たり前じゃないんだろう。」
「それは、いろいろな理由が絡んでくると思うよ。
とにかくSaraちゃんは、自分の話したい事や意見を持っているから、
あとは、それを英語にすればいいだけなんだよ。」
「そうなんだ・・・。うーん。でも私の英語はあまりにやばくて、道のりは険しいから、無理しないで継続できる方法を考えてみる。」
改めて見えてくる日本人の感覚
私は、このやりとりをして、考えさせられた。歴史的にみても、日本は急に敵が攻めてくる心配が他国よりはずっと薄かったので、どこか緩慢さがあり、濁したり、曖昧さがあっても、それはそれとして受け入れる余裕が、生まれやすかったのではないかと思う。
また現代の日本人は、戦前時代とは何もかも違っていて、相手を思いやる心遣いから、あえて言わないというよりは、学童期から受動的教育を受け、自分の個を育てることからは遠ざかってしまっていて、自分の言いたいことをなかなか言葉にできない人も一定数いると思う。
周りから浮かないことばかりに神経を使って、「とりあえず、黙っておこう。そうすれば敵は作らないから」というパターンの消極性に陥ってしまってるように見える。
同調圧力の支配のなかで、自分の本音を持て余して、繰り広げられる2次元の流言飛語の社会。自分のホームグラウンドをなんとか維持し、わが身を宥めすかす日々。
この現象は、アメリカのGHQが戦後の日本に行った3S政策に気づかないうちに嵌ったようにも見えるけれど、日本人自身が、どこか他力本願だったり、自分たちの国の政治・文化・歴史や芸術などにおいて、大多数が受動的な姿勢を自ら選んできた結果とも受けとれた。
誰かが用意した豪華客船に乗っていれば、安心安全であり、それが平和と勘違いしてきた日本の綻びがじわじわと、可視化してきているように思えてしょうがない。
本当はもうとっくに豪華客船なんて、機能しなくなっている。ずっと前から独り独りが気づいていながら、娯楽で無聊を慰めている。何をしていいかなんてわからないし、出来ないと、自分でない何者かが誂えてくるのをひたぶるに待っている。
今の日本人は、憔悴しきっていて、どこに向かったらいいのかわからず、暗澹とした気持ちを秘めながら、鞭を打たれ続けている馬のようだ。
私も何度も打ちひしがれながら、今も自分に語りかけている。
「私には、何が出来るの?」と。
時代はきっと、私たちの生きる姿勢を、ただ問いかけている。
ヒーリングセラピスト新生Saraの世界
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