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旅と私

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旅から学んだいろいろなことを綴ってます
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葛飾柴又を歩いて

葛飾柴又を歩いて

京成電車を高砂で金町線に乗り換えて、次の柴又で降りたら、駅前で寅さんの銅像が迎えてくれた。少し離れた所には、兄を見つめるようにさくらの像が立っていた。

1 葛飾柴又の文化的景観

京成金町線は、金町・京成高砂間を結ぶ短い路線で、その間には柴又駅しかない。明治時代には、人が客車を押すという人車鉄道が作られ、帝釈天への参拝客のために、明治32年に金町と柴又の間に帝釈人車鉄道が開設された。江戸時代から

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今という時しか時はない

今という時しか時はない

みちのくの山寺の天狗岩に白百合が咲いて風に揺れている。その岩の上に腰かけていたら、蝉が飛んできて目の前の岩に止まった。するとこんな言葉が自然と口から出てきた。

「また、ここに戻って来ても、この蝉には会えないよね。蝉は数日しか生きられないから」

すると、隣に座っていた人がびっくりしたように「ファンタスティック!!」と言った。

蝉の命は人より短い。その日その日を天に任せて生きているのだろうと言っ

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新幹線は速いから・・・

新幹線は速いから・・・

昨年の暮れに、新幹線のぞみから自由席がなくなり、全席指定になった。旅は気ままに、ふらっと電車に飛び乗り、空いている席に座るのが、旅の醍醐味で、どうも指定席は必要悪の感じがしている。
今、頭の中は、半世紀も前の新幹線の思い出に浸っている。

今では新幹線の速さは当たり前のことだが、在来線から新幹線に乗り換えた世代、いや乗り換えざるを得なかった世代には、驚異の速さだった。昔は、東京から大阪方面に「瀬戸

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オランダの風車

オランダの風車

ずいぶんと前の事になるが、海外旅行から帰った友人から陶製の四角の焼き物をもらった。そこには風車のある風景が描かれていて、裏に購入した街なのだろうか、アムステルダムと書かれていた。

キンデルダイク=エルスハウトの風車網

オランダといえば、低地の国であり、ポルダー(polder)と呼ばれる干拓地と風車やチューリップ畑のある風景が目に浮かぶ。調べて見れば、陶器の絵は、世界遺産に登録されているオランダ

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遠くへ行きたい

遠くへ行きたい

「遠くへ行きたい」が、まだテレビでやっていたのか。日曜日の朝早くテレビをつけると「遠くへ行きたい」の番組が流れ、宮本亞門さんが案内していた。

昔も、1970年代だったろうか、毎週日曜日の午前中に永六輔さんの「遠くへ行きたい」を見ていたが、今でも続いているとは驚きで、それは世間に疎い自分に驚いていることでもある。

若い頃、テーマ曲の「遠くへ行きたい」が流れると自然とテレビ画面に吸い込まれて行った

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上野の山を歩いて

上野の山を歩いて

上野の東京都美術館で開催されている展覧会の案内を頂いたので、久しぶりに上野公園を訪れた。

蓮玉庵

上野広小路駅で降りて、行くことにした。湯島の仲町通りに老舗の蕎麦屋の蓮玉庵があることを思い出し、寄ってみた。丁度店主がのれんを持って現れ、入口に吊るした。

百年以上にわたり保たれてきた老舗の味を味わおうと天せいろを注文する。先ずは蕎麦汁と刻みネギが運ばれてきた。ネギの香りがする。箸袋に蓮玉庵とタ

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母の短歌 沖縄慰霊の日 戦地より嫁がぬわれを案じいし

母の短歌 沖縄慰霊の日 戦地より嫁がぬわれを案じいし

 戦地より嫁がぬわれを案じいし  
 ハガキ出で来ぬ 玉砕の兄の  

戦死した伯父を思い作った母の短歌である。

退職したら、母と沖縄に行こう。そう思っていたのは、以前から、沖縄で戦死した伯父のことを母がよく話していたからである。三つ年下の母をキミちゃんと呼んで可愛がってくれたという。母は、何かあるとよく「昇治郎さんが生きていたらな」と呟いていた。そんな大切な人だった。

伯父は、昭和19年7月

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新しい道と古い道

新しい道と古い道

のんびり歩いていると大きな道路が小さな道路網を無視するかのように人工的に造られていることに気づくことがある。

家の近くを船堀街道が南北軸から少し右に傾いて真っすぐ通っている。葛西橋通りが東西に真っすぐ走って、船堀街道と交差している。歩いていると、これらの大きな道路のありようがどうも変だなと思う。小さな道路と垂直に交差していないのである。地図を見て船堀街道や葛西橋通りを取り除くと、いくつかの小さな

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カーボベルデと人類の航海

カーボベルデと人類の航海

バスケットボール試合で日本が勝ったカーボべルデ(Cabo Verde)という国は、ポルトガル語でベルデ岬(緑の岬)の意味とのこと。西アフリカのベルデ岬の約375キロ沖合にある群島である。面積は、4,033平方キロメートル(日本の滋賀県程度)。人口56.2万人(2021年、世銀)。その島々が大航海時代にポルトガル人が到達するまでは、無人島だった。人類は航海により地球上に拡散していったことを思うと、ア

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三越デパート

三越デパート

ときどき日本橋に行く。歩いて休みたくなったら、三越デパートに入り、天女像を見下ろす回廊に設置された椅子に座る。ここは、スーパーのフードコートのような喧騒はない。皆、静かに座って本を読んだり、スマホを操作したりしている。そんな風に東京の真ん中の老舗デパートに座り、ひとときを過ごす。贅沢なものだなと思う。買い物をしない私にも公平に休憩の場所を提供してくれる。流石は江戸時代から続く大店越後屋だなと思う。

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品川水族館イルカショー

品川水族館イルカショー

品川水族館でイルカショーの始まる前に水槽を泳ぐイルカを見ていたら、魚とは違う独特な泳ぎ方に気がついた。

泳いでいるイルカの尾ビレは水平で、それを上下させて推進力を生み出している。

ジャンプして水中から飛び出した体が、再び水中に入るときの尾ビレは、垂直になる。水中に入る直前に捻れて水平から垂直に変わる。こうして、水面に当たる衝撃を小さくしている。

極めて理にかなったことなのだが、イルカは、尾ビ

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播磨坂の宗慶寺と野口勝一

播磨坂の宗慶寺と野口勝一

文京区の播磨坂を下った先に宗慶寺がある。近くに泉があることから山号を極楽水または吉水山という。ここに常陸国多賀郡出身の明治時代の文人で衆議院議員を勤めた野口勝一の墓があった。

以前に散策がてらこの寺を訪れた。訪ねた理由は、野口勝一の日記に妻の曽祖父原田信民に関する記述があり、二人が知古の間柄だったことが知られたからである。

宗慶寺は、都心でよく見かける鉄筋コンクリート造りの寺院だが、正面には江

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曳舟川回顧

曳舟川回顧

墨田区の水戸街道と京成電車の間に曳舟川通りという道路がある。この曳舟川には、いくつかの思い出がある。

東武線の曳舟駅を降りたところにある高校に通っていた。その地理の教師が、曳舟の地名の由来について、かつて人が舟を曳いた川だったことから曳舟川と呼ばれていて、今は埋められて、曳舟川通りがその跡であると教えてくれた。

昨年、友人が亀有のショップで携帯電話を契約するというので、そこで会い、帰りは、曳舟

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筑波山が見える風景

筑波山が見える風景

千葉や東京の葛飾地域に住んできたので、富士山より筑波山の方が見える日が多かった。以前、柏市の増尾駅の駅舎の上から空気の済んだ通勤の日の朝に筑波山が見えた。見えるとそれだけで気持ちが晴れ晴れした。

千代田線の電車が綾瀬駅を出るとまもなく荒川にかかる鉄橋を渡る。荒川は都内を流れる川の中では有数の大河である。荒川を渡るときに川の右側に筑波山が望まれた日が年に何回かあった。いつも右側から乗り、ドア前に立

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