思考言語化教室
前回の記事が、意外と好評だった。
ぶっちゃけ、「死にたい」とかを誰でも見れる場所に投稿するのに、かなり気が引けていた。結構病み系の記事も書きたかったが、なかなか書けずにいたので、「もう嫌だ!」ってなった勢いで書いたのが、前回のものである。
そうなのだが、現時点で19もスキがついた。ああいうのでも、これだけスキしてもらえるのであれば、noteって投稿してもいいんだなと思った。やっぱり、noteは民度がいい。スキ。
んで急に「思考言語化教室」とか言ってどうしたのか?って?
こっちが今回の本題だ。先に結論を書こう。
Twitterみたいなつぶやきならすぐに言語化できるけど、noteになるとなかなか書けない。
確かにnoteにも、つぶやきの機能はある。そうなのだが、あまり使おうと思わない。
記事としての投稿しかしないとなると、その感情も深く思索して、言語化しなくてはならないだろう。そんな事ないと言われるかもしれないが、今のようなnoteの使い方をしていると、あんまり中身のない記事をnoteにあげるのはスキでない。
私が今、noteにあげてることは何なのか?
それは、「その時の思考を言語化したもの」である。
確かにもっとブラッシュアップできるものもあるだろう。
なんだけど、その時の感情を即座に言語化して、みんなに見てもらう。それで、スキしてもらって、安心感を得る。
それが私がnoteを書く目的だ。
え?普段のネガティブなつぶやきはどこに吐くのか?
こんな感じである。多分、なにを言ってるのかわからないだろう。
そうなのだが、その時思ったことを吐いてるだけ。ってのがこれである。
こんなのでは、私はnoteにあげられない。いや、あげたくない。
結局、私はnoteの民度の良さに甘えてるのである。そして、noteを書くときには感情を「できるだけ詳しく」言語化している。
ただ、ちゃんと読み返せていないので、同じことを何回も言っているまとまりのない文章ができる。でも、それでいい。だって、見てもらうことが目的だもん。
さて、現実に戻ろう。
明日は月曜日。憂鬱。
そうなんだけど、日曜日の夜に「感情を言語化する」という行為は、私の中では大事なことな気がする。
だって、どうせなかなか眠れない夜。色々と考え込んでしまう夜なんだから、言語化してから状態から悩んでみない?悩んでても、少し感覚が違うよ。ちょっとスッキリする気がするよ。少なくとも、私は。
今からでも遅くない。感情を言語化してみよう。
言語化が苦手?
なら、誰かに見てもらおうよ。noteだったら、攻撃してくる人も本当に少ないよ?
え、「あなたも言語化できていないじゃん」って思った?
痛いところをつつかれちゃったね。だから、もっと練習してるの!!!
こんな僕だけど、、、優しく見守ってほしいな。笑
死にたいとかよく言ってるけど、どうせ中々死ねないと思うし。
まあ、「私が死ぬか、noteをやめる日までよろしくね」
まあ、note辞める予定も、今はないけどね 笑