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ジェヴォーダンの獣は人間から生まれた

1589年に、ドイツの都市ベートブルクで、「狼男」の処刑が行われた。

現代のベートブルク

男の名はピーター・スタンプ(仮)。50才。
子ども13人を含む16人を殺害し、息子も殺したという。人の脳を食べたと。自分の娘と性的関係をもったと。

これら、ほぼ自供のみで、刑は執行された。

左後方:人喰いオオカミ  右後方:魔女狩りの火刑
中央上:オオカミのモニュメントの上にさらし首

スタンプは、非常に残忍な方法で処刑された。車輪 (?) にくくりつけられた。生きたまま、皮を剥がれ骨を折られた。最後は火あぶりに。見せしめに、首をさらされた。厳密には、スタンプだけでなく、共犯者とみなされた者たちも処刑された。

スタンプは本当に「狼男」だったのか。

狼男への変身

15世紀から18世紀、ヨーロッパで、飢饉・疫病・戦争・宗教闘争が起こった。

それらは、複数の迷信が生まれることにも、つながった。狼男や魔女や不死者である。

※魔女や不死者に関しては、別の回に、より詳しく書いた。ラストにリンクを貼っておく。今回は、狼男にフォーカスする。

狼男の噂は、ドイツやフランスの、森林地帯のある場所・家畜文化の活発な地域で起こった。オオカミがほぼ駆逐されていたイギリスには、狼男の記録はない。

火のないところに煙が立ったわけではなく。オオカミが家畜や子どもを襲った事実があり、人々の恐怖心が、狼男を “生み出した” ということだ。


ジェヴォーダンの獣。

1764~1767年に、フランスの田舎で、数百人もの人々が殺害(食害)された。3年間未解決……長い。さぞ、怖かっただろう。

相当凶暴な獣、推定・オオカミが、少なくとも1頭はいたのだろう。人々は、他の獣と区別して、la bête(野獣) と呼んだりした。

犠牲者は最大300人もいたようで、現実的に考えて、オオカミの群れがいたのではないだろうか。100頭近いオオカミを駆除しても、事態はおさまらなかった。単純に、まだいたのか?

長引く被害に、噂はひとり歩き。ジェヴォーダンの獣の話は、フランス中に広がった。

誇張された報道も、人々の恐怖を煽った。「それは悪魔のような視線をもっていた」など。

さらに、野獣と遭遇して生還した者たちの話が、武勇伝のように紹介された。最も有名なものは、「ジェヴォーダンの乙女」こと、マリー・ジャンヌ・ヴァレだ。

モンスターと戦った女性の勇気を称える旨の彫像
2001年の映画。フランスで超ヒット!とのこと。

現代でもこの扱いなのだから、当時、英雄性やストーリー性があったことは、想像にかたくない。

一部は、野獣退治をキャリア・アップや人生挽回のチャンスととらえていた。著名な狩人やベテラン軍人も、勇んで参加した。しかし、解決せず。実害のある地元民以外は、この事件をだんだん忘れていった。

結局、地元の猟師がカタをつけた。それまでに見たことのない、赤・白・灰色の毛のオオカミだったという。この後、被害が止んだのだ。

これだと、本当に、モンスター級の一体がいた可能性が出てくる。謎は、いまだに解明されていない。


いろいろと推測されている。

・オオカミとイヌの雑種だったのではないか。
・連続殺人犯がジェヴォーダンで活動していて、殺害に動物を利用していたのではないか。
・ライオンのようなフランス原産でない生き物が、どこかから逃げ出したのではないか。
・オオカミの群れだったのではないか。

その頃に選ばれた人気の「答え」は、超自然的なもの、つまり狼男だった。

歪んだ報道と人々のヒステリーが、実際はそこにないものを存在させる。さすがに狼男や魔女ではないが、現代でも、根本的な構図や問題点は似ている部分がある。

ごく最近のヨーロッパ。暴徒化した市民。

ドイツ(ヨーロッパの一例として)における狼男裁判は、約300の例が記録されている。同時期にドイツであった魔女処刑にいたっては、3万~4万件と、とんでもない数におよぶ。

人間の残酷さ、ここに極まれり。
祈りを捧げる様子が大変痛ましい。周囲の無頓着そうな雰囲気にも驚く。目の前で生きたまま人が焼かれることに、どうやって慣れることができよう。

スタンプの事例だと、ある農夫がオオカミの左足を切った。→スタンプも左手を負傷していた。→オオカミとスタンプは同一ではないかと疑われた。こんなレベルの流れだったらしい。

スタンプは、悪魔から与えられた狼革のベルトを身につけることで、狼に変身したーー。スタンプは、ベルトを外せば人間の姿に戻ることができたーー。話の飛躍は止まらなかった。

一方で、スタンプの尋問調書や裁判記録は、ほとんど残っていないのである。確認できるのは、逮捕・取り調べ・残忍な処刑を示す、ごく手短な資料のみ。共犯者とされた数名も、一緒に処刑されたのに。スタンプ(仮)の正確な名前さえ、わからない始末。


スタンプが、本当に殺人者であった可能性も、もちろんある。自白はあった。自身を狼男であると主張した人間の、自白だが。

スタンプの処刑は、プロテスタントとカトリックが対立したケルン戦争(1583~1588年)の時期と重なっている。

二項対立の中、血気盛んになった人々は、「悪者」を求めたかもしれない。狼男然り、魔女然り。彼も、社会のスケープゴートだったか?

1589年までに、ベートブルク地方の支配を得たのは、カトリック派だった。恐ろしい処刑法やさらし首は、あるいは、プロテスタントの反乱を思いとどまらるのに、効果的だったかもしれない。

ここまでのことを書いたのも、理由がある。

非常に後味の悪い話だが、どうやらスタンプは、プロテスタントに改宗したばかりの農夫だったらしい。

こういう描き方が意味深に見えてくる。

オオカミが月に向かって吠える(ように見える)ことから、満月の日に妊娠した者は、変身できると信じられたりしていた。

話の前後・脈略が全くつかめないが。人間の恐怖心と想像力のコンビネーションには、目を見張るものがある。

呆れたり嘲笑ったりするのも、かわいそうではある。科学的根拠の乏しかった時代なら、尚更だ。自分がその時代や場所に生まれていたら、どんな思考や行動をしていたか。わからない。

病に苦しむ人々に由来していたとも、考えられる。たとえば、狂犬病は、口から泡をふく症状を引き起こす。多毛症は、過剰な体毛を引き起こす遺伝性疾患。こういったことも、“狼男” と無関係ではないかもしれない。


世界全体で見ると、最も古い狼男伝説は、古代シュメールのものかもしれない。『ギルガメッシュ叙事詩』には、配偶者を狼に変えたなどの話がある。また、ギリシャ神話にも、狼男を彷彿とさせる存在が登場する。リュカオンだ。

リュカーオーン
〜狼に変身してから10年間、人を襲わずにいた者は再び人間に戻ることができるが、人肉を食らった者は二度と人間に戻ることができない。〜


以前、不死者や魔女の迷信について触れた回。よかったらこちらもどうぞ。