あなたはヴィランを好きになりがち
人には、ヴィラン(悪役)を好む傾向がある。
「僕は・私はそんなことない」と聞こえてきそうだが。個別の話ではない。我々にある傾向の話だ。
それにより、むしろ、個(自分)のことがわかるかもしれない。
人がヴィランに惹かれる理由について、今までに、複数の研究が行われてきた。
わかったことがいくつかある。
「行動は悪でも心は善」
私たちは、ヴィランの行動と内面は一致しない、と信じている。私たちは、ヴィランは行動とは異なる “真の自己” を持っている、と信じている。
かなり強くこの傾向があることが、判明した。
また、この傾向は大人にも見られたが、幼い子供に強く見られた。
幼い子供は、否定的な情報に直面しても、それを肯定的にとらえる。
3〜6才の子供に。特定の人物を「悪い人」だと認識させるには、複数の否定的な情報が必要だった。一方、「善い人」だと思わせるには、肯定的な情報が1つあれば足りた。
さらに。注意・記憶・学習のテストにおいて。
幼い子供は、ネガティブな情報をネガティブな情報であると判断するのが、遅い。
たとえば。幼児は、反社会的な存在に、断固として注目したりしてしまった。悪い人だから拒絶するというような行動を、うまくとれなかった。
実際の被害者がいる事件をあげ連ねたくはないので、各自、記憶にあるニュースなどを思い出してほしい。
子供の心理(基本)
善いこと → 善いこととしてすぐ反応
普通のこと → 善いことと捉える
悪いこと → 悪いこととしてすぐ反応できない
まとめるとこんな感じだ。
ちなみに。「恵まれた子供」ほど、悪事とはどういうことか・悪人とはどういう人か、この認識が育つのが遅くなることも判明。
悲しい推測だが。ネガティブな体験の多い子ほど、自己を守るために、そういったことに敏感になるのかもしれない。
実は、これは、早ければ早いほどいいという話でもないのだが。また別の機会に。
ここで言う「反社会的」には、社会の基本的なルールに反すること以外にも、他者へのサポートや心配りがないことも含む。
それを踏まえて、また別の研究なのだが。
6~9才の子供に、反社会的な行動(例:ヒロインの誘拐)をするキャラクターを見せた。
そのキャラクター(ヴィランである)の動機や目的を誤解する子供が、多発した。ヒロインを好きだから連れて行ったーーなど。この場合、誘拐というものを理解していない。
この誤解は、年齢が低い子供ほど、多かった。
これは、前情報のない・真新しいキャラクターで、実験を行った場合である。
子供が元々知っているキャラクターで、同じ実験を行うと。今度は結果が異なった。
(知っているキャラクターの知らない話、サイド・ストーリー的なものを見せたのだと思われる)
ほとんどの子供が、シンデレラからの向社会的行動を予測した。いじわるな姉妹たちからの向社会的行動を予測しなかった。
内社交的行動 = 見返りを求めない人助けなどのこと。
ヴィランを即座に認知できていない。
やはり、幼い子供は、悪いことや悪い人にすぐには反応できないようだ。
前述したが。これは、大人にも見られる傾向なのだ。子供の結果で説明したが。大人にも、このような傾向の見られる人は、少なくなかった。
「僕と・私と似ているから悪じゃない」
これは、大人(ある程度の年齢以上の人)にのみ、見られる傾向だ。
大人は、ヴィランに自分と似ているところを見つけた時、強い好感をもつ。
この自己投影的なパターンは、フィクションの「ヴィラン」に対して、強く見られた傾向である。実在の「悪人」には、たとえば犯罪者に対しては、ほとんど見られなかった。
フィクションであるということが、認知的セーフティ・ネットのように機能したことが、理由として考えられる。
フィクションなら。自己のイメージや名誉を大して/リアルに損なうことなく、自分とヴィランとを同一視することができる。
かつて、ユングは言った。
人間として成長するには、自分自身の隠された本性と対峙し、理解する必要があると。
かつて、フロイトは言った。
どれほど文明化されても、良心・自我・超自我がどれほど発達しても、私たちのイドは存在している。規律のないアイデンティティが獲得できる、特定の願望実現があると。
大人の場合、こういった過程を踏もうとしているのかもしれない。
実在の犯罪者などに対して、自分と似たところがあるなどと、誰かが好んでいる場合。その人は、そもそも、それを悪事や悪人であると思っていない可能性がある。
フィクションでないと、自己の評判や名誉を大きく損なう恐れがある。それを肌で感じていて避けるはずなのだが。そうしない。悪ではないからだ。
最近世間で炎上した、ある動画。
「我々〇〇としては(〇〇は自己が含まれていると認識しているカテゴリー)、暗殺が成功してよかった」と発言した、あの人物である。
サイドにいた他の人たちは、「待ってくれ。〇〇で一括りにしないでくれ……」というような様子をただよわせていた。少なくとも、私にはそう見えた。
発言者と残りの2人は、本質的に異なる存在に思える。
他にも。ヒーローよりもヴィランの方が想像を掻き立てられる、というようなこともあるだろう。
肯定バイアス(そもそも善い人と思い込みがちなこと)を考えると。「元は善人だった人が悪人になったのだ」という筋書きは、打ち立てやすいものに思う。
人はきっと、理由や事情を一生懸命に探そうとするだろう。
参考文献
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0010027722003468