可能なるコモンウェルス〈51〉
アメリカ新大陸に移住した人々は、その誰もが「移動=遊動」しうる可能性を有していることで、その誰もが自由を担保されていた。
しかし、逆にそのように「移動が自由の条件と見なされる」そのこと自体が、実はこの自由の成立に矛盾を生じさせることにもなっていったのでもある。
「…植民者の移動が続くにつれて、移動すべき"フロンティア"が消滅していった。それに伴って(…中略…)内部に富の格差、支配関係が生じるようになった。…」(※1)
「…遊動性(自由)は平等をもたらすが、それを保持するために、遊動性を可能にする空間を拡張しなければならない。ここにイソノミア=タウンシップがはらむ矛盾がある。…」(※2)
「…(…イソノミア=無支配=自由は…)内的および外的な条件によって存立する。したがって、そのような条件がなくなれば、消滅ないし変質してしまうことになる。…」(※3)
自由であるためには移動しなければならないというように条件づけられていること。あるいは、移動し続けることが自由という状況の存立、およびその状態の維持を条件づけるものとされていること。たしかに時としては何らかそのような、一定の条件づけが「介入=拘束」してくる局面も、やむなく受け入れなければならないことはあるのかもしれない。
しかし、「移動の自由を失うことによって、自由そのものもまた失われる」ような事態になりうるとしたら、そればかりでなくかつて人々を縛り上げていた貧富格差や支配−被支配関係が、そこで直ちに復活してくるものだとしたら、これはあまりに不条理な話である。だがそのように、いくら四の五の言っていても現実としては移植者=「移動者」が増えていけば、それにつれて必然的に何処においても人が移動され尽くされることになり、領域的にはもはや「移動することが可能な場所」自体が、すなわちフロンティア=開拓地が実際問題としてなくなっていくのは必定だ。引いては移動すること自体もまた無制限なものではなくなっていくわけである。
そして結果的に人は、「何処か一つの場所に定住すること」を余儀なくされる。そして「その内部」にはいずれ、貧富格差や支配関係が生じてくるようになるだろう。
人々はたしかに「支配のない」地に降り立ち、そこで人々は「支配関係が生じない限り」において「その地に対する愛着」を持ち、「その地における社会的関係」に対して忠実であろうとした。そしてもし、その地での「社会的関係に支配や搾取が生じる」ようであれば、直ちにその地を捨て去り、そこから移動すればよかったわけで、実際彼らはそのようにしてきた。意地悪く言えば、彼らはいつでも「逃げていた」のであるし、現実的に彼らの自由とは「逃げることができただけという話」だった。とはいえもちろん彼らにとっては、それはそれでよかったのだ。何しろ「逃げてきたからこそ、その地に辿り着いた」のだから。
しかし彼らは、結局何処に移動するにしても、そこでの社会的関係が「支配や搾取を生じさせるようなものとなりうること」からは逃げきることができなかった。行く先々で支配関係が生じ、そこから逃れて新たな場所に移動できたとしても、彼らの「自由=解放が、移動した場所の条件に依存している状態」ならば、支配関係が生じるような社会的関係は、どのような場所=共同体においても、かつてのそのままに残されていたのであった。ゆえに彼らの「移動」は結局のところ、「そのような関係性そのものを変えるものとは至らなかった」のだった。
何処にも逃げきれなくなれば追い詰められてしまう、これが道理というものなのかもしれない。そして「無支配=イソノミア」とはこのようにして、追い込まれ破綻していったのだとも言えるだろう。
では、なぜそうなったのか?それは彼らが、ここまで何とか逃げおおせてきたことの結果に依存・安住してしまい、実際に逃げることにしたその都度の能動的行動をその動機において支えていたところの、他ならぬ「逃げようという自らの意志と主体性そのものを忘却してしまったから」なのではないだろうか?
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 柄谷行人「哲学の起源」
※2 柄谷行人「哲学の起源」
※3 柄谷行人「哲学の起源」