「古書店・小松堂のゆるやかな日々」 中居真麻
「なんにもなくなっても生きていればいいんです。波子さんが生きてることで、なんかが生れるんですから。 」
「古書店・小松堂のゆるやかな日々」 中居真麻
タイトルに惹かれて、手にしました。
「ビブリア古書堂」のような話の「神戸版」かな?と思い、読み始めましたが、全然違いました。
その先入観、あきらめて読むことをおすすめします。
古書店勤めしている女性の不倫のお話です。ほとんど本にまつわる話はでてきません。
そういう意味で、「このタイトルはどうかな?」と思いましたが、文庫化するときに改題されたようです。
前のタイトルが、「私は古書店勤めの退屈な女」
まだ、前のタイトルの方が内容に合うのではないかと思いつつ、「退屈な女」でもありませんでしたので、これもまた少し違いました。
でも、このタイトルだから、僕みたいな「古書」というワードに引っ掛かる人間が手に取ったのです。古書はほとんど出てきませんが、いい意味で裏切られ、会話が楽しく、古書店店主の小松さんにゆるやかに救われる感じがよかったです。
神戸元町の古書店「小松堂」
もうすぐ開店する小松堂の張り紙を見ている波子。(28歳、主婦、家庭内別居中。旦那の会社の先輩と不倫をしています。)
そこに
店主の小松さん(57歳)が現れ、波子に声を掛けます。
小松さんのペースで、波子は近くの喫茶店に連れて行かれ、面接のようなものを受けます。そして、小松堂で働くことになるのです。
悩んでいる波子にとって、小松堂で働けたことは良かったのかもしれません。
小松さんの自然なゆるーい、憎めない、禿げ散らかっちゃてる(もちろん本人の言葉です)おっちゃんの関西弁の会話(語尾に「すんません」がつく)が、波子の揺れる心を中心に戻してくれました。
人は、なんとなく気持ちが片側に大きく振れることがないでしょうか?良いにしろ悪いにしろ。
悪いことは悪いです。やってはいけないことは、やってはいけないと思います。
しかしながら
聖人君子のように、教科書のように人に誇れるような人って、どのくらいいるのだろう?
ストイックで、大きな器の人は、確かにいます。憧れる人も、稀にいます。
でも、周りを見渡してみて、どのくらいそんな人がいるのでしょう?
どちらかというと、悩みを抱えている人の方が多いし、あんな人間になりたくないと感じる人の方が、圧倒的に多いのではないでしょうか?
人に迷惑をかけてはいけないと言いながら、迷惑をかけてる人がいかに多いことか。(なんかネガティブですよね、すんません)
波子もわかっていながら、不倫をつづけている。
旦那の方が、絶対に人として良いに決まっているのに、盲目的な感情に引っ張られて、家庭を持っている男を追いかけてしまうのです。
波子は、自虐的になります。
自身を追い詰めます。
救いは小松堂の店主・小松さんとのゆる~い会話でした。いつも何気に話していて、くだらない話の中にちょっとした煌めく言葉があるのです。
小松さんは波子の片側に傾いた辛い気持ちを、いつも中心に戻してくれました。
僕も、波子の考えと同じ気持ちになることがよくあります。「なんのために?」とか、「これから先どうなるのか?」とか、「働くってなに?」とか。
波子に対する小松さんのこの言葉は、自分に言われたかのようでありました。
人はまちがいます。好きな人を想う燃え上がった炎を消すことは難しいです。頭ではわかっています。でも、感情は理性で制御できないこともあります。
波子は小松さんと出会い、心を救われ、自身をきちんと整理していくのでした。
ちょっとした言葉は、人を救う力があります。
そのちょっとした言葉が、難しいのです。
いろんな経験をしてきた(喜びも哀しみも知っている)人のちょっとした言葉ってすごく効きます。そんな人になれるように(小松さんのように)・・・そう思いました。
【出典】
「古書店・小松堂のゆるやかな日々」 中居真麻 宝島社文庫
PONO@こもりびとさん、ありがとうございました。
いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。