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「古書店・小松堂のゆるやかな日々」 中居真麻


「なんにもなくなっても生きていればいいんです。波子さんが生きてることで、なんかが生れるんですから。 」



「古書店・小松堂のゆるやかな日々」 中居真麻


タイトルに惹かれて、手にしました。


「ビブリア古書堂」のような話の「神戸版」かな?と思い、読み始めましたが、全然違いました。


その先入観、あきらめて読むことをおすすめします。


古書店勤めしている女性の不倫のお話です。ほとんど本にまつわる話はでてきません。


そういう意味で、「このタイトルはどうかな?」と思いましたが、文庫化するときに改題されたようです。


前のタイトルが、「私は古書店勤めの退屈な女」


まだ、前のタイトルの方が内容に合うのではないかと思いつつ、「退屈な女」でもありませんでしたので、これもまた少し違いました。


でも、このタイトルだから、僕みたいな「古書」というワードに引っ掛かる人間が手に取ったのです。古書はほとんど出てきませんが、いい意味で裏切られ、会話が楽しく、古書店店主の小松さんにゆるやかに救われる感じがよかったです。


神戸元町の古書店「小松堂」


もうすぐ開店する小松堂の張り紙を見ている波子。(28歳、主婦、家庭内別居中。旦那の会社の先輩と不倫をしています。)


そこに


店主の小松さん(57歳)が現れ、波子に声を掛けます。


小松さんのペースで、波子は近くの喫茶店に連れて行かれ、面接のようなものを受けます。そして、小松堂で働くことになるのです。


悩んでいる波子にとって、小松堂で働けたことは良かったのかもしれません。


小松さんの自然なゆるーい、憎めない、禿げ散らかっちゃてる(もちろん本人の言葉です)おっちゃんの関西弁の会話(語尾に「すんません」がつく)が、波子の揺れる心を中心に戻してくれました。


「小松さんて、おもしろい人ですねえ」
しみじみと言ってみた。

「え?僕?」

「ポケットから消しゴム出すし」

「ポケットから消しゴムくらいみんな出すでしょ」

「耳に鉛筆かけるし」

「みんなかけるでしょ」

「いっつもなんか探してますしね」

「可愛いでしょ」

「可愛いかどうかはわかりませんが」

「波子さんにおもしろがってもらって光栄です。さあ今日もがんばって本売りましょ。あ、でも雨やなあ。客少ないかなあ。あかんあかん、もっと楽天的に考えよ。売れへん日があってもくよくよしません。元気にやります。エイエイオー!」

「小松さん」

「はい」

「ベレー」

「あ、かぶります、かぶります。ハゲ隠しのヘルメット、ちゃう、帽子、かぶります。暑いんで、夏用かぶりまーす。すんません」


人は、なんとなく気持ちが片側に大きく振れることがないでしょうか?良いにしろ悪いにしろ。

悪いことは悪いです。やってはいけないことは、やってはいけないと思います。

しかしながら


聖人君子のように、教科書のように人に誇れるような人って、どのくらいいるのだろう?


ストイックで、大きな器の人は、確かにいます。憧れる人も、稀にいます。


でも、周りを見渡してみて、どのくらいそんな人がいるのでしょう?


どちらかというと、悩みを抱えている人の方が多いし、あんな人間になりたくないと感じる人の方が、圧倒的に多いのではないでしょうか?


人に迷惑をかけてはいけないと言いながら、迷惑をかけてる人がいかに多いことか。(なんかネガティブですよね、すんません)


波子もわかっていながら、不倫をつづけている。


旦那の方が、絶対に人として良いに決まっているのに、盲目的な感情に引っ張られて、家庭を持っている男を追いかけてしまうのです。


波子は、自虐的になります。
自身を追い詰めます。


救いは小松堂の店主・小松さんとのゆる~い会話でした。いつも何気に話していて、くだらない話の中にちょっとした煌めく言葉があるのです。


小松さんは波子の片側に傾いた辛い気持ちを、いつも中心に戻してくれました。


僕も、波子の考えと同じ気持ちになることがよくあります。「なんのために?」とか、「これから先どうなるのか?」とか、「働くってなに?」とか。


波子に対する小松さんのこの言葉は、自分に言われたかのようでありました。

「はあ。でも私、たまに人間である自分が何者であるのかがわからなくなるんです。

人間に対して出口が見えないというか、八方塞がり状態になるというか。なんのために生まれてきたのかとか、これから先どうやって生活していくのか、とか。

てか生活ってなに?っていうか働くってなに?とかって考え出すと、まったくもって生きてる意味がわからなくなるんです。

夢も希望もないっていうか、お先真っ暗っていうか。自分が蛾でもヘチマでもさして変わりがないんじゃないかって」


「なにを言うとんですか」小松さんはけけっと笑う。

「なんのために生まれてきたかって、それは人間として生きるためですよ」


「それがよくわからなくなるんです。だからと言って死にたいって気分になるんじゃなくて、ただ、べつに長く生きてなくてもいいや、って思うんです、たまに、すごくそう思うんです」


「まず、そうやってなんかのせいにしてるのをやめたらどうですか」


「え」


「なんにもなくなっても生きていればいいんです。波子さんが生きてることで、なんかが生まれるんですから」


「・・・・・・・・・・・」


人はまちがいます。好きな人を想う燃え上がった炎を消すことは難しいです。頭ではわかっています。でも、感情は理性で制御できないこともあります。


波子は小松さんと出会い、心を救われ、自身をきちんと整理していくのでした。


「その人とは一生結ばれへん。でも好きなんでしょ。


ちょっとした言葉は、人を救う力があります。


そのちょっとした言葉が、難しいのです。


いろんな経験をしてきた(喜びも哀しみも知っている)人のちょっとした言葉ってすごく効きます。そんな人になれるように(小松さんのように)・・・そう思いました。


なんにもなくなっても生きていればいいんです。
波子さんが生きてることで、なんかが生れるんですから。

と、小松さんだって、そう言ったのだから。


【出典】

「古書店・小松堂のゆるやかな日々」 中居真麻  宝島社文庫


PONO@こもりびとさん、ありがとうございました。


いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。