
「書く仕事がしたい」 佐藤友美
「ライターとは、問い、選び、伝える人である」
「書く仕事がしたい」 佐藤友美
文章術の本はたくさんあるのに、本当に知りたいライターのことを知る本がないと、ライターである佐藤友美さんはずっと感じていたそうです。
であれば、それについて書けば喜んでくれる人がいるのではないかと考えました。
と佐藤さんはこの本の冒頭で語っています。
この本は
作家・エッセイストとライターとではどう違うのか?
ライターとはどんな仕事であるのか?
書く仕事に就くにはどうしたらいいのか?
書く仕事の種類は?
ライターはどれくらい稼げるのか?
書く仕事は何歳まで働けて、書くことで生計を立てられるのか?
disコメントにどう向き合うか?
書く仕事で生きていくとは?
など、ライターの仕事に特化して書かれています。
はじめに佐藤さんは「この本は文章術の本ではない」と語っています。
文章術については多少触れられていますが、ほとんどの話が〝ライターとはどんな仕事なのか?〟についてです。
この本を読むまで、僕は書く仕事で生きていくのに「文章力」がとても重要だと考えていました。
しかし
書く仕事で生きていくのに最も重要なのは、文章力ではありません。
と佐藤さんは、はっきりと言っているのです。
また
書く才能がなくても、文章力がなくても(とはいえ、最低限そこそこの文章力はいるようです。)ライターという仕事は、十分成立すると佐藤さんは言います。
それよりも
書き手として重宝される条件があるそうです。
ライターに必要なのは、才能ではなく技術です。
と佐藤さんが語っているように、ライターの仕事の特徴(技術)というか基本があるというのですね。
それが
まず依頼を受けて取材し、それを基に原稿を書き、納品する。
たしかにそうです。
でも
このあと、佐藤さんが語っていることを読んで、これはそんな生半可なものではないと思い知らされました。
つまり、ダサくてもひどくてもとにかく書き続け、現状におけるベストで書き終えて納品し、晒されてdisられても言い訳せず、反省し反省はするが折れず凹んでも戻ってくる。
そして懲りずに次の原稿を納品する。
いつかはもっと上手に書けるはずと信じて書く。
「書く」を続ける。
これが、「〝書く〟を仕事にする」ことだと私は思っています。
これを読んで思ったことは、「書く覚悟」がいるんだということ。
書く人は、原稿の締切りがある中で、自分が精一杯書いた原稿に100%納得できないと思うのです。
でも
書き終わらなければならない。
完成度が低くても納品しなければならない。
次の原稿を書き続けなければならない。
ライターとして報酬を得て書くということは、覚悟がいると同時に、困難なことに挑戦することでもあると教えられました。
それは、「依頼される仕事である」ということ。
依頼された仕事が自分にとって、苦手な分野であったり、辛い対象の取材であったり、興味がない分野の仕事であったりします。
そんなとき
いかにその対象に興味を持てるか。
愛することができるか。
おもしろいと感じることができるか。
そのように感じることができる人が、ライターという仕事に合っていて、ライターにはその覚悟が必要だということなんですね。
ライターとは、問い、選び、伝える人である
これらを読んでみて、ライターは創作するというよりは、むしろ伝える仕事であるんだと理解しました。
*
この本の中で文章を書くのに、自分にとってためになったものが2つあります。
まず、一つ目が「相場感」を知るということ。
つまり、同じ商品を紹介するのでも、読者が「高嶺の花」だと思っているのか、「少し背伸び」なのか、「ちょうどいいくらい」なのか、「安い」と感じるのか。
その、読者の感覚を持って書けることを、相場感があると言います。
媒体によって、読者の相場感が違います。
書いた文章が上手いかどうかというよりも、その媒体の相場感に合っているかどうかをチェックされるそうです。
読者を知ること、相場感を知ること、媒体のトーンやマナーを知ることが重要であり、媒体でなくてもこの「相場感」を、常に考えて書かないといけないなと思いました。
2つ目が、この本ではあまり触れられなかった「文章術」のことです。
平均点以上の原稿を書く2つの鉄則として
① 一文を短くする
② 前後の因果関係をはっきりさせて書く
一文を短くすると、俄然文章が読みやすくなります。
具体的には40~50文字書いたら句点(。)を打つといいそうです。
前後の因果関係は、基本
① AなのでB 北海道なので、夏も涼しい
② AなのにB 北海道なのに、夏は暑い
となります。
読んでみると②の方が驚きが大きくなります。なので佐藤さんはメディアで取材するときは②の論理展開をするそうです。
いま自分が書いている文章が「① AだからB」なのか「② AなのにB」なのか。それを意識するだけでも、文章は読みやすくなります。
*
自分の書いているnoteの文章について、「どうなんだろう?」といつも不安に感じていました。
記事を「わかりやすく書こう」と心がけて書いているのですが、本当にそのように書けているのかどうか?
前に浜村淳さんの書籍の記事で触れましたが、僕は「浜村さんのラジオ(深夜放送)の語りを意識して書いている」と書かせていただきました。
それは
かつて浜村さんの深夜のラジオを聴いていて、映画や歴史やニュースの話がおもしろく、非常にわかりやすかったからです。
浜村さんのラジオの喋りの特徴として、接続詞を、溜めて、溜めて、よく喋っていました。(当時の記憶によれば)
なので
わかりやすさのひとつとして、僕は文章を上記(「なので」)のように接続詞をよく使って書いています。
しかし
文章術の本で、「接続詞をなるべく使わない方がいい」というのを目にしました。実は最近も、そのような見解を読みました。結構な頻度で読んだり、目にしていましたので不安であり、迷っていました。
そんなときに
佐藤さんのこの本のこの言葉に出会ったのです。
接続詞は読者への思いやり
少し長い引用になりますが、文章のわかりやすさ、文章の因果関係のこともよくわかりますので、掲載させていただきます。
文章術の本には、よく、「書かなくても文意が変わらない接続詞はなるべく省略する」と書かれています。
が、文章の初心者は、入れられる場所にはすべて接続詞を入れて一度原稿を書いてください。
それをすることで、文章の因果関係がはっきりしますし、構成がくっきりするし、論理破綻がないかどうかをチェックできます。
その上で、推敲の段階で必要がない接続詞を省いていけばいいでしょう。
ただし、
私は、接続詞はそんなに躍起になって削らなくても良いと考えています。
というのも、
接続詞があることで、読者に心の準備をして文章を読んでもらえるからです。
たとえば、いま私が書いた、直前の2つの文。「ただし」も「というのも」も、書かなくても文意は通じます。この2つの接続詞は削ってもいいでしょう。
でも、「ただし」と書かれていると、「これから何か、注意事項を伝えられるのだな」と予想して続く文章を読む心構えができます。
この心構えを持ってもらうだけで、その後の文章「接続詞は躍起になって削らなくても良い」が、注意事項としてすんなり頭に入ります。
同じように、「というのも」という接続詞があることで、「ああ、いまから、理由を説明されるのだな」と準備してもらえます。
すると、
「読者に心の準備をして読んでもらえるから」という理由が、すんなり頭に入ります。
(中略)
読みやすい文章の条件に「一度読んだところを、遡って読み返さなくてもいい」と「誤読されない」があります。
このように、
接続詞を使って読者に準備をしてもらいながら文章を進めると、
・読み返しをしなくても理解しやすくなりますし、
・因果関係がはっきりするので誤読されることも減ります。
「思いやり」という佐藤さんの言葉に、とても救われた気持ちになりました。
僕の書いている文章は、人によっては読みにくいと感じるだろうし、不快だと感じる方もいらっしゃるでしょう。
でも
書く者として、記事を読まれた方が何かに気づいたり、癒されたり、読んでみて良かったと思っていただけるように、僕なりに「読みやすく」を心がけて書いています。
佐藤さんのこの本は、とても読みやすかったですし、ライターの仕事について知らないことがたくさんありました。そのことがわかりやすく書かれていました。読んでいるだけで、ライターとしての文章術もよくわかる本でありました。こんな風に書いてみたい、書けたらいいなぁと思いました。
なにより
佐藤さんは、書くことが本当に好きな方なんだというのが、ひしひしと伝わってきました。
書く仕事をしたい方には、ぜひ、おすすめしたい本です。
そして
これからも
このnoteを、わかりやすく書いていきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。いつも読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
【出典】
「書く仕事がしたい」 佐藤友美 CCCメディアハウス