
「電車のなかで本を読む」 島田潤一郎
「本を読み、だれかの言葉を膨大に浴びることによって、読者はこころのなかの風景を塗り替えることができます。」
「電車のなかで本を読む」 島田潤一郎
ひとりで出版社を営んでいる島田潤一郎さんの読書エッセイ。
やわらかく、あたたかく、やさしい文章。
島田潤一郎さんの子どもの話や仕事の話、そして、本屋や本への思いなどを熱く語り、さらっと風が頬を撫でるようにご自身が読んだ本の紹介をしています。
紹介されている本のあらすじや感想は最小限に留められていて、くわしい内容はその本の頁を開いてみないとわかりませんが、なぜだかそれらの本を読みたくなってくるから不思議です。
本や小説、読書にまつわるお話では共感しっぱなし。
とくに
思い出してみると、ぼくが本を強烈に欲していたのは、いつもこころが弱っているときだったような気がします。
僕も気持ちが滅入ってしまうと本に手を伸ばすのですが、本当に弱っているときは、島田さんがこう述べているように、数ページも読めないでいます。
こころがほんとうに弱っているときは、数ページも読めないのです。
一ページにはだいたい六〇〇字ぐらいが詰まっているのですが、それを読み進める集中力も気力もありません。
それでも落ち込むところまで落ち込んで、再び読書をはじめると本に書かれている言葉が心の中に沁み込んでゆき、みずみずしい水滴が太陽の光を浴びて輝くように慰められます。パワーをもらえます。
こころの底から絶望したとき、救ってくれるのは、だれかの言葉でしょう。
(中略)
本を読み、だれかの言葉を膨大に浴びることによって、読者はこころのなかの風景を塗り替えることができます。
島田さんのこのような言葉には、過去の辛い体験がありました。
ぼくは民間企業で働いていたときに、ノイローゼに近いような状態に陥ったことがありました。親しかった従兄が突然亡くなったときには、死にたいくらいに気分が落ち込みました。
そういうときに支えてくれたのは、若いときの読書の経験でした。すばらしい本は、読者に粘り強く考えることのたいせつさを伝えます。いってみれば、こころと脳に体力をつけるような行為です。
(中略)
就職する前にできるだけ長い本や難解な本に取り組み、こころと脳を鍛えたことが、三〇代のぼくを救ってくれました。
かつて読んだ本の言葉が、苦しいときに思い出されることがあります。自動的に頭の中で再生されることがあります。
それは、かつて読んだ本が意識の奥深くで根を張っているからなのでしょう。
その根は下へ下へと伸びていて、苦しいときほど実った言葉をくれるのです。
読んだ本のストーリーや言葉は忘れてしまっています。
なのに
ふと状況に応じて、読んだ本の場面や言葉が立ち上がってくることがあるのです。
生きていると、困難な問題にぶつかります。
「もし、本を読んでいなかったらどうなってたんだろう?」と思い返すことがよくあります。
それほど、本の言葉に助けられることが今までに何度もありました。
今現在も、日々いろんな悩みがわいてでてきます。
そんな時でも不安を読書で和らげたり、問題解決のヒントにしたりしています。
日々の隙間に、少しの時間でも本を読みたくなるのは
人生を救ってくれるのは
本の中の
何気ない言葉だったりする。
からなんですよね。
【出典】
「電車のなかで本を読む」 島田潤一郎